SSブログ

自覚と不安──沢木耕太郎『流星ひとつ』を読む(3) [われらの時代]

_20190730_2112173.jpg
 1971年6月、まもなく20歳になる藤圭子はクールファイブのボーカル前川清と婚約し、2カ月後に結婚する。
 ふたりとも寂しがり屋で、なんとなく気があって、つきあっていた。
 そのネタを石坂まさをが話題づくりのために、週刊誌に売ったというから、芸能界というところはおそろしい。
「それであたし、意地になったの。そんなことするなら、絶対にもう結婚してやる、って。ほんと意地になっちゃんたんだ」と藤圭子は沢木耕太郎に語っている。
 ほんとうに準備もなにもなしの勢いだけの結婚だった。前川の知り合いの大工に仲人になってもらい、その大工が改築した家の上に住んだ。ところが、その大工がくわせもので、ふたりをごまかして、カネを吸い取っていた。
 そのころから、圭子は芸能界のいやらしさを強く感じるようになった。
 新しくもらった歌でも、自分の気持ちに合わなかったり、逆にまるで自分のいまの境遇に密着しすぎたりすると、心をこめて歌えなくなってしまった。
 三田の新居でも、忙しいふたりはすれちがいがつづき、そのうちいっしょにいる意味がみいだせなくなってしまったのだろう。
 わずか1年で離婚してしまう。
 離婚後も相変わらず仕事は忙しかった。しかし、仕事以外のときは、毎晩ディスコなどに行って、遊びほうけていたという。テレビのディレクターやフォーリーブズのメンバー、かまやつひろしや郷ひろみなどと、朝の6時、7時まで遊んでいた。
 1973年には両親が離婚した。その年の紅白歌合戦には選ばれなかった。「向こうがださないんっていうんだから、こっちも出るのやめようよ」と圭子はいきどおる。これにはマネージャーが青くなった。
 1975年には紅白にまた選ばれる。だが、とくに感動はなかった。

「しかし、紅白歌合戦自体には、何の魅力も感じなかったのかな、あなたは」
「うん」
「初めて出たときも嬉しくなかった?」
「うん」
「無感動?」
「うん、初めて紅白に出たときも、ずいぶんシラけた番組だなあと思ってた。……紅白って、いつ出てもくだらないことをやらせるんだよね」

 このころ藤圭子は沢ノ井(石坂まさを)の事務所を出て、新栄プロダクションに移っている。新栄プロダクションは石坂に三千万か四千万の移籍料を払ったといわれている。
 だが、そのころ圭子はヒット曲にめぐまれなかった。阿木耀子作詞、宇崎竜童作曲の「面影平野」もなぜかヒットしなかった。

「あなたは、あの曲が好きじゃなかったのか……」
「好きとか嫌いとかいうより、わからないんだよ、あの歌が」
……
「わからないって、さっきあなたが言ったのは、どういう意味なの?」
「心がわからないの」
「心?」
「歌の心っていうのかな。その歌が持ってる心みたいなものがわからないの。あたしには。あたしの心が熱くなるようなものがないの。だから、曲に乗せて歌っても、人の心の中に入っていける、という自信を持って歌えないんだ。すごい表現力だなっていうことはわかるんだけど、理由もなくズキンとくるものがないの。結局、わからないんだよこの歌が、あたしには、ね」
「なるほど、そういうことか……」

 藤圭子が自信を失っていたのは、そのころ喉の手術をして、声が変わってしまったと感じていたためでもある。これはほとんど本人しかわからない感覚だろう。

「切ったのね、実際に」
「切ったんだ。切っちゃったんだ。思うんだけど、あたしのは結節[ポリープ]なんかではなかったんじゃないだろうか」
(中略)
「先天的な、結節のようなものが、あなたの喉にはあった……」
「歌手になってから、使いすぎて急にできたっていうはずもない。だって、その前の方が、むしろいっぱい歌ってたんだから。あのときも、ただ休めばよかったんだ」
「そう思う?」
「そう思う」
「あなたは、あまり後悔しない人のように思うけど、それは別なんだね」
「別だね、残念だね。自分の声に無知だったことが、口惜しいね」

 このころから、藤圭子は人に聞かれること、人に見られることに敏感になっていく。スター歌手の自覚と裏腹に、自分への不安が頭をもたげていく。自分で歌っていても、つまらない、どこかちがうと感じるようになり、歌に陶酔できなくなっていた。
 沢木耕太郎はもっと気を楽にもったらと話しかけるのだが、藤圭子にはプロの歌手としてのプライドがある。

「この五年、歌うのがつらかった」
「いつでも? どんなときでも?」
「うん……」
「あなたなりに、悪戦苦闘していたわけだ」
「どうやったらいいのか、どう歌ったらいいのか。いろいろやってみたけど、駄目だった。……」

 沢木耕太郎を前に、藤圭子はじつに素直に、そしてめずらしく雄弁に語っている。
 こんなに素直に語るスター歌手がほかにいるだろうか。

「あたしは、やっぱりあたしの頂に一度は登ってしまったんだと思うんだよね。ほんの短い期間に駆け登ってしまったように思えるんだ。一度、頂上に登ってしまった人は、もうそこから降りようがないんだよ。一年で登った人も、十年がかりで登った人も、登ってしまったら、あとは同じ。その頂上に登ったままでいることはできないの。少なくとも、この世界ではありえないんだ。歌の世界では、ね。頂上に登ってしまった人は、二つしかその頂上から降りる方法はない。ひとつは、転げ落ちる。ひとつは、ほかの頂上に跳び移る。この二つしか、あたしはないと思うんだ。ゆっくり降りるなんていうことはできないの。もう、すごい勢いで転げ落ちるか、低くてもいいからよその頂に跳び移るか。うまく、その傍に、もうひとつの頂があればいいけど、それが見つけられなければ、転げ落ちるのを待つだけなんだ。……」

 このとき、藤圭子は歌謡界を引退して、別の頂に跳ぼうとしていた。その頂とは結婚することではなかった。

「じゃあ、どこに跳び移るの、結婚じゃないとしたら」
「笑わないでくれる?」
「もちろん」
「勉強しようと思うんだ、あたし」
「そいつは素敵だ」
「二十八にもなって、遅いかもしれないけれど、やってみようと思うんだ」

 藤圭子はアメリカに行って、英語を勉強しようとしていた。一途なのである。

nice!(7)  コメント(1) 

nice! 7

コメント 1

ムロ

>頂上に登ってしまった人は、二つしかその頂上から降りる方法はない。ひとつは、転げ落ちる。ひとつは、ほかの頂上に跳び移る。この二つしか、あたしはないと思うんだ。

言えて妙!!
「歌の世界」だけでなく、普遍的に言える。
思い当たる節がある
by ムロ (2020-04-29 11:23) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント