サマルカンドの朝──ウズベキスタンの旅(11) [旅]
5月15日(水)
リシャルド・カプシチンスキは『帝国』で、ティムールについてこう書いています(工藤幸雄訳)。
〈ティムールは史上の奇異な現象なのである。その名は何百年となく恐怖の的とされた。……彼は死を運んだ、そしてその任務に半日を費やした。あとの半日、彼の熱中したのが藝術であった。藝術の普及に対するティムールの献身たるや、死の普及に対する熱意に劣らなかった。……ティムール帝国にあって、最良の避難所となったのが才能である。ティムールは、こうした才人らをサマルカンドへと引き入れ、有能な人士の獲得に鵜の目鷹の目となった。……藝術家たちは花開き、サマルカンドも花と開いた。この街こそティムールの誇りであった。〉
そのティムールのサマルカンドにいます。ティムールの時代なら、ぼくなどはあっさり殺されてしまっていたでしょう。
泊まったホテルは空港の近くでした。
けさはまずシャーヒ・ジンダ廟に行くことになっています。
バスに乗ってすぐのところに、ウルグベク天文台があります。残念ながら見学の対象ではありませんが、ウルグベクは1年の時間を正確に計り、1018の星の軌跡をここで観察したのでした。
ウルグベクはティムールの孫で、ティムール帝国4代目の君主ですが、天文学者でもあり詩人でもありました。しかし、首を斬られ暗殺されるという悲劇の最後をとげます。その銅像が建てられています。
シャーヒ・ジンダ廟に到着。時刻は8時です。ガイドさんによると、朝早く来ないと、大混雑になるといいます。
正しくはシャヒーダ・ジンダだとガイドさんはいいます。受難の聖人という意味だそうです。7世紀にムハンマドのいとこクサム・イブン・アッバースがサマルカンドに布教にやってきて、不幸にも首をはねられ、殺害されます。
そのクサム・イブン・アッバースを祀ったのが、シャーヒ・ジンダのはじまりでした。いちばん奥にある11世紀の廟がそれですが、のちに、ここにはさまざまな廟がつくられることになります。主にティムールとかかわりのある女性たち(乳母や妃、妹、姪)の廟が中心です。
ウルグベクのつくった入り口の門をはいったところにある建物の天井がきれいだったので、カメラに収めました。
ガイドさんによると、それまで口承で伝えられていたコーランが、はじめて文字で書き記されたのも、ここサマルカンドにおいてだったといいます。
サマルカンドは13世紀にモンゴル軍によって徹底的に破壊され、コーランはバグダッドに移されますが、ティムールがこれを取り返したといいます。ウズベキスタンがロシアの支配にはいると、コーランはロシアにもっていかれますが、これも返却され、現在はタシケントにその原本があるそうです。
天国の階段と呼ばれる階段をのぼっていきます。左手に、青いドームをもつコシュ・グンバズ廟があります。ウルグベクの天文学の先生を祀った廟とされていますが、ほんとうのところはだれが祀られているか、よくわからないといいます。
タイル模様がきれいですね。ガイドさんが、図柄についてくわしく説明してくれましたが、すっかり忘れてしまいました。
さらに階段をのぼっていきます。のぼりきった右手にあるのが、ティムールの将軍にちなむトゥグル・テキン廟。
つづいて、ティムールの妹を祀るシリンベク・アカ廟。
ふり返って、小道の写真を1枚。
柱のかたちがおもしろい。
だんだん、青の世界に酔ってどれが何という廟がわからなくなってきます。
豪華な扉のなかにはいっていきます。
廟のなかのタイルもみごとです。
シャーディムルク・アカ廟。ティムールの姪を祀った廟です。
内装も美しいですね。
いちばん奥までやってきました。
吸い込まれるように、なかにはいっていきます。すると、みごとな天井装飾が。
別の部屋にもこんな天井が広がっています。
部屋のタイルも豪華です。
ふたたび、天国の階段を下りていきます。
坂の途中にある廟をもう一度。まだ9時前だというのに、気温はどんどん上がっています。
リシャルド・カプシチンスキは『帝国』で、ティムールについてこう書いています(工藤幸雄訳)。
〈ティムールは史上の奇異な現象なのである。その名は何百年となく恐怖の的とされた。……彼は死を運んだ、そしてその任務に半日を費やした。あとの半日、彼の熱中したのが藝術であった。藝術の普及に対するティムールの献身たるや、死の普及に対する熱意に劣らなかった。……ティムール帝国にあって、最良の避難所となったのが才能である。ティムールは、こうした才人らをサマルカンドへと引き入れ、有能な人士の獲得に鵜の目鷹の目となった。……藝術家たちは花開き、サマルカンドも花と開いた。この街こそティムールの誇りであった。〉
そのティムールのサマルカンドにいます。ティムールの時代なら、ぼくなどはあっさり殺されてしまっていたでしょう。
泊まったホテルは空港の近くでした。
けさはまずシャーヒ・ジンダ廟に行くことになっています。
バスに乗ってすぐのところに、ウルグベク天文台があります。残念ながら見学の対象ではありませんが、ウルグベクは1年の時間を正確に計り、1018の星の軌跡をここで観察したのでした。
ウルグベクはティムールの孫で、ティムール帝国4代目の君主ですが、天文学者でもあり詩人でもありました。しかし、首を斬られ暗殺されるという悲劇の最後をとげます。その銅像が建てられています。
シャーヒ・ジンダ廟に到着。時刻は8時です。ガイドさんによると、朝早く来ないと、大混雑になるといいます。
正しくはシャヒーダ・ジンダだとガイドさんはいいます。受難の聖人という意味だそうです。7世紀にムハンマドのいとこクサム・イブン・アッバースがサマルカンドに布教にやってきて、不幸にも首をはねられ、殺害されます。
そのクサム・イブン・アッバースを祀ったのが、シャーヒ・ジンダのはじまりでした。いちばん奥にある11世紀の廟がそれですが、のちに、ここにはさまざまな廟がつくられることになります。主にティムールとかかわりのある女性たち(乳母や妃、妹、姪)の廟が中心です。
ウルグベクのつくった入り口の門をはいったところにある建物の天井がきれいだったので、カメラに収めました。
ガイドさんによると、それまで口承で伝えられていたコーランが、はじめて文字で書き記されたのも、ここサマルカンドにおいてだったといいます。
サマルカンドは13世紀にモンゴル軍によって徹底的に破壊され、コーランはバグダッドに移されますが、ティムールがこれを取り返したといいます。ウズベキスタンがロシアの支配にはいると、コーランはロシアにもっていかれますが、これも返却され、現在はタシケントにその原本があるそうです。
天国の階段と呼ばれる階段をのぼっていきます。左手に、青いドームをもつコシュ・グンバズ廟があります。ウルグベクの天文学の先生を祀った廟とされていますが、ほんとうのところはだれが祀られているか、よくわからないといいます。
タイル模様がきれいですね。ガイドさんが、図柄についてくわしく説明してくれましたが、すっかり忘れてしまいました。
さらに階段をのぼっていきます。のぼりきった右手にあるのが、ティムールの将軍にちなむトゥグル・テキン廟。
つづいて、ティムールの妹を祀るシリンベク・アカ廟。
ふり返って、小道の写真を1枚。
柱のかたちがおもしろい。
だんだん、青の世界に酔ってどれが何という廟がわからなくなってきます。
豪華な扉のなかにはいっていきます。
廟のなかのタイルもみごとです。
シャーディムルク・アカ廟。ティムールの姪を祀った廟です。
内装も美しいですね。
いちばん奥までやってきました。
吸い込まれるように、なかにはいっていきます。すると、みごとな天井装飾が。
別の部屋にもこんな天井が広がっています。
部屋のタイルも豪華です。
ふたたび、天国の階段を下りていきます。
坂の途中にある廟をもう一度。まだ9時前だというのに、気温はどんどん上がっています。
2019-08-21 11:30
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