SSブログ

土地からの収入──マーシャル『経済学原理』を読む(20) [経済学]

 国民所得の分配は、最後に土地からの収入に行き着く。
 土地はそれ自体が商品となりうるが、その流動性は日常的に使用される商品ほど大きくない。
土地はまたそれ自体が所得の源泉である。土地の価値を規定するものとしては、温度や陽光、空気、降雨といった自然条件がある。ほかにも場所の有利性といった社会条件も考慮しなければならないだろう。
さらに、灌漑や開墾、土壌改良、その他の開発によって、土地の価値を上げることも可能である。
 土地からの収入を論じるにあたって、マーシャルはおなじみの収穫逓減の傾向をもちだしている。
「資本および労働の投入単位をつぎつぎに投下していくと、はじめの2、3単位にたいしては収量は増加していくが、やがて土地が十分に耕されてしまうと、収量は逓減しはじめる」
 これが収穫逓減の法則である。
 こうした投資は収益のぎりぎり(限界)までつづけられる。その結果、地代と利潤がもたらされる。
マーシャルによれば、土地の本源的な特性からもたらされるものが地代であり、新しい投資から得られたものが利潤となる。このふたつを合わせたものが、土地からの収入(余剰)となる。
 余剰を決定するのは、土地が生みだす商品(農産物その他)の価値である。そこには土地の豊沃さや、作物の種類・耕作方法の選択、耕作者の能力などがかかわってくる。
 農産物価格の上昇は、一般に土地から得られる余剰を増大させる。こうした余剰の増加は、これまでの豊沃な土地に加えて、瘠(や)せた土地の開発をもうながす。
 いっぽう農産物価格の上昇は、実質賃金の低下をもたらす。しかし、農業以外の分野でも経済発展が生じているのであれば、やがて実質賃金は上昇していくとマーシャルはみている。このあたりマーシャルは、人口圧力の増大が労働者の貧困化を招くというマルサスの見解にくみしていない。
 市場を基準とした場所の不平等を最初に指摘したのはリカードだった、とマーシャルはいう。言い換えれば、リカードは、土地の価値を、土地の豊沃さだけではなく、市場との近接性や関係性においてもとらえ、そのうえで、その土地がどれだけの商品価値を生みだせるかで評価していたといえるだろう。  
マーシャル自身は、リカードの考えを踏まえて、「イングランドの土地の耕作の技法にいま改良を加えると、……土地からの集計的な余剰を拡大することができる」と論じている。そして、これはかならずしもリカードの比較優位説と矛盾しないという。
 もちろん土地が現在の土地になるまでには、多くの人の手が加えられている。土地の価値には、本源的な属性に加えて、改良による属性も含まれている。したがって、地価にはそれに要した経費も含まれていると考えることができる。
 土地から得られる生産者余剰は、土地を所有し耕す個人もしくは協同組織に帰属する。所有者と耕作者が別の場合は、とうぜん分配の問題が生じる。
 イギリスでは、土地を改良するのは、一般に地主(貴族)の仕事である。借地農は地主から土地を借りて農地を運用し、その余剰のうちから定められた地代を地主に支払う。さらに借地農は雇い入れた農業労働者に賃金を支払わなければならない。地代は長期的には農産物の市場によって左右される。
 経済学にとっては、地主と借地農の分け前の境界線をどうとらえるかが大きな課題だった。この研究が重要性をもっていたのは、それが利子と利潤の区別を意識させ、自由企業の発達をうながすきっかけになったからだ、とマーシャルは書いている。
 土地の所有権は慣習によって受け継がれていることが多い。地主と借地農との関係は微妙であり、地代が長期にわたって据え置かれることもままあるという。
 かつて領主は、農産物の一部を要求する権利のほか、賦役や賦課、使用料や贈り物を請求する権利さえもっていた。慣習はそうした権利が無制限に拡大するのを抑える役割を果たしていた。とはいえ、借地農は次第に農地にたいする管理権を拡大していった。
 イギリスの土地保有制度に関連して、マーシャルは「イギリス人は製造工業や植民の技法においては世界の第一人者となり、程度は劣るとしても、農業でも先駆的な役割をはたした」と述べている。
 マーシャルによれば、イギリスでは地主は所有する土地にたいする改良をおこたらないが、その管理はほとんど借地農にまかせ、純地代としては3パーセントほどしかとっていないという。
 イギリスの地主は有能で責任を重んずる借地農を選択しており、借地農の地位はほぼ慣習によって引き継がれる。いっぽう、農業の技法は徐々にしか改善されていない。厳格な帳簿が付けられることも少ない。製造業とちがって、才能がなくても借地農が入れ替わることはまずないという。
 農業では製造業とちがって、規模の経済がはたらかない場合が多いが、機械化にあたっては大規模な農地が有利であることはまちがいない、とマーシャルは述べている。
 農場主も時代の変化についていく必要がある。大規模な農場では、従業員の雇用や農産物の調整を含め、経営管理が求められる。
だが、そうした管理のいきとどいた農場はさほど多くない。実際、それほど大きくない農場では、農場主が雇用者とともにはたらき、経験をつむほうが、仕事はうまくいくようだ、とマーシャルはいう。
 一般に小さな保有地にたいする需要は多く、その地代の率は大きな保有地にくらべて高い。その点をつけ加えることも忘れていない。
 イングランドでは自作農は少ないけれど、それでも小さな区画の土地を買い入れて、その土地を自作して心豊かに暮らしている者がいないわけではない、とマーシャルはいう。「かれらは激しい労働をし、またひどくきりつめたくらしをしても、ただだれか他人を主人と呼ばないですむなら、それでかまわないとするといった気風をもっているのである」
 マーシャルは農業の共同経営は明るいと考えている。たとえば、デンマークなどでは「酪農製品の処理、バターやチーズの製造、農業用品の購入と農産物の販売について協同組織の将来に希望を十分もたせるような運動が開始されている」からである。
 とはいえ、20世紀はじめのマーシャルの時代でも、積極的な村の若者は次々と都会へ流出していた。
 マーシャルは農地ではなかなか合理的な経済運営ができないことを指摘している。常に時代に適応していく有能な借地農は少ないし、地主もしばしば高い地代を要求しがちである。農業労働者の賃金は低く抑えられている。
 そうしたことが農業の発展を妨げる要因になっているという。

 土地についての議論は、これでひとまずおしまいにしよう。
 マーシャルは、これまで、労働、資本、土地のもたらす収入について検討してきた。最後に分配論についての補足をみておこう。
 まず強調されるのは、人的資本と物的資本の連続性である。人格が時間をかけて徐々に形成されるように、物的資本も徐々に蓄積されていく。
 青年の才能を開発するのは基本的には両親のほかになく、その効果は累積的である。したがって、長期的にみれば、「使用者にとってのある種の労働の貨幣的費用は、その労働を生みだす真実の費用にかなりよく対応する」という。質の高い労働力は一朝一夕には形成されない。
 企業者は人的要素と物的要素に要する費用を比較し、そこからいちばん収益性の高い組み合わせを選ばなければならない、とマーシャルはいう。
 労働には垂直的競争と水平的競争があるとも指摘している。つまり、職階を上昇する方向での競争と、同一職階内での競争。これらは連動しているともいえる。
 長期的にみると、こうした代替(入れ替え)をもたらす競争の原理は、職階・業種間を問わず、あらゆる局面ではたらいている。
 その原理は、未熟練労働者から熟練労働者、職長、部長にいたる連続性のなかでもみることができる。また個人企業経営者から大企業経営者へといたる連続的発展もありえないわけではない。だが、その途中で、失敗による脱落も数知れない。
 企業においては、大が小を吸収し、ますます巨大化する傾向がみられる。そのいっぽう、自己資本をほとんどもたない人が新しい事業を起こし、大企業を築いていく場合もある。
 事業経営に問われるのは能率だ、とマーシャルは強調する。「企業者は熟練工と同じく社会が必要とする用役を提供している」とも述べている。
 企業者は生産した商品の代価を受け取り、原料費と減価償却費、労働の対価を支払う。商品の売れ行きにより利潤の幅は変動する。それはときに大きくなり、ときにマイナスになる。利潤が増えても、従業員の賃金はすぐには変動しないし、変動してもその幅はちいさい。いっぽう、企業の赤字がつづくとき、そのしわ寄せは労働者の雇用にはねかえってくる。
 土地のもたらす地代は、いわば天与の贈り物である。それと同じく、並外れた天与の才能が、高い所得をもたらす事実も否定できない。「ひじょうに有能な企業者は一般に最高の利潤をあげるが、仕事のわりによけいの報酬をとっているわけではない」と、マーシャルは経営者を擁護している。
 国民分配分は、労働、資本、土地によってつくられた結合生産物(総商品)の価値であり、またその需要の唯一の源泉でもある。
 物的資本が増大するにつれて、資本は新しい用途に投入され、それによって全般的に雇用の場が拡大される。「資本の増大は国民分配分、つまりはすべての生産要素にたいする需要を拡大する」とマーシャルはいう。
 資本の使用にたいする競争が激しくなると、利子率が押し下げられ、企業は存続しやすくなり、新たな労働への需要も生じる。いくら機械が導入されるといっても、資本が労働に全般に代替することはありえない、とマーシャルは断言する。資本の増大は、さらに多くの商品の産出と、労働の雇用を生みだし、資本の所得分配率を縮小させていく傾向がある、とも述べている。
 労働能率の向上も労働量の増加も、ともに国民分配分を増加させる。しかし、一般に労働量の増加は、賃金の低下を招く。あるグループの労働者の賃金は、他のグループの労働者とその能率によって左右されるという依存関係が存在する、とマーシャルは指摘する。労働者は企業者が正常利潤を得られる限界以上に追加雇用されることはない。
 こうして、マーシャルの分配論の骨格は、ほぼ定まったといえる。

nice!(12)  コメント(0) 

nice! 12

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント