アンコール・ワット──カンボジア2019春ツアー(6) [旅]
2月15日(金)
アンコール・トムを見学したあと、昼食をとって、しばらくホテルで休憩しました。真昼は暑くて、とても観光ができないのです。昼間からついビールを飲んでしまいます。
15時出発。いよいよアンコール・ワットに向かいます。途中、森のなかで休んでいる人も。ハンモックには赤ちゃんが寝ているようです。
30分ほどで到着。ガイドさんによると、アンコール・ワットは12世紀はじめから半ばにかけて、クメール王国のスールヤヴァルマン2世によってつくられた寺院だといいます。
スールヤヴァルマンには子どもがおらず、この町が使用されたのはこの1代かぎりだとか。
ガイドさんはそういいますが、はたしてここが町だったかは疑問です。むしろ、アンコール・ワットの区画は、その全体が神聖な寺院であって、王宮を含め町はその外に広がっていたのではないでしょうか。
見えてきました。周囲には大きな堀があって、乾期のいまも水が満々とたたえられています。
堀にかかる参道(橋)は上智大学により現在修復中で、そのため仮設の浮橋をふわふわ歩いて、なかにはいります。堀には熱帯睡蓮があちこちみられます。残念ながら夕方なので花を閉じていますが。
アンコール・ワットがつくられたのはアンコール・トムより30年ほど前だといいます。浮橋を渡って、入り口の門にやってきました。
塔門脇の象の門をはいると、いくつもデバター(女神)像を見かけます。なかなか妖艶です。
アンコール・ワットは西向きに建てられていて、もともと王の墓としてつくられた、とガイドさん。春分と秋分に太陽は中央の塔のうえに上がるよう設計されているとか。われわれは西門からはいり、東門に抜けることになります。
おや、猿がお出迎えです。
門をくぐったところから中央の塔につづく参道は「虹の架け橋」と呼ばれ、入り口には7つの顔をもつコブラの像があります。大きな塔に向かって参道を歩いて行きます。
中央祀堂をアップしてみましょう。なかなか荘厳です。
これは参道の左右にたつ左側の経蔵です。
これも左右に配置された左側の聖池の前から中央祀堂の姿をとらえてみました。水面に塔が写ります。左側の塔は修復中のようです。
アンコール・ワットは、もともとヒンドゥー教の寺院で、ヴィシュヌ神をまつっています。ヴィシュヌロカと呼ばれる像は、金色に輝いていたとか。
現在の気温は35度くらいですが、3月から5月にかけては40度近くまで上がるといいます。アンコール・ワットと周辺遺跡の見学料は3日で62ドル。ただし、カンボジア人は無料だそうです。
1950年代までは、アンコール・ワットへの道がつくられていなかったため、象に乗ってこなければならなかったといいます。
アンコール・ワットは、ジャングルのなかからフランス人が発見したとされます。しかし、ここに寺院があることはカンボジアではだれもが知っていたようです。森本右近太夫という日本人も1632年にここを訪れ、壁に自分の名前を残しています。ジャングルになったのはそのあとでしょうか。
1990年代にはポル・ポト派がここを占拠し、あちこちにいまも銃弾の跡が残っています。1998年にポル・ポトが死んでから、ようやく観光客が来られるようになったとか。最初は日本人が多かったが、現在は中国人が圧倒的だ、とガイドさん。
いよいよ中心部にやってきました。第1回廊にはラーマーヤナの物語をつづった壮大なレリーフが150メートルにわたって彫られています。猿の軍隊と悪魔の軍隊が戦うおなじみの物語です。われわれは左側の面しかみませんでしたが、ほかの面にはマハーバーラタの物語もえがかれているようです。写真はラーマ王子ですね。
内部の天井にはさまざまな紋様や彫刻がほどこされています。
ガイドさんが指さす先には森本右近太夫の墨書が残っています。
当時の格好をした少年少女たち。これから踊りが始まるのでしょうか。
これは第2回廊のデバター群像です。
ヴィシュヌ神も登場です。
よく見ると、あらゆるところに彫刻がほどこされています。
残念ながら、時間の都合と人数制限のため、第3回廊にのぼって、中央の祀堂まで行くことはできませんでした。
その代わり、プレ・ループという寺院に寄り、夕日を眺めることになりました。ジャングルのなかに日が落ちていきます。
アンコール・トムを見学したあと、昼食をとって、しばらくホテルで休憩しました。真昼は暑くて、とても観光ができないのです。昼間からついビールを飲んでしまいます。
15時出発。いよいよアンコール・ワットに向かいます。途中、森のなかで休んでいる人も。ハンモックには赤ちゃんが寝ているようです。
30分ほどで到着。ガイドさんによると、アンコール・ワットは12世紀はじめから半ばにかけて、クメール王国のスールヤヴァルマン2世によってつくられた寺院だといいます。
スールヤヴァルマンには子どもがおらず、この町が使用されたのはこの1代かぎりだとか。
ガイドさんはそういいますが、はたしてここが町だったかは疑問です。むしろ、アンコール・ワットの区画は、その全体が神聖な寺院であって、王宮を含め町はその外に広がっていたのではないでしょうか。
見えてきました。周囲には大きな堀があって、乾期のいまも水が満々とたたえられています。
堀にかかる参道(橋)は上智大学により現在修復中で、そのため仮設の浮橋をふわふわ歩いて、なかにはいります。堀には熱帯睡蓮があちこちみられます。残念ながら夕方なので花を閉じていますが。
アンコール・ワットがつくられたのはアンコール・トムより30年ほど前だといいます。浮橋を渡って、入り口の門にやってきました。
塔門脇の象の門をはいると、いくつもデバター(女神)像を見かけます。なかなか妖艶です。
アンコール・ワットは西向きに建てられていて、もともと王の墓としてつくられた、とガイドさん。春分と秋分に太陽は中央の塔のうえに上がるよう設計されているとか。われわれは西門からはいり、東門に抜けることになります。
おや、猿がお出迎えです。
門をくぐったところから中央の塔につづく参道は「虹の架け橋」と呼ばれ、入り口には7つの顔をもつコブラの像があります。大きな塔に向かって参道を歩いて行きます。
中央祀堂をアップしてみましょう。なかなか荘厳です。
これは参道の左右にたつ左側の経蔵です。
これも左右に配置された左側の聖池の前から中央祀堂の姿をとらえてみました。水面に塔が写ります。左側の塔は修復中のようです。
アンコール・ワットは、もともとヒンドゥー教の寺院で、ヴィシュヌ神をまつっています。ヴィシュヌロカと呼ばれる像は、金色に輝いていたとか。
現在の気温は35度くらいですが、3月から5月にかけては40度近くまで上がるといいます。アンコール・ワットと周辺遺跡の見学料は3日で62ドル。ただし、カンボジア人は無料だそうです。
1950年代までは、アンコール・ワットへの道がつくられていなかったため、象に乗ってこなければならなかったといいます。
アンコール・ワットは、ジャングルのなかからフランス人が発見したとされます。しかし、ここに寺院があることはカンボジアではだれもが知っていたようです。森本右近太夫という日本人も1632年にここを訪れ、壁に自分の名前を残しています。ジャングルになったのはそのあとでしょうか。
1990年代にはポル・ポト派がここを占拠し、あちこちにいまも銃弾の跡が残っています。1998年にポル・ポトが死んでから、ようやく観光客が来られるようになったとか。最初は日本人が多かったが、現在は中国人が圧倒的だ、とガイドさん。
いよいよ中心部にやってきました。第1回廊にはラーマーヤナの物語をつづった壮大なレリーフが150メートルにわたって彫られています。猿の軍隊と悪魔の軍隊が戦うおなじみの物語です。われわれは左側の面しかみませんでしたが、ほかの面にはマハーバーラタの物語もえがかれているようです。写真はラーマ王子ですね。
内部の天井にはさまざまな紋様や彫刻がほどこされています。
ガイドさんが指さす先には森本右近太夫の墨書が残っています。
当時の格好をした少年少女たち。これから踊りが始まるのでしょうか。
これは第2回廊のデバター群像です。
ヴィシュヌ神も登場です。
よく見ると、あらゆるところに彫刻がほどこされています。
残念ながら、時間の都合と人数制限のため、第3回廊にのぼって、中央の祀堂まで行くことはできませんでした。
その代わり、プレ・ループという寺院に寄り、夕日を眺めることになりました。ジャングルのなかに日が落ちていきます。
2019-12-16 06:01
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