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アヤズ・カラ──ウズベキスタンの旅(4) [旅]

 5月11日(つづき)
 前回、書きそびれてしまったのですが、われわれはユルタと呼ばれる天幕で食事をする前に、もうひとつの砦アヤズ・カラに登ったのでした。
 トプラク・カラからバスで10分くらいだったでしょうか。遺跡がみえてきます。
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 アヤというのは寒いという意味だそうですが、寒いどころか、登る途中の砂丘は40度の猛暑でした。
20人のツアー客のうち、8人ほどが脱落しました。
 砂のなかでも植物があちこち花を咲かせています。
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 これはヒルラといって、薬になるそうです。
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 だんだん砦に近づいてきました。
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 後ろをふり返ると、下にユルタが見えます。このユルタのひとつで、われわれはのちほど昼食をとったわけです。
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 砦のあとは、大きな広場のようになっています。
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 下にもちいさな砦があります。
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 昔、アレクサンドロス大王がこのあたりに侵入してきたそうです。そのとき砦は未完成で、そのまま放置されたといいます。
 アレクサンドロスというと歴史を感じますね。考えてみれば、中央アジアというのは、ギリシア・ローマとペルシア、インド、中国を結ぶ回廊のようなもので、東西からさまざまな人がやってくるのはとうぜんのことです。
 なかでも、西からはアレクサンドロス、東からはチンギスハンの二大英雄がこの地を駆け抜けます。
 はたしてアレクサンドロスが紀元前4世紀にはたして古代ホレズムまで侵攻したかどうかは疑問です。かれがカブールをへてサマルカンドにはいったのはたしかですが、ウルゲンチやヒヴァまできた形跡はありません。
 アヤズ・カラが途中で放棄されたのは、ほかに理由があると思います。いちばん考えられるのはアム川(アムダリア、旧名オクサス川)の流れが変わったことですね。そのへんのことは、ぼくにはわかりません。
 記念写真を撮ってもらいました。
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 暑さのため、ぼくはすっかりばてました。ほうほうのていで下りてくると、ユルタの隣にラクダを発見。
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 ユルタでの遅めの昼食後、2時間ほどかけて、バスでヒヴァの町に戻ってきました。
 ホテルで少し休んでから、町にでます。
 おばさんたちがつくっているのは、綿入れのクッションでしょうか。
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 西の門の楼閣に登ります。
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 ヒヴァの町は城壁に囲まれ、城内はイチャン・カラと呼ばれます。あちこちにモスクやメドレセ(神学校)ミナレット(塔)が立っています。明日はこのあたりを見学するわけです。
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 夕日が雲のあいだに沈んでいきます。
 夕食は町のレストランで。焼きたての大きなナンがでてきました。
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