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徴用工裁判をめぐる日韓の溝──中村稔『私の日韓歴史認識』(増補新版)断想(1) [本]

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 もともとは2015年夏に発行された本だが、2019年9月の増補版で第7章に「徴用工事件・韓国大法院2018年10月30日判決」が加えられた。ぼくが手に入れたのはこの増補新版である。
 ほんとうは韓国が植民地化された経緯や、戦時下までの状況を分析した第1章から順番に読むべきなのだが、それは後回しにして、今回追加された第7章を先に読み、余力があれば、それから逆に歴史をさかのぼることにしたい。
ことし92歳の著者は、詩人であると同時に弁護士でもある。いまも正義感と探究心、読書欲があふれているのには、関心し、驚嘆するほかない。
 毎日をぼんやり、ぼけつつ生きているぼくには、韓国人(朝鮮人)の徴用工については、テレビのニュースで時折流し見するほどの漠然とした知識しかない。
 戦争中に労働力不足を解消するために、無理やり朝鮮から日本に人を連れてきて、炭鉱などで苛酷な労働をさせたという印象だけである。
 これにたいし、韓国の最高裁が日本企業に賠償を命ずる判決を下したが、日本政府はこの問題は日韓基本条約に付随する日韓請求権協定ですでに解決済みで、いまさら問題を蒸し返すのは、国際法に違反していると主張している。その後、双方の対立が日本の韓国への輸出規制、韓国のGSOMIA破棄騒動にいたり、その後もゴタゴタはつづいているのは周知のとおりである。
 両方ともくだらないことで喧嘩せず、意地の張り合いをやめて、仲良くすればいいんじゃないかと思うのは、もはや世事とは無縁のぼくのような年寄りだけかと思ったら、意外と世間にもそう思っている人も多いらしい。そのいっぽうで、やはり韓国はけしからん、韓国人そのものが気にくわないと怒っている人も大勢いる。日本人のなかでも意見はばらばらだ。
 弁護士でもある著者は、増補版の本書で、徴用工事件をめぐる韓国大法院2018年10月30日判決を読み解く章をつけ加えた。著者は日本のメディアがこの判決文を詳しく紹介し、解説することもなく、ただ結果だけを伝えたことに疑問をもったという。
 それはわからないでもない。そもそも裁判の判決文などというのは、法律用語をこねくり回してつくりあげられた、素人には何のことかさっぱりわからない代物であって、そのまま新聞に掲載しても、ほとんど誰も読まないだろう。それを見つけて読んでみたというのだから、さすがに法律家はちがう。
 その判決文の一部をぼくも読んでみたが、やっぱりよくわからない。それでも、がまんして、著者の解説に目を通してみる。
 今回の裁判の発端は、韓国人の元徴用工たちが新日鉄住金を訴えたことである。新日鉄住金というのは2018年段階の社名である。2019年のいまは社名が日本製鉄に変わっている。戦時中の名前はやはり日本製鉄。八幡や釜石、大阪などに製鉄所があった。原告は戦時中、その製鉄所に徴用されていたのだという。
 2018年10月30日、韓国大法院は新日鉄住金にたいし、原告1人あたり1億ウォン(約909万円)の損害賠償を支払う判決を下した。この判決は現段階ではまだ執行されていない。
 ところが日韓請求権協定というのがある。1965年の日韓基本条約に付随して結ばれた協定だ。この協定にもとづき、日本は韓国にたいし5億ドル(無償3億ドル、有償2億ドル)の支払いと経済支援をおこなった。
 その代わり、著者によれば、この協定で「すべての日本国民(法人を含む)が韓国および韓国人に対し、またすべての韓国人(法人を含む)が韓国および韓国人に対し、請求権を主張できない旨」で合意されたことになった。
 つまり、この協定によれば、元徴用工の訴えは、心情的に理解できるものの、そもそも訴えが認められないはずである。にもかかわらず、韓国大法院は新日鉄住金に賠償を命ずる判決を下した。
 そこで「どのように請求権協定を解釈したらこのような判決が言渡されるのか」を知りたいと思った著者は、日本の新聞には紹介されなかった判決理由を見つけ、それを精読したのだという。
 まず言っておかなければならないのは、それが一方的な裁判ではなかったということである。新日鉄住金は代理人を立て、応訴し、主張すべき主張をしている。
 大法廷判決の事実認定によれば、問題の経緯は以下の通りだ。
 原告らは1923年から1929年にかけ韓半島で生まれ、平壌、保寧、群山で暮らしていた。
ひとりの原告は、1943年ごろ平壌で大阪製鉄所の募集広告を見て、応募し、訓練工として採用される。その広告には2年間、日本で技術訓練を受ければ、その後韓半島の製鉄所で技術者としてはたらけると記されていた。
 そこで、原告は仲間とともに、担当者に引率され、大阪製鉄所に行き、労務に従事した。仕事は苛酷で危険だった。ひと月に2、3円の小遣いを支給されるだけで、賃金は自分たち名義の預金通帳に入れられ、印鑑とともに厳重に保管されていた。寄宿舎では、ほぼ軟禁状態で、逃亡することもできなかった。舎監から殴打され、体罰を受けることもあった。1944年2月ごろからは強制的な徴用となり、そもそも賃金も支給されなくなった。
 大阪製鉄所は1945年3月の空襲で破壊され、一部の訓練工は死亡した。原告は1945年6月に咸鏡道(現北朝鮮北東部)の清津に建設中の製鉄所に移された。そのさい、日本ではたらいた賃金の入金された預金通帳も返されなかった。清津工場がソ連軍によって破壊されると、原告はソウルに逃げ、そこで日本の植民地支配が終わったことを知る。
 韓国大法院の事実認定は、こんなふうに原告ごとに次々と示されている。賃金は払われたが、それはほとんど貯金通帳に入れられ、しかも貯金通帳がついに渡されることがなかったというのは、賃金が支払われなかったのと同じである。現場では事実上、軟禁状態におかれていたこともわかる。
 本書では、こうした事実認定がいくつも紹介されているが、詳しくは本書を読んでいただくしかない。日本の報道では、こうした事実認定が紹介された形跡はなさそうだ。徴用に切り替わったあとは、給与すら払われなかったというのは驚きである。
 著者によれば「大阪、釜石に限らず、八幡でも旧日本製鉄では朝鮮半島労務者に賃金を支給しないことを会社の方針にしていたようである」。旧日本製鉄(継続会社である新日鉄住金、現日本製鉄)には「ほぼ監禁状態で[事実上]無償の労務に従事させたこと」にたいする賠償義務があると、著者はいう。
 ところが、日韓請求権協定により、徴用工にたいする未払い賃金などは、日本政府が韓国政府に支払う3億ドルのなかから、韓国政府が徴用工に支払うという「破廉恥なしくみ」ができている。
日韓の協定によって「債務を免れている、徴用工を雇用した日本企業に対して、私はつよい嫌悪感を覚え、また韓国の人々に対して烈しい羞恥の情を禁じえない」と、著者は書いている。
 徴用工問題をかかえているのは新日鉄住金(現日本製鉄)だけではない。三菱重工業や不二越、IHIなど70社以上が対象になっているという。
 韓国もこれまで「協定」にもとづいて対応してこなかったわけではない。1966年には「請求権支給法」、71年には「請求権申告法」を制定し、強制動員関連被害者(軍人、軍属を含む)に支給がなされた。
 韓国政府は「1977年6月30日までに8万3519件に対して合計91億8769万3000ウォン[約2900万ドル]を支給した」という。
 事態が急変したのは2004年、盧武鉉(ノムヒョン)政権の時代なってからである。
 いわゆる「真相究明法」が制定され、日本植民地時代の「強制動員被害」に対する調査が実施された。
 その後、請求権協定に関する一部文書が公開されたあと、韓国政府は、次のような公式見解を発表した。それは、慰安婦問題を含め、日本の国家権力が関与した「反人道的不法行為については請求権協定で解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任が残っている」というものである。
 2007年に韓国はいわゆる「犠牲者支援法」を制定し、「強制動員」による死者、行方不明者(の遺族)、負傷者、生還者、未収金被害者(または遺族)にたいし、追加補償をおこなうことを決定した。
 著者はこうしたナショナリズムをあおる韓国政府の措置に疑問をいだいている。
 請求権協定は日本の植民地支配に対する賠償請求権を定めた協定であって、そこには徴用工への賠償も含まれているはずだ。植民地時代の債権・債務関係については、項目別に金額を確定することは不可能であり、協定では、包括的な賠償金額を定めるほかなかった。さらに「強制動員」といっても、実際には(広告にだまされたとはいえ)本人の自発性にもとづく行動が多く、強制動員を強調するのは、あまりに政治的・恣意的である。
 そんなふうに著者は韓国の対応を批判する。
 2018年10月の韓国大法院判決には前段階があった。原告たちは日本各地の裁判所で訴訟を提起し、敗訴していた。その後、韓国の地裁、高裁でも敗訴。しかし、2012年5月に、大法院がそれまでの原告敗訴判決を取り消し、ソウル高等裁判所に差し戻したという経緯がある。
 したがって、2018年10月の判決は、いわば2012年5月段階で予想されていたことであり、その内容を日本のメディアがほとんど報道してこなかったのは遺憾である、と著者は論ずる。
 大法院は2012年の判決で、すでに「日帝強占期[日本帝国による暴力づくの支配時代、植民地時代]の強制動員自体を不法」とする見解を示していたのだ。
 2018年10月の韓国大法院判決は、2012年の判決を踏まえて、次のような判断を示した。植民地支配を当然とする日本の判決は承認できない。日韓請求権協定はあくまでも「基本的に韓日両国間の財政的・民事的債務関係に関するもの」であって、日本による植民支配の不法性にもとづく強制動員に対する慰謝料請求権まで含まれるとは言いがたい。
 韓国大法院はこの論理にもとづいて、元徴用工らに対し、新日鉄住金に賠償を命ずる判決を下した。
しかし、著者は韓国大法院の論理は破綻しており、請求権協定のなかにとうぜん徴用工問題も含まれていると考えている。すなわち、法律的には請求権協定によって、すべては解決済みなのである。
著者によれば、その後の日韓両国政府の応酬は「まことに愚劣」だった。

〈このような日韓両国政府がそれぞれ自己の立場、見解だけが正当とみることから生じている現状は決して望ましいものではない。私は徴用工を雇用し、監禁状態ないし軟禁状態で労務に従事させながら給与を支払うことなく、韓国政府が3億ドルの中から元徴用工に支払うことに、疚(やま)しさを感じていたかどうかはともかく、平然としていたかのようにみえる日本の企業は元徴用工に対し賠償責任があると考える。同時に、韓国大法院の判決の論理はきわめて政治的、感情的であって、納得できない。〉

 日韓請求権協定によって解決できない紛争が生じた場合は、仲裁委員会を設けるという規定がある。しかし、韓国側は現在のところ、みずからの条件を提示するだけで、仲裁には非協力の立場をとっているようだ。
 双方が仲裁委員を立てて、さらに二人の仲裁委員が第三の調停委員を選んで、当事者間が直接の話し合いをするという方式をとらないかぎり、問題は解決しない。「もちろん、私は日本企業が相当額の出損をすることを調停の前提としている」と著者は書いている。
 歴史はけっして水に流せない。しかし、愚かな争いにはどこかで終止符を打たなければならない。それがハンナ・アーレントのいう「赦(ゆる)しと約束」なのだと思うのだが、いまのところ日韓の溝は深まるばかりである。だれかが智恵をださなければいけない。

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