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ゴードン『アメリカ経済──成長の終焉』を読む(9) [商品世界論ノート]

 本書もいよいよ最後の第3部「成長の加速要因と減速要因」にはいろうとしている。長々と要約してきたが、ほんとうは日本経済やソ連経済と比較しながら読んでいくのが有益なのかもしれない。あるいはマルクスやマーシャルを念頭に考察を深めるという方向性も考えられる。しかし、それはそれとして、いまは最後まで読むことを優先しよう。ぼんやりじいさんの読書メモだから、内容はあてにならない。
 1920年から1970年にかけて、アメリカでは史上もっとも労働生産性の高い時代が訪れ、それによりアメリカ人の生活は大きく改善された、と著者は書いている。さまざまなイノベーションがなされただけではない。この期間に、労働時間も週60時間から週40時間に減った。
 1920年から70年にかけての成長ペースが、それ以降鈍化し、とりわけ2000年以降、大きく減少するのはなぜか。これが、本書のメインテーマのひとつといえるだろう。
 1970年以降、労働生産性の伸びが低下したのは事実である。1996年から2004年にかけては、情報技術への投資によって、労働生産性は一時回復する。だが、それ以降、労働生産性の伸びはさらに鈍化している。
 1970年以降、成長をリードしたのは娯楽、通信、デジタル機器、IT部門だった。だが、それも2005年以降は頭打ちになる。
 食料や衣服、住宅については、すでに1940年代までにほぼじゅうぶん満足できる状態に達していた。1940年代から70年代にかけては、家庭に電化製品が普及し、豊かさが広がる。その後の進化は微々たるものである。
 高速道路網は1970年代にほぼ完成をみた。航空機もジェット機への転換が完了した1970年代以降、大きな進歩はみられない。医療や健康面も1970年代でほぼ体制が固まっている。
 労働環境の改善も基本的には1940年までに実現し、1970年代がピークとなった。1980年代以降は、女性の社会進出が目立つ。
 1人あたり実質GDPには、生活水準や労働生産性の伸びがもたらした大きな進歩が反映されていない、と著者は考えている。言い換えれば、消費者余剰やイノベーションの価値が過小評価されているというのだ。そうした価値は価格指数でとらえきれないもので、経済成長が人びとの生活改善に与えた影響ははかりしれない、と著者はいう。
 本書第3部では、次のことが検討される。
 第1は1920年から1970年にかけての経済成長の足どりである。とりわけ重視されるのは大恐慌の時期と第2次世界大戦の時期だ。
 第2に検討されるのは、1970年以降に成長が減速した理由である。1990年代末のIT革命は一時的なものに終わり、大きな経済成長に結びつかなかった。これからの25年間も、たとえイノベーションがあっても生産性全体に与える影響はごくかぎられているだろう、と著者はいう。
 第3に検討されるのは、1970年代後半から広がりはじめた経済格差が、これからどうなっていくのかという問題である。学歴の上昇も頭打ちになり、学歴が生産性向上に結びつかなくなっているという現実もある。1990年以降、女性の労働市場参入によって、1人あたり労働時間は増加したものの、2008年以降はベビーブーム世代が退職したことにより、1人当たり労働時間は減少しはじめている。結婚制度が機能しなくなったことも問題だ。そのような時代においては、どのような政策が可能なのか、と著者は問う。
 今回のブログが扱うのは、第1の部分だ。第2、第3の部分、すなわち1970年代以降と、将来の展望については、次回あらためて論じることにする。できれば、次回で本書の内容紹介が終わればいいのだが……。

 1920年代から1950年代をふりかえってみると、アメリカでは生産が大躍進したのは、意外なことに1928年から1950年にかけてであった、と著者は書いている。
 もちろん、1929年から33年にかけては大恐慌の時期であり、生産量、労働時間、雇用は崩壊した。その後、経済は部分的に回復するが、1938年にはふたたび不況になる。
 それから1938年から45年にかけてGDPは大幅に伸びる。巨額の戦時支出がなされたことが大きい。だが、その後も経済は崩壊しなかった。戦後、軍事生産が住宅や自動車、家電に転換されたのである。
 大恐慌はニューディール政策の導入をもたらした。
ニューディールは社会保障政策を導入しただけでなく、労働組合の組織化を促した。それにより、実質賃金は引き上げられ、1日8時間労働が実現した。だが、それは経済社会の停滞をもたらさない。むしろ逆である。
 いっぽう政府はインフラ投資を拡大し、金門橋やベイブリッジ、テネシー川流域開発公社、フーバー・ダムなどの巨大プロジェクトを推進した。
 1939年からは第2次世界大戦がはじまるが、とりわけアメリカの場合は、戦争が経済にもたらしたプラス面を否定できない、と著者はいう。政府は軍事生産のために、資金を負担して工場や設備を新設した。1930年代は、技術革新の時代でもあった。そして戦時下に滞留した家計の貯蓄は、戦後になって消費財の購入にあてられていくことになる。
 1人あたりGDPは、大恐慌がはじまった1929年から33年にかけ急減したあと、第2次世界大戦中に急増し、その後も増えていった。
 1930年代後半以降、実質賃金の上昇ペースは以前よりも高くなり、その時期、同時に労働生産性も高まっている。引きつづき、1950年代から70年代半ばにかけても、実質賃金の伸びが労働生産性の伸びを上回った。逆に1970年代半ばから2014年にかけては、逆の現象が生じる。労働生産性が伸びても、実質賃金は低迷するのだ。
 労働の質は教育水準ではかられることが多い。第2次世界大戦前後に、アメリカの教育水準は大きく向上した。高卒率は1900年の6%から1970年の80%に上昇した。大卒者も増えてくる。そのことと労働生産性の伸びは関係している。
 しかし、労働生産性は資本投入量とも関係している。資本の投入なくして、労働生産性の上昇はありえない。資本投入量は大恐慌時に落ち込み、その後1935年に回復、1941年に急増し、1944年に倍増している。戦後も資本投入量はさほど減っていない。
「単純化すれば、アメリカの総生産量は、1928年から1972年にかけて資本投入量をはるかに上回るペースで増加したが、その後、1972年から2013年にかけては、そのペースがきわめて緩慢になっている」
 専門的な論議は省略するが、1920年代から1950年代にかけ、とりわけ大恐慌後、経済の「大躍進」が生じた原因を著者は次のようにみている。
 ひとつは、労働者寄りのニューディール法制により、労働者の実質賃金が上昇したこと。それにより労働から資本の代替が進み、活発な設備投資がおこなわれ、それにより労働生産性が上昇したこと。
 もうひとつは、戦争による高圧経済である。たとえば戦争を遂行するため、造船所や飛行機工場などには、生産をさらに増やすよう圧力がかかった。それにより1日24時間体制が実施される。さらに生産の効率化とコスト削減が同時に進められた。
 戦後、軍事から民間へと需要がシフトしたあとも、需要は減らなかった。

〈1946−47年、鬱積した需要が解き放たれ、軍事品から民生品の生産へと迅速に切り替えられた工場は、自動車やテレビは言うに及ばず、冷蔵庫、ストーブ、洗濯機、ドライヤー、食洗機の需要を満たすべく奮闘した。無尽蔵ともいえる需要に応えるため、第2次世界大戦下の高圧経済で効率的な生産について学んだあらゆる手法が導入された。〉

 多少の生活の不便はあっても、戦時の活況が、大恐慌時の絶望感を払拭し、国民全体に先行きへの期待をもたらした、と著者は書いている。このあたりは資源が豊富な戦勝国アメリカならではの実感だったかもしれない。内心忸怩たるものを覚えないわけではないが、朝鮮戦争が日本経済復興のきっかけとなったのも事実である。
 さらにもうひとつ、著者が注目するのが政府による資金投入である。1930年から45年にかけ、アメリカ政府は新工場の建設資金を負担し、民間企業に軍需品の生産を促した。政府は軍需工場を新設し、それを民間企業に委託しただけではない。テキサスからニュージャージーにいたるパイプラインなどを敷設するために、大量の資金を投入していた。そうした政府の資金投入によって、アメリカの生産技術が大幅に向上した面はいなめない、と著者も認めている。
 さらに、この3つの要因に加えて、著者の指摘するのが都市化である。都市化によって、労働者が農村から都市にシフトしたことが、経済全体の生産性を高めた。
 もうひとつは閉鎖経済である。1930年から60年にかけ、アメリカでは移民が制限された。そのため、移民との競争がなくなり、労働者の賃金が上昇した。さらに高関税により輸入が抑えられ、国内の工場にイノベーションが施された。「移民制限法と高関税によるアメリカの閉鎖経済は、1930年代の実質賃金の上昇と、国内経済における革新的技術への重点投資、1920年代から50年代の一般的な格差の縮小に寄与したとみられる」
 19世紀末の最大の発明は電気と内燃エンジンだった。だが、それらが汎用化されるまでには20世紀前半を待たなければならなかった。その汎用化がもっとも進展したのが1930年代である。
1930年代には運輸・流通業が発展する。電力発電量も大幅に増加した。流通システムも大幅に改善された。
 アメリカにとって画期的だったのは1930年10月に東テキサス油田が発見されたことである。それにより、アメリカでも化学産業がスタートを切る。プラスチックが発明されたのも1930年代だった。セルロイドやビニール、セロファン、ベークライト、アクリル、テフロン、ナイロンなどの新製品も生まれてくる。タイヤの質の改善も生産性の向上に寄与した。「1930年代は、技術進歩の10年として輝きを放っている」
 皮肉なことに、恐慌と戦争が生みだしたさまざまなイノベーションが1970年代までのアメリカの経済成長を支えた。
 そのあとはどうか。次回は1970年以降をみていく。

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