SSブログ

経済の進歩と国民生活の改善──マーシャル『経済学原理』を読む(21) [経済学]

 経済活動を活発にするのは、自然資源と、資源を活用する力、そして市場だ、とマーシャルは書いている。豊かな土地があり、気候も温暖というだけで、人は豊かにくらせるわけではない。逆に土地が貧しくても、外部世界とつながり、そこが交易の中心地となると、高い所得が得られる。繁栄をもたらす原因は、とりわけ市場の形成にある、とマーシャルは断言する。
 19世紀末から20世紀初めにかけて、イギリス経済は商品の大量生産、大量の労働力、機械化、株式会社、そして海外への輸出によって発展した。それを支えたのは、技術上の改良、経営上の努力、運輸交通の発達、通信の拡大だった。こうして、海外からは農産物が輸入され、また海外にはイギリスの工業製品が輸出されていた。
 しかし、アメリカやドイツでも次第に工業化が進むと、イギリスはその独占的地位を失うようになった。それでも産業が衰退しなかったのは、運輸業が発展したおかげだ、とマーシャルはいう。
 新しい経済時代は、商品の質の向上もうながした。たとえば、小麦や肉の品質はずっとよくなり、まだまだとはいえ、住宅の環境も改善された。
 石炭が製鉄用だけではなく、家庭用の燃料としても木材の代わりに利用されるようになったことも、この時代の進歩だ。さらに石炭が機械の動力として使用されることによって、衣服、とりわけ安い下着が提供されるようになった。
 大都会で水道が発達し、夜間も石油やガスによる照明が利用されるようになったことも、文明が発達したおかげだという。郵便や新聞、汽車や蒸気船も見逃せない。電気の将来にも期待できる、とマーシャルは述べている。
 近代といっても、19世紀末の世界は、まだそんな状況だったのだ。
 ここで、マーシャルはこう書いている。

〈国民分配分はその国のすべての生産要素の純生産の集計であるとともに、それらにたいする支払いの唯一の源泉である。それが大きくなるほど、他の事情に変わりがなければ、それぞれの生産要素の分け前も大きくなる。またどれかの要素の供給が増加すれば一般にその価格を低落させ、他の要素はそれだけ有利となる。〉

 国民総生産は国民総所得と一致する。言い換えれば、国民総生産が増大すれば、国民総所得も増大する。国民総所得(国民分配分)は、労働、資本、土地の生産要素に分配されるが、もし労働力の供給が増大すれば、一般に賃金が下落するし、資本の供給が増大すれば、利子が低下する。また土地の生産性が増大すると、農産物の価格が低下し、資本家や労働者に利便性をもたらす。
 交通手段の発達はだいたいにおいて、地価を上昇させる。いっぽう、機械などの固定資本の価格は、どちらかというと低落する傾向がある。鉄道やドックなどの施設の価値は、立地条件によって左右されるが、産業発展に伴って、その価値は一般に上昇するとみてよい、とマーシャルは述べている。
 イングランドでは17世紀以降、一人あたりの富の大きさは上昇をつづけている。そして、人びとは、将来を見越すことのできる「展望鏡」的な資質をもつようになった。
 慎重さと克己心が現代人の特徴である。「かれらは利己的なところは少なくなり、家族のために将来のそなえをしようとして、いっそうよく働き、かつ貯蓄をするようになった」。そのことが社会の富と高尚な生活をもたらす推進力になっていくだろう、とマーシャルはいう。
 将来のために、人びとが進んで努力するようになったため、西欧では休日が少なくなり、労働時間が増えてきた。だが、その傾向もすでに頂点に達し、これからは労働時間も減っていくだろう、とマーシャルは予測する。人びとは過重な仕事から逃れて、休息を高く評価するようになるだろうという。
 中世には10パーセントだった利子率は、18世紀には3パーセントに低落した。その後、資本需要の増加によって利子率は上昇したが、産業発展の基調はもはや揺るぎないものになっている。
 社会が発展すると、国富の多くが人的資本にも投入されるようになった。その結果、読み書きの水準が上昇し、科学的な知識も増え、かつては習得のむずかしかった技能も、機械化とともに、より簡単に習得できるようになった。
 かつて熟練工の賃金は未熟練工の賃金の2倍が相場だったが、機械化の進展により、その差は徐々に縮まっている。実質賃金は次第に上昇している。
 女性の賃金も相対的に上昇した。また並外れた才能をもつ者が獲得する所得は上昇し、かつてない迅速さで巨富を積むことができるようになった。いっぽう、かれらと、ごくふつうの才能しかもたない人との所得格差は広がっている。
 大きな富がもたらされたのは、全般的な富の蓄積と、新しい運輸通信手段の発達があったからである。弁護士や才能のあるスポーツ選手、画家、音楽家などが、高い報酬を得るようになり、たとえばアメリカではニューヨーク・セントラル鉄道をつくったヴァンダービルトなどが巨富を築いた。
 だが、こうした巨富は例外であって、重要なのは中位の富の形成である。中産階級の所得は上昇しており、全般的にみれば、富裕層よりも中産階級の所得増加が目立っている。
 大規模な金融資本家が巨大な力をもつようになったのも現代の特徴である。
 そんなふうにマーシャルは書いている。

「経済進歩の本当の基調をつくりだすものは、新しい欲望の形成ではなくて新しい活動の展開なのである」というのは、いかにもマーシャルらしい。すなわち、活動なくして、欲望は満たされない。
 マーシャルによれば、「生活基準」とは「欲望を考慮にいれたところの活動の基準」を意味する。
 経済活動なくして、生活基準は上昇しない。しかし、生活基準が上昇すれば、人びとの知性・活力・自主性が向上し、支出が思慮に富んだものとなり、実質賃金も国民所得も上昇する。
 欲望が増大するだけでは、人びとは前よりみじめになるだけである。欲望の増大が間接的に活動を上昇させ、それによって生活基準が向上しなければ意味がない。
 人は食べて寝るだけの、ぎりぎりの生活には満足しない。娯楽や少しのぜいたくも必要である。人間にとって、希望と自由と変化は必需品だ、とマーシャルはいう。
 イギリスでは1846年に穀物法が廃止されたおかげで、南北アメリカやオーストラリアからじゅうぶんな小麦が輸入され、低い実質費用で食糧を入手できるようになった。しかし、食料価格が下がっただけでは、人口の増加にともなって、賃金はむしろ抑制されてしまうかもしれない。
 労働の能率が大幅に上昇し、国民分配分が「人口に比べて相対的に増大し、持続しうるかたち」になって、はじめて賃金は上昇する。それによって、社会全体の生活水準も上がっていくはずだ、とマーシャルは考えた。
 労働組合が労働の供給を制限すれば、賃金は一時的に上昇する。しかし、それは長続きしない。また組合が会社に独占的な商品しかつくらせないようにしても、それはすぐに競争によって打ち破られてしまう。
 いっぽう、余暇や休息を与えず、労働者を過剰な労働にかりたてることは、個々の資本家にとってだけではなく、社会全体にとっても不経済である。ある程度の休みをとり、緊張をゆるめる時間をつくらないと、仕事の効率は上がらない、とマーシャルはいう。
 そのいっぽう、機械の稼働率を上げることで生産効率が上がるなら、勤務を2交替制にするのも悪くないと書いている。
 マーシャルは、賃金を上げようとして、労働力の供給を人為的に制限する組合の方策に反対する。そんなことをすれば、賃金と利潤の源泉である国民分配分をかえって減らすことになるという。
 賃金が高く利潤が減れば、資本は海外に向かう。その結果、労働への需要は減り、やがて賃金が低下する。
 したがって、労働の能率を低下させるような手段で賃金を引き上げようとするのは、反社会的で近視眼的であるという。
 だが、マーシャルは労働時間の短縮にはかならずしも反対していない。時短は一般に生産と賃金を減少させるが、にもかかわらず、それによって生産が増大し、賃金が上昇する場合がないわけではない。唯一、労働生産性が上昇する場合である。
 イギリスの労働組合は、労働者の賃金を上げ、その生活水準を向上させることをめざしている。その視野はいちじるしく狭いが、それでも組合が使用者と対等の立場で交渉をおこなってきたことをマーシャルはそれなりに評価している。
 労使の賃金交渉が決裂した場合、組合はストライキやロックアウトといった手段に訴えるが、そこには「野蛮な人々のあいだの激しいゲリラ戦とは異なった文明国民のあいだの節度のある戦争といったおもむきがある」と、わりあい冷静に書いている。
 しかし、労働組合には権利とともに義務がともなうはずだ。
 組合と使用者のあいだでは、1時間の一定の労働ないし作業量にたいし、支払われるべき標準的賃金が定められる。マーシャルは、こうした取り決めを「コモンルール」と呼んでいる。
 いっぽう、使用者の側も仲間どうしで、たがいにほかより高い賃金をださないという協定を結んでいる。しかし、優先されるのはコモンルールのほうである。
 使用者も労働組合のいいなりに賃金を上げるわけではない。あくまでも労働生産性が上昇することへの期待を踏まえて、賃金交渉に臨んでいる。
 労使間のコモンルールにより、労働と賃金の基準が定められると、それは国民全体にも利益をもたらし、社会福祉の向上にも役立つ。そうしたルールが守られれば、事業経営に支障をきたすことはないだろう、とマーシャルは書いている。
 だが、組合が、能率の低い若年労働者や高齢労働者にも同等の賃金を払わせたり、機械の導入を阻止したり、職務を限定したりするような「反社会的な」行動にでるときには、かえって国民生産を抑制し、その結果、よい賃金の得られる雇用を縮小させてしまうことになる、とマーシャルはいう。
 さらに問題は貨幣価値が変動することである。インフレになれば賃金が上昇するが、まもなくデフレがやってくると、適正賃金での雇用を維持するのもむずかしくなってくる。
 賃金を調整するのはむずかしい。しかし、高賃金を維持しようとするあまりに、失業の増加を招くのは感心しない、とマーシャルはいう。
 景気が後退すると、需要が縮小し、それが連鎖反応をおこして、さらに不況が深刻化していく。

〈事態悪化の主要な原因は確信の喪失である。確信さえ回復すれば、悪化した事態の大半はほとんど即座に改善されよう。確信はすべての産業にちょうど魔法のつえのように生産をよみがえらせ、その生産を続行させ、他の産業の製品の需要を起こさせるのだ。〉

 経済はやがて確信を取り戻し、不況から好況へ、そしてまた好況から不況へと景気循環の波をくり返していく。
 マーシャルは、資本主義が富の分配を改善の方向に導いているという。これにたいし、政府がすべての生産手段を占有する社会主義的計画経済が実施されれば、経済的活気がなくなり、社会的繁栄は失われてしまうだろうと断言する。
 国民分配分の増大をもたらすのは、発明の継続と生産設備の蓄積である。これらを可能にするのは民間の力であって、けっして政府の役人ではない。「生産手段の公有は人類の活力を殺し経済進歩をとめてしまうのではないか」と、マーシャルはいう。
 さらに国民所得を平等に分配すると、中間層の生活水準をも引き下げてしまうことになりかねない。その結果、「公有制はおそらく個人的、家庭的な生活上のあいだがらにみられるいちばん美しくたのしいものを多くこわしてしまうであろう」。
 とはいえ、巨大な富と極端な貧困が併存していいわけではない。富の不平等が現代の経済組織の重大な欠陥であることを、マーシャルも認めている。
 そのためには、水準以下の人たちの所得をいくらかでも引き上げる努力をしなければならない。最低賃金制の導入は、そのための方策のひとつである。
 国民全体の幸福は、ほかの階級よりも下層階級の所得を上昇させることによって、より多く得られる。社会の責任は大きい、とマーシャルはいう。

〈われわれはそこで、機械化の進展を十分に促進し、未熟練な作業しかできないような労働の供給を縮小させるように努力し、それによって国民の平均所得をこれまでよりもいっそうすみやかに成長させ、未熟練労働者が受け取る分け前を相対的に増大させるようにしなくてはならない。〉

 教育にたいしては、惜しみなく公共の資金を投じなくてはならない。労働者の居住区を快適にし、子どもたちが遊べる空き地を確保するための資金を惜しんではならない。医療や衛生にたいする公的援助や規制も必要である。こうしたことは国家の義務だ、とマーシャルはいう。
 経済活動の中心を担っているのは、中産階級である。この層の指導的な人びとが発明や改良を生みだしてきたからこそ、労働者階級はこれまで手にしたこともない品々を手に入れることができるようになった。
 できうれば、経済騎士道が普及して、富裕な人びとが公共の福祉に関心を示し、かれらの資力を貧しい人びとのために活用することを、マーシャルは望んでいる。
 だいじなのは青年の資質と活動なのである。社会に求められるのは、かれらの資質を伸ばし、有能な社会人として育てることである。その家庭環境を整え、場合によっては援助する態勢をとらなければならない。
 人間性の要素はそう簡単には変えられない。社会主義者は社会主義になれば、人間性も変化するというが、そうは簡単にはいかないだろう。人が私有財産を求めるのは、それなりの理由がある。
 現在の経済的害悪を強調し、それにたいし社会主義の希望をふりまくだけでは、問題は解決しない。それは「山師の強い薬のように、多少の即効を示すが同時に広く長くつづく衰退のたねをまくべつの道を性急にえらぶことになりかねない」とマーシャルはいう。
 かといって、現状に満足しきるのは無気力というものである。「無気力な人たちは、現代のような大きな資力と知識をもっていながら……貴重なものがつぎつぎと破壊されていくのをじっと眺めており、それで昔はもっとひどかったとみずからをなぐさめて、現代の害悪にはなにもしようとはしないのである」
 マーシャルの経済学は、社会主義の幻想や悲観論者の無気力をしりぞけて、経済の実際問題に対応していくことを目指していた。

nice!(15)  コメント(0) 

nice! 15

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント