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橋本治『二十世紀』を読んでみる(7) [本]

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 1974年、立花隆の「田中角栄研究」が出て、田中角栄が総理大臣を辞任する。ウォーターゲート事件でアメリカのニクソン大統領も辞任する。2年後、ロッキード事件が追い打ちをかけ、田中角栄は逮捕される。それ以降は裁判を闘い、闇将軍の道を歩む。
 1975年、日本は不景気だが平和だった。紅茶キノコがブームになっている。アメリカはヴェトナムから撤退し、北ヴェトナム軍によってサイゴンが陥落。ヴェトナム戦争が終わる。カンボジアでは、ポル・ポトのクメール・ルージュがプノンペンを制圧する。
 スペインのフランコ、台湾の蒋介石が死に、翌年、中国の毛沢東が死ぬ。古い独裁者の時代が終わる。
 1976年、昭和は老いていく。自民党を離党した議員6人が新自由クラブを結成する。脱サラが流行する。
 1977年、アメリカ西海岸で、アップルのコンピューターが誕生する。映画『スターウォーズ』が公開される。ヴァーチャル・リアリティの時代がはじまる。日本ではピンク・レディが次々とヒット曲を生みだしていた。大学闘争をへて、就職した団塊の世代は、もはや社会変革を叫ぶことなく、社会に順応していく。
 1978年、南米のガイアナで、アメリカのカルト集団「人民寺院」の信者900人が集団自殺する。「人民寺院の事件は、社会に異を唱え、そのまま閉鎖され停止してしまった者達の末路を伝えるもの」だ、と橋本治はいう。
 しかし、カネのために生きる近代流の生き方に異を唱える人たちも確実に広がっていた。イランではイスラム原理主義革命によって、親米の独裁者、パーレビ国王が追放された。
 橋本によれば、これはキューバ革命と同じパターンなのだが、これ以来、反米のイランにアメリカは敵愾心を燃やすことになる。
 1979年の日本人は欧米のジャーナリストから「ウサギ小屋に住む仕事中毒患者」と揶揄されている。

〈1970年代を経過して、「モーレツ社員」という言葉は日本人の間に深く定着していた。「貧しさからの脱出」とは、そのまま「豊かさへの一直線」になるはずで、日本人は、あるはずのゴールを目指してひた走りに走っていた。ところがしかし、そのゴールがいつの間にかなくなっていた。〉

 次の時代は「心の時代」になるはずだった。そのころ、京都にノーパン喫茶がオープンする。「フーゾク」が産業になり、「オタク」が出現する。インベーダーゲームとウォークマンがはやる。
 日本人は孤独だった。若者たちは、社会の一角で、社会との無縁を演じはじめる、と橋本治は書いている。
 1980年、山口百恵が引退する。貧しい家で母親に育てられた彼女は、新聞配達をしてギターを手に入れ、テレビのオーデション番組で優勝し、歌手になった。

〈山口百恵は、「結婚」というゴールを勝ち取った。「仕事よりも結婚」を選択し、「結婚しても仕事を続ける」という選択をしなかった。不幸な家庭に育った彼女は、幸福な結婚を望んだ。……「新しい女の時代」に、山口百恵は少しも新しくなかった。山口百恵の新しさは、新しさが主流となろうとする時代に、平気で“古さ”を掲げたことだった。〉

 1981年、イギリスのチャールズ皇太子がダイアナと結婚する。これにより、ダイアナは「世界一有名な女性」の一人となった。
 だが、彼女の華やかな国際親善活動の影には、大きな問題が隠されていた。それがとうとう1996年の離婚、そして翌年の悲劇的な事故死へとつながっていく。
 ダイアナが登場したころ、日本では松田聖子がアイドルになっていた。「20世紀末の20年間、許された大衆の欲望は、無限定な上昇志向となり、社会を変容させていく」
 松田聖子は、そうした大衆的欲望の象徴だった、と橋本はいう。
 1982年、エイズと名づけられた奇病が、人びとを震撼させる。
 エイズは男どうしの性交渉によってだけではなく、異性間の性交渉でも感染することが明らかになる。決定的な治療法はなく、できるのは感染者の発病を遅らせることだけだ。
 エイズは語られなかった性行為の存在を浮上させる。その人類史的意味はどこにあるのだろう。
 1983年、日本は豊かだった。プラザ合意によって、円高が是認される。この年、日本では豊かなアメリカを象徴するディズニーランドがオープンし、そのいっぽうでは、かつての貧しさをえがく「おしん」が放映される。やがて「おしん」はまだ貧しいアジアの国々で喝采を浴びることになる。いまでもアジアの国の人たちが日本を好きなのは、なかば「おしん」のおかげだ。
 しかし、日本ではすでにスクラップ&ビルドが進行し、モデル・チェンジが主流になりつつある。レコードの代わりにCDが登場するように、車も住宅もテレビも冷蔵庫も、何もかもがモデル・チェンジの時代である。
 1984年、「日本は豊かで、国家に頼るまでもなく、民間の力は旺盛だった」と、橋本治は書く。強大な管理社会は求められていない。それよりも豊かさのなかの自由が求められていた。それが可能だったのは、民間の力が旺盛だったからだ。

〈[利潤の追求に]限定された欲望で生きる会社は、国家ほどには表立った抑圧を強制しない。国家に比べて、会社はより気弱な抑圧者である〉

 人がある国に生まれる以上、国家を選択する自由はほとんどない。しかし、会社を選択するのは、少なくとも多少は自由だ。
 だが、会社社会の「日本はただ騒がしく豊かで、モラルは宙ぶらりんのままだった」と、橋本治は記している。
 1985年、円高を背景に、日本人はやたら海外旅行をするようになる。ブランド品を身につけるようにもなった。
 テレビはお笑いの時代にはいり、シロウトの時代にもなる。少女マンガは大きく変わった。サブカルチャーが勃興し、「大衆の時代」が定着する。
 子どものあいだでは「いじめ」が深刻化する。家庭内暴力も話題になり始める。
 1986年、ソ連のチェルノブイリ原発が爆発事故を起こす。その前年、ソ連ではゴルバチョフが共産党書記長になっていた。だが、原発事故の真相はなかなか伝わってこなかった。ゴルバチョフがグラスノスチ(情報公開)を掲げていたにもかかわらず。
 ゴルバチョフが共産党書記長に就任したとき、ソ連の経済は破綻しかけていた。その原因は大きすぎる軍事予算だった。ゴルバチョフは軍縮に舵をとるが、党内の保守派はそれに抵抗した。いっぽうのアメリカはタカ派のレーガン大統領が「強いアメリカ」にこだわっていた。
 深刻な原発事故は党内保守派の介入を一時的に弱める。そこで、ゴルバチョフはペレストロイカを推し進める。それがソ連の終わりをもたらす、と橋本は書いている。
 ほんとうに、いろんなことがあった。20世紀はそろそろ終わろうとしている。

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