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ウズベキスタンの旅(2) [旅]

5月11日(土)
 中央アジアのウズベキスタンにいます。
 中央アジアというのは、どのあたりを指すのでしょうか。明確な定義はないようです。文字どおりアジアの中央部というのが、ぼくの印象です。
 地理的にいうと、中国、インド、ペルシア、ロシアに囲まれた地域。チベットやモンゴルも含まれるかもしれません。しかし、テュルク系の人びとが暮らす場所に限定すると、ここをトルキスタンと呼んでもいいでしょう。山と砂漠と草原からなる遊牧地帯で、現在はイスラム圏に属しています。
 トルキスタンは東トルキスタンと西トルキスタンに分かれます。東トルキスタンは中国の新疆ウイグル自治区、西トルキスタンは旧ソ連に属していたアゼルバイジャン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、カザフスタン、キルギスなどの国々からなります。
 西トルキスタンがソ連から分離独立したように、東トルキスタンも中国からの分離独立を望むのはとうぜんです。しかし、新疆ウイグル地区の面積は中国全体の6分の1を占めていますから、中国が漢民族の入植をはかるとともに、ウイグル地区の独立運動を徹底的に抑え込もうとするのも、それなりの理由があります。
 中央アジアはともかく、ウズベキスタンが西トルキスタンの中央に位置することはまちがいありません。しかも、ウズベキスタンは、東をキルギスとタジキスタン、北と西をカザフスタン、南をタジキスタン、アフガニスタン、トルクメニスタンに囲まれている二重内陸国です。
 面積は日本の1.2倍で、人口は約3200万。東部と南部を山岳に囲まれた乾燥地帯で、アム川(アムダリア)とシム川(シムダリア)の二大河川が流れ、そのまわりに農地とキジルクム砂漠が広がっています。
 さて、ここヒヴァについての説明は後回し。というのも、ヒヴァの城内はあした見学することになっていて、きょうは砂漠のなかにある古代ホレズム王国の遺跡を見にいくからです。
 それでも、いちおうホテルの屋上からみえた景色はこんな感じ。
_DSC0446ヒヴァ・イスラーム・ホジャのミナレット.JPG
 ホテルの入り口も写真に収めました。
IMG_2348.JPG
 朝9時ホテルをバスで出発します。ガイドさんは40代の女性で、話しはじめると止まりません。
彼女によると、ウズベキスタンは米のふるさとだとか。日本の学者では加藤九祚(きゅうぞう)を尊敬しているそうです。天然ガスと綿花が大きな産業です。
 畑では大勢の人が何か作業をしているようです。
_DSC0466.JPG
 これは田んぼではないでしょうか。たしかに米がつくられているようです。
_DSC0476.JPG
 綿花畑もあります。アム川(アムダリア)から縦横に引かれた水路が、田や畑の作物を支えています。
_DSC0481.JPG
 パミール高原に発するアム川は、いまはアラル海に流れ込むことなく、途中で干上がっているようです。ガイドさんは、アラル海が消えかかっているのは綿花栽培のために灌漑が過剰につくられたためではないと弁解しますが、はたして真相はどうでしょう。これは大きな運河ですね。
IMG_2363.JPG
 家畜の市場だそうですが、まだ市は開かれていないようです。
_DSC0484.JPG
 アム川が見えてきました。大河です。
_DSC0523ホラムズのアムダリア川.JPG
 郊外に同じタイプの家が並んでいますが、これは1991年の独立以来、いなかにきれいな家を建てようというカリモフ大統領の指示でつくられたものだといいます。
IMG_2366.JPG
 ウズベキスタンで観光がさかんになったのは2007年以降だそうです。スタンというのは場所、または国という意味のペルシャ語。独立前は、19世紀以来ロシア、さらにソ連の支配下にありました。平均寿命は男が65歳、女が75歳だといいます。平均収入は162万スム(約2万3000円、1000スム=約14円)ですが、物価はおそらく日本の5分の1くらいではないでしょうか。このあたり、1人あたりGDPという概念が必ずしも豊かさの尺度(幸福度はもちろん)にならないことがわかります。
 バスはだんだん砂漠にはいっていきます。
_DSC0552.JPG
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