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橋本治『二十世紀』を読んでみる(3) [本]

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 引きつづき橋本治の『二十世紀』を読んでいる。
 1910年代だ。
 1911年には帝国劇場がオープンする。中産階級のあいだでは「今日は三越、明日は帝劇」といわれるようなライフスタイルがはじまっている。しかし、奥さんたちが着ているのは、まだ着物である。
 平塚らいてうは雑誌『青鞜』をつくる。青鞜は青いストッキングのこと。そのころ、日本ではだれも青いストッキングなんかはいていなかっただろう、と橋本はいう。
 しかし、歴史はファッションやライフスタイルから動いていく。
 ヨーロッパでも、ファッションがシンプルになるのもこのころから。裾を引かないドレスが登場し、コルセットに替わってブラジャーが登場する。
 女性が、ただ見えるだけでなく、ますます見せる存在になっていく。
 1912年にはアルフレッド・ヴェーゲナーが「大陸移動説」を発表する。ゆるぎないと思われたこの大地が動いているという感覚。自己も絶対ではない。国家も絶対ではない。相対的なものだ。相対主義の時代がはじまっている。そのなかで、人はどのようにみずからの針路を見つければよいのだろうか。
 この年、日本では明治が終わり、夏目漱石が『こころ』を発表する。美濃部達吉はいわゆる「天皇機関説」を示した。
 中国では中華民国が成立する。世界は揺れている。
 1913年、第1次世界大戦が勃発する。それは日本にとっては、遠い欧州の戦争のように思われた。したがって、当時の名称は「欧州大戦」。まさか、それが、「第1次世界大戦」になるとは、だれも思っていない。
 日本では藩閥政治に代わり政党政治を求める声が高まっていた。いわゆる「大正デモクラシー」。政治を担うのは、元老と藩閥ではなく、国民の代表であるべきだ。
 東京では笹塚から調布まで、京王電鉄が走るようになる。すでに山手線は走っていた。だが環状線にはなっていない。その要となる東京駅ができるのは、ようやく1914年のこと。
 東京の歴史がはじまるのは、やっとこのころからだ、と橋本治は書いている。
 サラエボから火の手が上がった戦争は、ドイツ対フランス・イギリスの戦いになってしまう。オーストリアとセルビアはそっちのけ。「これを『バカバカしい』と言わずしてなんであろう」
 だが、ナショナリズムをあおって突きすすむ「バカげた」戦争がはじまるのも20世紀になってからだ、と橋本はいう。もはや、戦争は王族どうしの勝手な戦争ではありえなくなっている。
 このとき日本はドイツに宣戦布告して、中国の青島を攻撃する。戦争は好景気をもたらした。イケイケのバブルになる。そのあと、調子に乗って、中国に「二十一カ条」の要求をつきつけたりもした。
 日本は戦争をして領土を増やす(勢力を拡大する)という発想にこだわっている。それはすでに古臭い発想だった。
「近代日本の対外的ゴタゴタの原因は、日本が“市場”ではなく“領土”を求めたその古臭さによるものだろう」と、橋本。
 ヘン、バカげた、古くさが、日本の近代史を読み解くキーワードだ。
 戦争中の1916年にフランツ・ヨーゼフ1世が亡くなると、オーストリア帝国はひたすら解体への道をたどる。名門ハプスブルク家は終焉を迎える。
 1917年、ドイツを出自とするイギリスの王家はそれまでのドイツ風家名を「ウインザー家」とあらためる。
 ヨーロッパでの戦争はまだつづいていた。スイスに亡命中のレーニンはロシアに戻る。3月8日、デモとストライキの騒乱状態のなか、ニコライ2世は退位。これで、ロシアにも皇帝はいなくなり、ロシアは共和国になる。
 さらに11月6日、ボルシェヴィキの武装蜂起により、ロシアでは史上初の社会主義政権が誕生する。
 1918年、やっと第1次世界大戦が終わる。ドイツ帝国からもオスマン帝国からも皇帝が追放される。
ヨーロッパの戦死者はじつに790万人にのぼる。だが、戦争の終わりは、新たな混乱のはじまりとなった。
 1919年は冥王星が発見された年でもある(2006年まで、冥王星は太陽系の第9惑星とみなされていた)。同じ年、フロイトは「無意識」を発見する。ドイツではナチス、イタリアではファシスト党が結成される。
 1920年、日本は好景気が終わり、不景気になる。しかし不思議なことに、そのころ映画が娯楽の王者となり、雑誌が次々創刊されている。チャンバラ・ブームがはじまる。大阪では日本初のターミナルデパートが出現し、宝塚少女歌劇も創設される。
「右肩上がりの成長神話」が登場したのもこのころだ。
 大衆時代は国家(や経済)の拡大を希求する時代でもある。こうして、戦いへのアクセルが踏まれる。

〈第1次世界大戦中の好景気は、日本に「帝国主義的な世界進出」を可能にし、その後の不景気は、「この不景気をなんとかしろ」という形で、日本を帝国主義的侵略の道──戦争へと進ませる。〉

 第2次世界大戦が起こるのは、第1次世界大戦がきちんと終わらなかったからだ、と橋本治はいう。
 戦勝国は敗戦国に過剰な賠償金の支払いを求めた。取れるものなら取ろうという欲が、戦争を引き延ばし、次の戦争を引き起こすことになる。
 1922年、イタリアではムッソリーニが政権の座につく。
 イタリアが国になったのはようやく1861年になってからだ。それまでもイタリアはあったが、ひとつのまとまった国ではなかった。そこにイタリアのややこしさがある。
 第2次世界大戦を引き起こす枢軸国──ドイツ、イタリア、日本──はある意味では、いずれも新しい国だ。
 ムッソリーニが実施した武装デモンストレーション「ローマ進軍」はほんらい鎮圧されるべきであったのに、かえって国王によって評価され、ムッソリーニは首相に指名される。そのあとは、やりたい放題。その無茶ぶりがかえって喝采を浴び、それがヒトラーに引き継がれていく。
 1923年、レーニンは脳卒中で再起不能となり、翌年亡くなる。その後はスターリンが実権を握り、ロシアに恐怖政治を敷いていく。
 ヒトラーはいわゆるミュンヘン一揆をおこし、逮捕されるが、8カ月ほどで釈放され、その間に『わが闘争』を執筆する。
 日本では関東大震災が発生し、大きな被害がでるなか、朝鮮人や無政府主義者が殺害される。不安と妄想が広がっていた。
 1924年、監獄から出てきたヒトラーはバイエルンで活動を再開する。そのころワイマール共和国に反対するグループが南ドイツに集まっていた。そのなかで、ヒトラーは頭角を現していく。
 1925年、パリではアール・デコ(装飾美術)が登場する。アール・ヌーヴォーが貴族的、ブルジョア的だったとすれば、そのあとにつづくアール・デコは、きわめてシンプル。「大量生産を可能にした近代工業によって送り届けられる『中流市民のための美』だった」
 そうした簡略化された美的感覚は、その後、世界中に広がっていく。モダニズムはビジュアルなのだ。
 しかし、世の中はますます欲の時代。

〈第1次世界大戦後のヨーロッパを第2次世界大戦へと導くのは、敗戦国ドイツに対する容赦のない賠償金取り立てである。……「二度とドイツが立ち直れないくらい、徹底的に痛めつけてやれ、取れるものは全部搾り取ってやれ」という発想になる。〉

 そうした強欲が、ドイツの反発をかき立てることにフランスやイギリスはあまりに無自覚だった。
 1927年には、芥川龍之介が「ただぼんやりした不安」ということばを残して自殺する。その翌年、関東軍は張作霖爆殺事件を引き起こす。
 さらに、それから3年後、満州事変が勃発する。日本はどうしても満州を取りたかった。
政党政治は阻まれ、葬られた。天皇の名のもとで、軍部が勝手にそのエゴを肥大化させる時代がはじまろうとしていた。
 きょうはこのあたりで。のんびり気ままな読書です。それにしても、橋本治という人は、近くだけでなく、ずいぶん遠くまで見ていたのだなと感心します。

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