SSブログ

ミシマについて──橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』を読む(3) [われらの時代]

fa019074643d1bcb04df20f5dbe60f61.jpg
[『サド侯爵夫人』。ウイキペディアより]

 橋本治の三島論は、その思想に沿ってではなく、あくまでも男、女という性の位相において、三島の作品を読み解いていく。
 三島にとって、女とは、男とは、どのような存在であったのか。
 前にも触れたように、三島には同性愛の志向がある。その志向が強いときには、女を忌避する方向へとはたらく。
 そんな男にとって女との恋愛や結婚は義務のようなものとなるが、いずれ女がそんな男を見限って、男を存在しない者とみなすのは目に見えている。
 それが『豊饒の海』の最後の最後にやってくる。

〈『豊饒の海』を完結=終焉へ導くのは、女達の拒絶である。それが「作者」〔三島由紀夫〕という男の意志で完結したのかどうか疑問である。女達の拒絶によって、この長大なる物語世界は崩壊し、崩壊後の空虚に本多繁邦〔物語の語り手、主人公〕は取り残される。三島由紀夫がそのように書いた以上、三島由紀夫は、「そうなる必然」を知っていたことになる。〉

 男は女を義務のように愛する。女には欲望を覚えない。しかし、欲望をもつよう努力しなければならない。その対象となる女への視線は、ときに酷薄さをともなう。
 その点、橋本にいわせれば、『禁色』は「同性愛者としての三島由紀夫が勝利を実現する小説」であり、『豊饒の海』第一部にあたる『春の雪』は、「その贖罪」ということになる。
 だが、女たちがそんな男を赦すはずがないことも、三島はうすうす気づいている。
 母が病弱だったため、三島は祖母に溺愛されて育った。中学生になるころまで、祖母と暮らしたという。家では、ずっと女ことばを使っていた。その祖母は三島が14歳になった正月に亡くなる。
 祖母との関係は微妙である。祖母は自分を溺愛してくれるが、母から自分を奪い取った存在でもある。祖母に保護されているのは心地よい。しかし、過保護への反発も生まれはじめている。
 母と祖母の関係が悪かったわけではない。
 橋本はこう書いている。

〈母親と「私」は、祖母の宰領する世界で、「姉と弟」のような関係を保っていた。それを拒絶する必要はない。そうすることによって、「私」は母を《気づかつてゐた》。〉

 祖母に溺愛されているがゆえに、「私」はかえって母を気づかうようになる。そして、祖母の死後、「私」は母の「やさしい庇護」を受けいれる。三島はそんな母を突きはなせない。橋本によれば、三島は「自分に何事かを托そうとする母を憐れむ息子」なのである。
 母との決別は、大きな課題だった。だが、それが結晶化するまでには、『サド侯爵夫人』の完成を待たねばならなかった。
 幼いころ、三島は女装が好きだったという。松旭斎天勝という女奇術師にあこがれ、そのまねをして、家のなかを走り回ったこともある。祖母にははしたないと言われたものの、それはタブーはみなされていたわけではなかった。
「であればこそ、三島由紀夫は『女であることに巧みな作家』になれた」と橋本はいう。
「女」になれる三島は何人もの女主人公をつくりだした。さまざまな女が登場する。どの女も三島ワールドの面影をまとっているが、橋本が注目するのは、殺す女、すなわちサディズムをまとった女である。
『愛の渇き』では、女が、愛する男を殺す。女は男を愛しているのに、その男から肉体関係を迫られて、男を殺してしまう。拒絶することに快楽を感じるのだ。
 戯曲にも似たような作品がある。殺す女たちは、美の「塔」にこもって他者を寄せつけない暴君、三島が女に変身した姿だといってよい。
 そして、三島はついに『サド侯爵夫人』を書く。橋本によれば、これは「三島由紀夫におけるサディズムとの訣別」を語る戯曲だという。
 この舞台で、三島はほとんど登場しないサド本人ではなく、サド侯爵夫人にみずからを仮託している。
この戯曲がえがくのは「女の世界」である。サドは見捨てられている。主な登場人物はサド侯爵夫人とその母モントルイユ夫人であり、最後にその母は俗物としてしりぞけられることになる。
 三島は母との戦いに勝つ。

〈戦いに勝った三島由紀夫は、「女」という衣装を脱ぎ捨て、その世界を去って行く。その後の彼は、「男の世界」へと向かう。それが幸福であったかどうかは分からない。しかし三島由紀夫は、「女の世界」を去ったのである。〉

『サド侯爵夫人』以降、三島が「女の世界」をえがくことはなかった。
 そして、「男」という選択がなされる。
 傑作『午後の曳航』について、橋本治はこう書いている。

〈この作品では、「殺される男」もまた、三島由紀夫自身なのである。「殺す側の少年」という三島由紀夫と、「殺される側の男」という三島由紀夫の二人がいる。〉

 男は「死なねばならない」という少年たちの意志によって殺される。
『癩王のテラス』がえがくのは、自分の全存在を壮大な伽藍(芸術)建設に賭けて、肉体は滅びても超人間的な永世をはじめる王(芸術家)の姿である。
 最後の作品『豊饒の海』を書いているときにも、三島は、「肉体は滅びても超人間的な永世をはじめる王(芸術家)」の姿を思い浮かべていたのだろうか。
 だが、「男」の道を選んだときから、「死ぬ」のが「男」であるという思いはますます強くなっていた。輪廻転生、すなわち若さの復活願望は、しょせんむなしい。男は大義のために死ぬべきだ。そうした思いが、三島に『英霊の声』や『葉隠入門』、『太陽と鉄』、『文化防衛論』といった雑書を書かせることになった。
 三島は老いても小説を書きつづけるという大義を選ばなかった。
 選んだのは「男」として死ぬということだった。目指した大義は「偉大なる明治の再興」、「古きよき日本」の再現、そして何よりも幻想の天皇護持にほかならなかった。
 だが、橋本は「三島由紀夫は、それが妄想でしかないということも知っていたはずである」という。
 虚無への供物だろうか。
 自死する人のほんとうの気持ちはわからない。その死はいつも「まさか」というできごととともに終わる。
 死はひとつの世界の終わりをもたらす。三島由紀夫が終わらせたのは、どのような世界だったのか。いま考えると、それはひとつの「戦後」だったのかもしれないと思ったりもする。

nice!(9)  コメント(0) 

nice! 9

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント