エディンバラ王立植物園──スコットランドの旅(4) [旅]
年の暮れだというのに、いまごろになって夏のスコットランド家族旅行についてまとめています。みんな忙しいので、ひまなぼくが記録係を担当をおおせつかっているわけですが、なまけものなので、ついついまとめが遅れてしまいます。それも仕方ありません。のんびり旅行の記録です。
8月6日(月)午後
午前中にホリールード宮殿を見学したわれわれは、6番のバスで昼すぎにエディンバラのセンター、ハノーヴァー・ストリートまで戻ってきました。
おなかもすいたので、まずはお昼ということで、ちょっと脇道にはいり、よさそうなレストランに飛びこみました。
マテオ君と孫のユウキは豪快にステーキを注文。ぼくはビール付きで、フィッシュ&チップス、つれあいはワイン付きでハギスを頼みます。これぞ旅行の楽しみ。しかし、どうみても食べ過ぎで、午後の見学はおざなりになってしまいます。
食事を終えてバス通りに戻り、王立エディンバラ植物園に行くことにしました。そのバスに乗るため、元の通りに戻ると、ハノーヴァー・ストリートとジョージ・ストリートの交差点に銅像が立っています。
ジョージ4世の銅像です。
ジョージ4世(1762〜1830、在位1830〜40)はハノーヴァー朝(1714〜1901)の国王で、病気の父親を代行した摂政(リージェント)時代が長く、ナポレオン戦争中も贅沢三昧をつづけてきたことで、どちらかというと評判の悪い王様です。
その王様の銅像がなぜエディンバラに立っているかというと、話せば長いことながら、ここにはイングランドとスコットランドのこじれた歴史の因縁があるのです。
われわれはイギリスは昔から統一されていると思いがちですが、イングランドとスコットランドが正式に統合されるのは(征服と戦いの時代もありました)、何と1703年になってからのことです(そして、そのあとに、さらにジャコバイトの反乱がおきます)。
イングランドとスコットランドとの統合後、イギリス国王がスコットランドを初めて訪問するまで100年以上の月日が流れました。それが1822年のジョージ4世だったというわけです。
ジョージ4世の訪問は、イングランド・スコットランド統合の象徴だっただけではありません。
このときの訪問で、国王にタータン柄の衣装を身につけるよう提案した人物がいます。それが小説家のウォルター・スコットです。ぼくは読んだことはありませんが、『ウェイヴァリー』や『アイヴァンホー』が代表作ですね。
じつはスコットランドには高地人と低地人の根深い対立がありました。タータンチェック柄はほんらい高地人の出自をあらわす衣装です。スコットの提案で、それを国王が身につけたことによって、ジョージ4世は、スコットランド低地人とゲール語を話す高地人との融合をうながす役割を果たすことにもなったわけです。
ほんらい、ハギスとキルトはまったく別系統の文化でした。それがスコットランドを代表する料理と服装とみられるようになったのは、元をたどればスコットの演出以来かもしれません。
さて、植物園に向かう27番のバスはまっすぐ海に向かってくだっていきます。エディンバラが海に面した坂の町であることを実感します。こういうところは、実際にやってこないとわかりませんね。
植物園に着きました。東ゲートからはいって、案内所に。
入園は無料。王立とあって、さすが太っ腹です。
ところが、いかんせん、ぼくは食べ過ぎ飲み過ぎで、胃のあたりがむかつき、歩くのも苦しい。
内部は広大で28ヘクタールもあります(ちなみに日比谷公園や小石川植物園の約1.8倍)。このあたり、少し誤算でした。
池の脇を通り、見たこともないかたちをした木々(たぶんチリマツ)を見ながら進んでいきます。
するとヴィクトリア様式の温室につきあたりました。時間の関係もあって、残念ながら、中にははいりませんでした。
案内によると、この温室がつくられたのは1858年で、なかには熱帯の高木や直径2メートル以上の巨大ハス、ランやソテツ、シダ、サボテン、それに世界最大の花として知られるショクダイオオコンニャクなども集められているとか。
温室の先には、アルプスの花を集めたコーナーもありました。
われわれはともかく園内を一周します。
ショップのある建物でひと休み。その前の池には黄色いアサザの花が咲いていました。
この植物園がつくられたのは1820年ごろだといいます。その前にも、午前中に訪れたホリールード宮殿の近辺に薬草園のようなものはあったようですが、できるだけ多くの植物を収集するという発想のもとで、この植物園がつくられ、植物の分類と総合、展示がこころられたわけです。植物園もまた、近代の知の産物といえるのかもしれませんね。
公園でもあるこの植物園には、現在、全世界から1万3500種、12万8000以上の植物が集められているといいます。かつての大英帝国の力を感じさせますね。
われわれは夕方5時ごろまでここにいて、バスでふたたび中心街に戻ってきました。
街は昨日に続き、フェスティバルにわき、あちこち大道芸もみられ、思わず迷子になりそうでした。
グラスマーケットを散策します。このあたりには、かつて処刑場があったそうです。殺人犯もうろうろ。そう聞くと、ちょっとこわいですね。
建物が切れたあいだから顔を出す城は荘厳でもあり、威圧的でもあります。エディンバラの天気は、晴れていたかと思えば雨が降り、また晴れるといったようにめまぐるしく変わります。
そろそろこの町ともお別れ。
われわれはまた例によって、夕食を求めて方々を歩き回り、ようやくぱっとしない中華料理店にはいりました。
帰りのバスは2番ですが、20分くらい待ったので、みんなの機嫌がだんだん悪くなります。焦っても仕方ないのにね。
旅はまだはじまったばかり。明日はグラスゴーへ。まあのんびり旅を楽しみましょう。
8月6日(月)午後
午前中にホリールード宮殿を見学したわれわれは、6番のバスで昼すぎにエディンバラのセンター、ハノーヴァー・ストリートまで戻ってきました。
おなかもすいたので、まずはお昼ということで、ちょっと脇道にはいり、よさそうなレストランに飛びこみました。
マテオ君と孫のユウキは豪快にステーキを注文。ぼくはビール付きで、フィッシュ&チップス、つれあいはワイン付きでハギスを頼みます。これぞ旅行の楽しみ。しかし、どうみても食べ過ぎで、午後の見学はおざなりになってしまいます。
食事を終えてバス通りに戻り、王立エディンバラ植物園に行くことにしました。そのバスに乗るため、元の通りに戻ると、ハノーヴァー・ストリートとジョージ・ストリートの交差点に銅像が立っています。
ジョージ4世の銅像です。
ジョージ4世(1762〜1830、在位1830〜40)はハノーヴァー朝(1714〜1901)の国王で、病気の父親を代行した摂政(リージェント)時代が長く、ナポレオン戦争中も贅沢三昧をつづけてきたことで、どちらかというと評判の悪い王様です。
その王様の銅像がなぜエディンバラに立っているかというと、話せば長いことながら、ここにはイングランドとスコットランドのこじれた歴史の因縁があるのです。
われわれはイギリスは昔から統一されていると思いがちですが、イングランドとスコットランドが正式に統合されるのは(征服と戦いの時代もありました)、何と1703年になってからのことです(そして、そのあとに、さらにジャコバイトの反乱がおきます)。
イングランドとスコットランドとの統合後、イギリス国王がスコットランドを初めて訪問するまで100年以上の月日が流れました。それが1822年のジョージ4世だったというわけです。
ジョージ4世の訪問は、イングランド・スコットランド統合の象徴だっただけではありません。
このときの訪問で、国王にタータン柄の衣装を身につけるよう提案した人物がいます。それが小説家のウォルター・スコットです。ぼくは読んだことはありませんが、『ウェイヴァリー』や『アイヴァンホー』が代表作ですね。
じつはスコットランドには高地人と低地人の根深い対立がありました。タータンチェック柄はほんらい高地人の出自をあらわす衣装です。スコットの提案で、それを国王が身につけたことによって、ジョージ4世は、スコットランド低地人とゲール語を話す高地人との融合をうながす役割を果たすことにもなったわけです。
ほんらい、ハギスとキルトはまったく別系統の文化でした。それがスコットランドを代表する料理と服装とみられるようになったのは、元をたどればスコットの演出以来かもしれません。
さて、植物園に向かう27番のバスはまっすぐ海に向かってくだっていきます。エディンバラが海に面した坂の町であることを実感します。こういうところは、実際にやってこないとわかりませんね。
植物園に着きました。東ゲートからはいって、案内所に。
入園は無料。王立とあって、さすが太っ腹です。
ところが、いかんせん、ぼくは食べ過ぎ飲み過ぎで、胃のあたりがむかつき、歩くのも苦しい。
内部は広大で28ヘクタールもあります(ちなみに日比谷公園や小石川植物園の約1.8倍)。このあたり、少し誤算でした。
池の脇を通り、見たこともないかたちをした木々(たぶんチリマツ)を見ながら進んでいきます。
するとヴィクトリア様式の温室につきあたりました。時間の関係もあって、残念ながら、中にははいりませんでした。
案内によると、この温室がつくられたのは1858年で、なかには熱帯の高木や直径2メートル以上の巨大ハス、ランやソテツ、シダ、サボテン、それに世界最大の花として知られるショクダイオオコンニャクなども集められているとか。
温室の先には、アルプスの花を集めたコーナーもありました。
われわれはともかく園内を一周します。
ショップのある建物でひと休み。その前の池には黄色いアサザの花が咲いていました。
この植物園がつくられたのは1820年ごろだといいます。その前にも、午前中に訪れたホリールード宮殿の近辺に薬草園のようなものはあったようですが、できるだけ多くの植物を収集するという発想のもとで、この植物園がつくられ、植物の分類と総合、展示がこころられたわけです。植物園もまた、近代の知の産物といえるのかもしれませんね。
公園でもあるこの植物園には、現在、全世界から1万3500種、12万8000以上の植物が集められているといいます。かつての大英帝国の力を感じさせますね。
われわれは夕方5時ごろまでここにいて、バスでふたたび中心街に戻ってきました。
街は昨日に続き、フェスティバルにわき、あちこち大道芸もみられ、思わず迷子になりそうでした。
グラスマーケットを散策します。このあたりには、かつて処刑場があったそうです。殺人犯もうろうろ。そう聞くと、ちょっとこわいですね。
建物が切れたあいだから顔を出す城は荘厳でもあり、威圧的でもあります。エディンバラの天気は、晴れていたかと思えば雨が降り、また晴れるといったようにめまぐるしく変わります。
そろそろこの町ともお別れ。
われわれはまた例によって、夕食を求めて方々を歩き回り、ようやくぱっとしない中華料理店にはいりました。
帰りのバスは2番ですが、20分くらい待ったので、みんなの機嫌がだんだん悪くなります。焦っても仕方ないのにね。
旅はまだはじまったばかり。明日はグラスゴーへ。まあのんびり旅を楽しみましょう。
2018-12-28 09:59
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