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橋本治『二十世紀』を読んでみる(6) [本]

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 1960年は安保闘争の年だ。首相の岸信介は反対の声が渦巻くなか、改定安保条約の批准を強行した。改定の目的は「アメリカに日本防衛の義務を負わせること」だった。それ自体は一見よさそうにみえる。だが、橋本にいわせれば、それは、日本がアメリカの片棒をかついで、アメリカへの協力姿勢を強めるための改定だった。
「[日本は独立したが]自立がないから、すべての議論は依存の中で空回りする」と、橋本は書いている。
 1961年には池田勇人内閣の「所得倍増計画」がスタートする。そのあと、日本は東京オリンピックを迎え、高度成長に突入する。「所得倍増計画」という選挙用のスローガンは大受けして、前年の暗いムードを吹き飛ばし、人びとに「月給が倍になる」という幻想をいだかせた。もっと働いて、カネ儲けをしようという風潮が広がっていく。
 1962年にはキューバ危機がおこる。ソ連製の攻撃用ミサイルがキューバに持ちこまれていることがわかり、アメリカのケネディ大統領はその撤去を求めて臨戦態勢にはいる。
 これをみると、悪いのはキューバとソ連のようにみえるが、橋本はかならずしもそうではないという。
1959年のキューバ革命は、親米のバティスタ独裁政権を倒した。だが、アメリカは革命指導者のカストロを「赤」呼ばわりして、さまざまな経済制裁を科し、CIAによるキューバ侵攻作戦さえ実施した。その結果、キューバを社会主義陣営へと追いこんでいった。いわば自業自得なのである。
 キューバ危機は回避されるが、「『キューバ危機』とは、冷戦構造の結果ではなく、アメリカのエゴの結果である」と、橋本治は明言している。
 1963年11月22日、テキサス州ダラスでケネディが射殺される。事件の真相はいまだに謎だ。後任のジョンソンはヴェトナム戦争をエスカレートさせ、「北爆」を開始する。ヴェトナム戦争もケネディが準備したものであり、1975年までつづくことになる。
 1964年10月10日、東京オリンピックが開かれる。それに先立ち、東海道新幹線が営業をはじめる。
東京オリンピックは「戦後の廃墟から復興を遂げた東京の市街を、徹底的に破壊するところから始まった」。川の上に高速道路がつくられ、下水道工事が加わり、競技場や周辺設備がつくられ、皇居の外堀が埋められ数寄屋橋がなくなる。その前に、東京タワーが完成していた。
「『作って壊す、壊して作る──そうすれば繁栄は訪れる』という信仰の始まりが東京オリンピックにあるのは間違いない」。日本人はへんなところでせっかちで、ミエっ張りだ、と橋本はいう。
 1965年1月、日本ではじめてスモッグ警報が出される。「公害」という言い方はまだ定着せず、「環境汚染」ということばもない。大気汚染防止法ができるのは1968年のこと。1970年には「光化学スモッグ」が出現する。大量消費が大量のゴミを生みだしていた。
 水俣では10年以上前から水俣病が発生していた。チッソの排水に含まれる有機水銀が原因だった。だが、企業はなかなか責任を認めようとしなかった。
 1966年、日本にビートルズがやってきた。長髪がはやりはじめる。女性のあいだでは、まもなくミニスカートが流行する。
 早稲田大学では授業料値上げ問題などから全学ストが発生し、学生運動時代の走りとなる。
 中国では文化大革命がはじまり、1976年までつづく。「文化大革命は、1959年に国家主席を辞任した毛沢東の逆襲である」と橋本は明言する。中国は、近代化に失敗して失脚した「毛沢東を思想上の“皇帝”とするラジカルな原始時代へ逆戻りする」。
 毛沢東はどこかズレていた。だが、若者たちは、造反には意味があるとのメッセージを受け取る。
 1967年、アメリカでは『俺たちに明日はない』、『卒業』といった「ニュー・シネマ」が誕生する。もはや建前やきれいごとの時代ではない。
 ヴェトナム戦争では「枯れ葉剤」が使われ、ニューヨークでは大規模な反戦デモが繰り広げられる。さらに7月にはデトロイトで、史上最大の黒人暴動が発生した。
 東京では美濃部亮吉の革新都政が誕生する。
 中東では第3次中東戦争が発生し、イスラエルがエジプトに圧勝する。ヨーロッパではEC(欧州共同体)が結成される。
 10月には佐藤訪米を阻止しようとして、三派系全学連による羽田闘争がおこる。新左翼の登場である。
 1968年、医学部の学生処分問題から東大闘争が広がる。使途不明金問題から日大闘争がおこる。フランスでは5月革命が発生する。
 アメリカはヴェトナムで北爆をつづけており、中国では文化大革命が進行している。社会主義からの自由を求めて立ちあがったチェコにソ連の戦車が侵攻する。
 1969年、ニクソンは北爆を強化する。
 東大の安田講堂に籠もる学生たちは、機動隊によって排除された。全共闘運動が広がり、全国全共闘連合が結成される。だが、ノンセクト・ラジカルは集団とはなりえず、けっきょくは散らばっていく。そのなかで過激化したグループが赤軍派などを結成するが、豊かな時代のなかに「新しい思想」は宿らず、ひたすら崩壊の道をたどる。
 アメリカでは40万人の若者を集めたロックコンサート「ウッドストック」が開かれる。宇宙船アポロ11号が月面着陸を果たす。
 橋本治はこう書いている。

〈1969年に、「思想」はその役割を終えた。「思想」は「豊かさ」を作り、その豊かさの中で「思想」は不必要になった。1970年から始まるのは、「思想」を必要としない「大衆の時代」なのである。〉

 1970年、大阪万博が開かれる。万博ではアポロ11号が持ち帰った「月の石」が展示されていた。日本は「繁栄の時代」に突入する。
 3月には赤軍派によるよど号ハイジャック事件、11月25日には東京市ヶ谷での三島由紀夫事件が発生するが、これを契機に「繁栄の日本から、極左の学生も極右の作家も去って行った」。
 ビートルズが解散する。アメリカでは女性解放のデモ行進や、ウーマンリブの集会が盛んになる。
日本では石牟礼道子の『苦界浄土』がベストセラーになった。「公害は、企業と国家権力が『悪』であるというところから始まって、やがては、文明社会・市民社会のあり方そのものが大気汚染・水質汚染を生むというところへ進む」
 1971年は大衆元年だ、と橋本治は書く。銀座では歩行者天国が始まり、マクドナルドが銀座三越に第1号店をオープンした。日清食品はカップヌードルを発売。新宿には超高層ホテルが誕生し、多摩ニュータウンができあがる。繁華街の中心は銀座から新宿・渋谷・池袋に移りつつある。スーパーマーケットの時代がやってくる。
 1972年、グアム島で元日本兵、横井庄一が発見される。さらに2年後、フィリピンのルバング島で小野田寛郎が発見される。沖縄が日本に復帰し、日中国交回復が実現する。
 追い詰められた学生運動の生き残り、連合赤軍のメンバーがあさま山荘事件をひきおこし、別のメンバーがイスラエルのテルアビブで銃を乱射する。佐藤栄作が辞任し、田中角栄が総理大臣になっていた。
 荒井(のちの松任谷)由実が歌手デビュー、『緋牡丹博徒』シリーズの藤純子がスクリーンを去る。歌謡曲に代わって、フォークソングがヒットし、やがて「ニューミュージック」となる。貧しい、つらいに代わって、オシャレが思想になっていく。
 1973年には第4次中東戦争を契機に、オイルショックが発生する。原油価格が上昇し、夜の町からネオンが消える。石油の値上げで、ペルシア湾岸の産油国は一時的に大儲けした。先進国のあいだでは省エネ・省資源の考え方が生まれる。オイルショックの前、通貨は変動相場制に移行していた。円は強く、日本は世界最強の経済大国となった。
 あのころのことを、いろいろ思いだす。

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