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サンボー・プレイ・クック──カンボジア2019春ツアー(4) [旅]

2月14日(木)
サンボー・プレイ・クックの意味はサンボーの森のなかのストーブというのだそうです。遺跡がストーブみたいなかたちをしているところから名づけられたといいます。ここには前アンコール期の7世紀に古い都がありました。
東西6キロ、南北4キロにわたる都です。これをつくったのはイーシャナヴァルマン1世(在位613〜628)。玄奘三蔵は、この都をイーシャナプラ都城と呼んでいるそうです。
昔はこの都に291カ所寺院が建っていたといいます。遺跡は20世紀はじめにフランスによって発見されましたが、本格的に修復がはじまったのは1998年です。2017年7月にカンボジアで3番目の世界遺産に登録されました。
われわれがここに到着したときは、すでに午後4時をすぎていました。バスを降りたあたりから、赤土の森のなかに遺跡が点在しているのがわかります。
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見学できるのは都城の東側で、3つのブロックが公開されています。都城は環濠によって囲まれ、かつては2万家族ぐらいが暮らしていた、とガイドさん。
遺跡はいま森にのみこまれています。
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森のなかを歩くと、寺院が姿をみせます。木が寺院をおおっています。
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八角形の建物はクメール様式だとか。
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イーシャナヴァルマン1世は、ラオスからベトナム、タイ、マレーシア北部まで支配していました。支配民族はクメール族とモン族です。ガイドさんによると、昔はここに港があって都として栄えたが、7世紀の終わりに水が涸れ、港がつかえなくなったために、引っ越さざるをえなくなったといいます。
そして、14世紀にはヒンドゥー教と仏教の争いが激しくなり、15世紀にシャム(タイ)のアユタヤ軍が攻め込んできます。アユタヤ軍はこの旧都を燃やし、その結果、あたりはジャングルと化します。
当時のレリーフがきれいに残っていますね。
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20世紀はじめにフランス人が発見したことで、ここに遺跡があることが知られるようになりました。
しかし、ベトナム戦争が拡大するなか、1970年ごろ、アメリカがこのあたりを爆撃します。ポル・ポト派がこの森の中に拠点を置いていたからです。
地面のあちこちに大きな爆撃跡が残っています。いたるところ蟻塚がつくられています。
寺院のひとつにはいってみます。
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堅牢な建物で、なかは吹き抜けになっています。
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入り口には、何やら鬼のような顔が。
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城壁の跡ですね。
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プラサット・タオと呼ばれる寺院。獅子が入り口を守っています。
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咆哮しています。
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その内部です。
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門のデザインが美しい。
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その寺院はこんなかたちをしています。
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サンボー・プレイ・クックの見物は1時間足らず。
あわただしく出発です。途中の休憩場所では、川辺の牛が水を飲んでいました。
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日が落ちてきます。
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ここからシェムリアップまでの道中は長く、ホテルに到着したときは夜の9時過ぎになっていました。

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