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金子直史『生きることばへ』を読みながら(2) [人]

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 引きつづき、金子さんの日記を読んでいる。
 2017年1月6日に余命宣告を受けたあとは、しばらく放心状態になったと書かれている。それはそうだろう。
 化学療法の影響で、熱もつづいていた。
 12日には自宅の逗子に近い葉山の近代美術館で、宮迫千鶴夫妻の美術展をみたあと、海の向こうにくっきりと浮かぶ「真っ青な富士山」を見た。
 下旬から、社にも顔を出しはじめている。ある日、八重洲ブックセンターで、中江兆民や高見順の本を買ったのは、何か書きたいという思いがうごめいていたのだろう。
 金子さんには、奥さんと21歳と19歳のふたりの娘がいて、娘と「交換日記」なるものをつけていることも知った。
 2月4日の土曜日には、家族で葉山の森戸神社にお参りし、このときも青い海の向こうに富士山が浮かびあがっているのを見た。さぞかし感動的な富士だったにちがいない。
 その翌日、スタバで楽しそうにバイトする長女の姿をみて、うれしくなったという気持ちもよくわかる。
 2月6日には、社に手術後の状況報告。肺に微量の転移がみられ、化学療法がしばらくつづくが、ライターに復帰したいと伝えている。
 このころの日記には、煩悶のあとがうかがえる。
 子どもたちには「がんだけど必ず治るよ」と伝えているが、そのままでいいのか。そのうち、今できていることができなくなるだろうが、まわりのみんなに悲しい思いをさせたくない。
「神さま、たのむから、まだもう少し時間くれよ」
「今はいたって元気でも(せいぜい口内炎と小量の鼻血のみ)体内ではカチカチと、時計が時を刻んでいるのだろう。願わくは不発弾たらんことを!」
 3月には、就職活動をしている長女に内定がでてほっとしている。編集局から、文化部に編集委員として戻ることになった。現場復帰だ。
 化学療法や日赤での検査がつづく。現場に復帰すると、病気などまるでうそのように、さまざまな仕事が押し寄せる。
 いろいろな記憶がよみがえる。「そういうたくさんの記憶を抱えながら、おれという存在が、この世からいなくなるって? それはいったいどういうことだ! ……ふとした瞬間に、そうした思いが頭をよぎる」
 4月初旬の土曜日には、夫婦で箱根の日帰り温泉に行った。「降りしきる雨の向こうに満開の桜がにじんでいた」。下旬。次女の成人式写真の前撮りをする。娘のはじけるような笑顔が嬉しかった。
 すでに抗がん剤のアバスチンが効かなくなっている。
 文化部の仕事は忙しい。取材、インタビュー、新刊紹介、原稿、細部チェック、出稿。講演会や催しにも出かける。飲み会もある。
 5月10日。日赤で余命1年未満の宣告を受ける。
 ふと思う。「誰が死のうと、日常には穏やかさがあり、笑いがある。死とはその日常からの撤退だ」
 下旬、沖縄に取材にいき、辺野古を訪れた。座り込む人びとを機動隊が問答無用でごぼう抜きにするのを見た。
 初夏の出勤。「青く輝く空。空に向かって歌い出しそうな樹々。山をおおう緑。おれは光が好きだ。日差しを全身に浴びて過ごしていたい。これから職場へ」
 ある日、昼食を終えて、社のビルに戻る空中回廊で、いなずまのように思う。
「え! なに? おれが死ぬの? ほんまかよ! 信じられん、どうにも信じられん」
 6月からは丸山ワクチンの投与もはじめている。副作用の強い新たな化学療法も検討。
 6月某日、逗子のレストラン、サーファーズから海を眺める。
「ものすごく貴重な〈今〉が、ここにあると思った。心の中に刻印したくなるような──。/光にあふれる海と空。……飛翔するカモメを思った」
 次女の20歳の誕生日。「色々たいへんだろうが、ガンバレ!」
 このころのテーマは沖縄だ。インタビュー、沖縄現地取材がつづく。
 29に上がったマーカー値はフォルフォックスで抑えられているが、副作用がきつい。口内炎と強烈な眠気、その他もろもろの症状。
 7月には上田の無言館を訪れ、あらためて戦没画学生の遺した作品をみる。自分も何かまとまったものを書きたいと思いはじめている。
 日赤の検査で、肺の病巣が広がり、骨盤への転移もあると指摘された。新たな薬をはじめるべきか、迷う。
「治癒の可能性はない。投与し尽くしたところが死になる」と悟ってはいる。しかし、わらにもすがる思いで、有明のがん研でも見てもらった。「何もしなければ半年、3カ月で症状がでる」といわれ、よけいショックを受けた。
 22日、文化部の後輩で論壇担当の東海亮樹が48歳で亡くなった。

〈東海[本ではTになっている]が死んだ。昨21日の未明。大動脈瘤破裂で一週間意識不明だった。……自尊心が強く、生きづらいやつだった。繊細で涙もろい奴だった。死は、全ての人間にとってすごく傍らにある。〉(ぼくは東海さんとは親しかったので、Tとするのは忍びなく、本名で引用させてもらった。下町が好きで、何でもよく知っていた。このときも悲しかった。)

 そして、このころ、金子さんの日記にはこんなふうに記されている。

〈死へ向けて、どう時間を組織していくか。それを考えるのに忙しい。死への恐怖を味わっている暇がない。〉

 ひとつひとつのことばが身にしみる。
 まるでぼく自身のあしたがえがかれているような気がする。たぶん、かれは死とはなにかを教えてくれているのだ。

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