タシケントを駆け足見学──ウズベキスタンの旅(14) [旅]
帰国まで、タシケントのあちこちを駆け足で見学です。
日本人抑留者がつくったといわれるナヴォイ・オペラ・バレエ劇場をみました。もっともなかにははいれません。
正面はこんなふうです。
なかにはいれないので、せめて入り口天井の写真をとっておきましょう。なかなか立派な劇場です。
劇場側面の壁には「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、この劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」旨の銘板がかかげられていますた。ガイドさんによると、最初は「日本人捕虜」となっていたのを「日本国民」と直させたのは、カリモフ前大統領だといいます。
おなじみのテレビ塔もありました。
日本庭園も訪れます。その由来も聞いたような気がするのですが、すっかり忘れてしまいました。コウノトリがいます。
水辺では睡蓮が顔をのぞかせます。
バラク・ハン・メドレセです。16世紀にバラク・ハンによって建てられた神学校です。ソ連時代はここに中央アジアのイスラム本庁が置かれていたといいます。
その向かいにあるのが、ハズラティ・イマーム・モスク。このなかにはコーラン博物館があり、ティムールが遠征から持ち帰ったという世界最古(7世紀)のコーランをみることができます。ほかにも世界各国で翻訳されたさまざまなコーランが展示されており、井筒俊彦訳の岩波文庫版コーランも飾られていました。
短い時間ですが、チョルスー・バザールにも寄りました。
チョルスー駅から地下鉄に乗ります。
2駅目で乗り換え。
ムスタキリク・マイダニ駅にやってきました。これはティムール朝の政治家で詩人のアリシェール・ナヴォイ(ナヴァーイ)の像ですね。先ほどのナヴォイ劇場は、この人物を記念してつけられています。
広大な独立広場を歩きます。かつてここはレーニン広場と呼ばれていました。
レーニンの巨大な像は取り払われ、そこには母子像が据えられています。
広場の一角には、第2次世界大戦の犠牲者を慰霊する場所がありました。そこには帰らない息子をいつまでも待つ「嘆きの母」の像が置かれ、消えることのない火がともされていました。人の死を悲しみ、平和を祈る気持ちは、どの国の人も変わりません。それなのに一瞬、靖国の発想とのちがいを思ったりもしました。
ウズベキスタンの旅もこれで終わりです。遠かった中央アジアが、多少なりとも身近に感じられるようになったのが、今回の旅の成果でした。夕飯後、タシケント空港に向かいます。今回もガイドさんをはじめ、いろいろな人のお世話になりました。
日本人抑留者がつくったといわれるナヴォイ・オペラ・バレエ劇場をみました。もっともなかにははいれません。
正面はこんなふうです。
なかにはいれないので、せめて入り口天井の写真をとっておきましょう。なかなか立派な劇場です。
劇場側面の壁には「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、この劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」旨の銘板がかかげられていますた。ガイドさんによると、最初は「日本人捕虜」となっていたのを「日本国民」と直させたのは、カリモフ前大統領だといいます。
おなじみのテレビ塔もありました。
日本庭園も訪れます。その由来も聞いたような気がするのですが、すっかり忘れてしまいました。コウノトリがいます。
水辺では睡蓮が顔をのぞかせます。
バラク・ハン・メドレセです。16世紀にバラク・ハンによって建てられた神学校です。ソ連時代はここに中央アジアのイスラム本庁が置かれていたといいます。
その向かいにあるのが、ハズラティ・イマーム・モスク。このなかにはコーラン博物館があり、ティムールが遠征から持ち帰ったという世界最古(7世紀)のコーランをみることができます。ほかにも世界各国で翻訳されたさまざまなコーランが展示されており、井筒俊彦訳の岩波文庫版コーランも飾られていました。
短い時間ですが、チョルスー・バザールにも寄りました。
チョルスー駅から地下鉄に乗ります。
2駅目で乗り換え。
ムスタキリク・マイダニ駅にやってきました。これはティムール朝の政治家で詩人のアリシェール・ナヴォイ(ナヴァーイ)の像ですね。先ほどのナヴォイ劇場は、この人物を記念してつけられています。
広大な独立広場を歩きます。かつてここはレーニン広場と呼ばれていました。
レーニンの巨大な像は取り払われ、そこには母子像が据えられています。
広場の一角には、第2次世界大戦の犠牲者を慰霊する場所がありました。そこには帰らない息子をいつまでも待つ「嘆きの母」の像が置かれ、消えることのない火がともされていました。人の死を悲しみ、平和を祈る気持ちは、どの国の人も変わりません。それなのに一瞬、靖国の発想とのちがいを思ったりもしました。
ウズベキスタンの旅もこれで終わりです。遠かった中央アジアが、多少なりとも身近に感じられるようになったのが、今回の旅の成果でした。夕飯後、タシケント空港に向かいます。今回もガイドさんをはじめ、いろいろな人のお世話になりました。
2019-09-01 06:05
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