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あのころフーコーは──D・エリボン『ミシェル・フーコー伝』から(1) [われらの時代]

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 ディディエ・エリボンの『ミシェル・フーコー伝』 から、あのころのフーコーの様子をたどってみる。
 ミシェル・フーコーは1926年10月にフランス西部の都市ポワチエに生まれた。父は名声高い外科医で、母も地所や農場、牧場をもっていた。裕福な家庭だったといえよう。
 聖スタニスラス中学に入学した1940年9月ごろ、町はドイツ軍によって占領されていた。フーコーは43年6月、バカロレア(大学入学資格試験)に合格するが、医学の道には進まず、文科を選ぶ。
 戦争が終わった45年秋にパリに出て、アンリ4世高等中学校で入試の準備をし、46年秋に高等師範学校に入学する。しかし、孤独と同性愛に苦しみ、48年には自殺未遂をおこしている。
 フーコーの代表作、『狂気の歴史』(1961)や『性の歴史』(1976〜84)は、みずからの個人史を歴史的に掘り下げた作品だとみる向きもある。
 1950年には、高等師範の教師ルイ・アルチュセールに倣って、フランス共産党に入党している(しかし、3年で離党)。この年、教授資格試験に失敗するが、気を取り直して勉学にはげみ、翌年、見事に合格をはたした。
 新しい教授資格者はどこかの高等中学で教職につかねばならないが、フーコーは高校教師の道を選ばず、チエール財団で研究をつづけた。だが、この財団の寮でも、同性愛関係でもめごとをおこし、追い出されるようにして、1952年にフランス北部にあるリール大学の助手となった。
 リール大学に赴任して、心理学を教えるようになっても、フーコーはこの町に定住しない。毎週、駅近くの小ホテルに宿泊して、2、3日授業をおこなっては、パリに戻る生活をつづけている。このころ、専門の心理学研究を深めながら、ニーチェを読みはじめている。1955年にはスウェーデンのウプサラに向かう。ウプサラのフランス会館館長となるのだ。
 ウプサラでは3年間すごしている。ここでの仕事は、フランス語とフランス文化を紹介することだ。ウプサラのフランス会館で、フーコーは週に6時間授業をした。多くの生徒はそれについて行けず、脱落していった。にもかかわらず、フーコーの仕事ぶりは熱意にあふれていた。アルベール・カミュやロラン・バルトをはじめ多くの講師陣がやってきた。
 公務は繁忙をきわめた。そのかたわら、フーコーはウプサラの大図書館で資料の山を読みふけり、博士論文の執筆に着手する。その成果が1961年に『狂気の歴史』となって、出版されることになる。
 フーコーは1958年にウプサラを離れ、いったんパリに戻ってからワルシャワに行き、ワルシャワ大学のフランス文明センターの仕事を引き受ける。だが、それも1年しかつづかない。
 フランス外務省とかけあって今度はドイツに行こうとする。1959年から60年にかけ、フーコーはハンブルクのフランス文化学院で、フランス語の授業をするが、多くの時間は大学図書館で過ごしていた。膨大な量の博士論文『狂気の歴史』の仕上げに取りかかっていたのだ。
 フランスに戻ったフーコーはその論文を出版する(当時のタイトルは『狂気と非理性』)。論文は1961年5月のソルボンヌ大学での公開審査を経て優秀と判断され、文学博士の学位を得る。フーコーは1962年秋にフランス中部にあるクレルモン大学の正教授に昇格することになった。
 1960年秋から66年春までフーコーはクレルモンとパリのあいだを往復していた。哲学科の聴講者は全体で30人ほどだった。
 このころのフーコーはどちらかというと左翼だが、政治参加にはそれほど積極的ではなく、70年代のような急進派ではなかった。
 1963年からは、『言葉と物』の原型となる講義をはじめている。エリボンによれば、そのころフーコーは革命を準備していたわけでも、バリケードに思いをいたしていたわけでもなかった。むしろ、激しい反共産主義の姿勢を示していた。共産党を脱退し、ポーランドで暮らして以来、フーコーは共産主義を思い起こさせるものに猛烈な敵意をいだいていたという。
 1963年には東京の日仏学院院長に任命されるという話があった。しかし、クレルモン大学の学部長が文部省に強く訴えて、話は立ち消えになった。モーリス・パンゲではなく、フーコーが日仏学院に来ていたら、また別の展開があったかもしれない。
 そのころ、フーコーは大学で心理学を教えることに飽き飽きしはじめていた。ソルボンヌ大学に移る計画はうまく行かない。1965年には2カ月間ブラジルに滞在した。66年にはチュニジアのチュニス大学に出向することになる。そのころ、パリでは『言葉と物』が出版され、増刷を重ねていた。

 以上はまえおき。
 それ以降、70年代はじめごろまでを、エリボンの『ミシェル・フーコー伝』に沿って、少し詳しくみていくのが、われらの時代のテーマである。
 といっても、このころ日本ではフーコーはほとんど知られていない。1970年に来日したときも、メディアはほとんど注目しなかった。構造主義の登場で、サルトルはフランスでは凋落していたのに、日本はまだサルトルの時代だった。日本でフーコーが注目されるようになるのは70年後半からである。
 しかし、ここではその心理的時差を縮めて、われわれと同時代の生のフーコーを追っていくことにしよう。
 まず1966年4月にガリマール社から出版された『言葉と物』が大ヒットしたことを取りあげるべきだろう。
 この本の序章では、ベラスケスの絵画「侍女たち」が取りあげられていた。これはいちばん最後につけ加えられた原稿だったという。だが、それまで読んだことのないような、鋭い文学的ともいえる絵画の構造的分析が読者を引きつけ、本は「菓子パンのように」売れて、増刷に次ぐ増刷となった。難解な哲学書がこれほど売れるのはまれなことだった。
 フーコーは早くからサルトルやメルロポンティの「人間学」を批判していた。「人間学」の幻想に異議を申し立てていた。神の死とともに人間は絶対者となるわけではなく、絶対者としての人間もまた終わる、とフーコーは宣言した。
 この本のサブタイトルは「人文科学の考古学」となっている。フーコーは16世紀初頭から数世紀にわたる知の形式を追っている。
 フーコーによれば、おのおのの時代には、あらゆる科学的な言説を可能にする知の格子のようなものがあって、こうした「歴史的な先験的認識」をフーコーはエピステーメーと呼ぶ。
 どのような学問も何らかのエピステーメーのなかで深められ、同時代の学問と結びついている。フーコーはまず古典主義の時代に発展した一般文法、富の分析、博物学を取りあげる。そして、それらが19世紀には、比較文法、経済学、生物学へと変成していくことを指摘する。人間を認識対象とみるなら、ここでとらえられているのは、話す人間、働く人間、生きる人間である。
 古典主義のエピステーメーの特徴は、いわば表象の分析である。一般文法では、言語の内的メカニズムが解明れる。富の分析では、富と貨幣の関係が取りあげられる。そして博物学ではさまざまな分類がなされる。
 これにたいし、19世紀のエピステーメーがめざすのは深層の分析である。比較文法では言語とは何かが問われ、経済学では価値の源泉が問われ、生物学では目に見えない生命の根源が問われる。
 ルネサンス以後の古典主義時代において主役となったのは、神のもとで生きる人間だった。とはいえ、その世界は神によってつくられていた。
 しかし、19世紀になると、世界をかたちづくるのは無限なる神ではなく、有限なる人間だという思想が強く打ちだされる。そして、世界の深層を発見するのも、また神ではなく、有限なる(命の限られた)人間なのだということになる。
 だが、はたしてそうなのか。フーコーはその「人間」なるものに疑問をいだく。神なき近代の個としての「人間」もまた幻想ではないのか。
 人間を疑うなかで、フーコーが導きの糸とするのは、精神分析学や文化人類学、さらには言語学である。こうした反科学は「人文諸科学のなかでその実証性をつくり、さらにつくりなおすあの人間をたえず解体することをやめない」とフーコーはいう。
『言葉と物』の末尾は、あまりにも有名である。

〈人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。〉

 この謎のことばは大きな波紋を広げていった。
『言葉と物』が出版された1966年には、構造主義論争が燃え盛っていた。『構造人類学』の著者レヴィストロースは、1962年に『野生の思考』を出版し、サルトルを手厳しく批判していた。フーコーもまたサルトルを「最後のヘーゲル哲学者であり、最後のマルクス主義者」と断じていた。そこで、かれも構造主義の陣営に加わったとみなされるようになる。
 反撃がはじまった。共産党のマルクス主義者は、フーコーはニーチェ・イデオロギーに染まっており、かれの考え方は未来への客観的な道を隠蔽するものだと批判した。サルトルもまた、フーコーが歴史を拒否し、マルクス主義を排除しているとみなしていた。
 だが、人びとがこぞって『言葉と物』を読んだのは、「人間の死」という強烈なテーゼにひかれたからだけではない。マルクス主義とは異なる新たな世界解釈を待ち望んでいたからにちがいない。問われているのは「近代」だった。
 フーコーは当初、構造主義者と呼ばれることに異論を唱えていない。だが、次第に構造主義というレッテルを拒絶するようになる。構造主義と一線を画すために『言葉と物』とは別の本を書きたいと思った。それが1969年に出版される『知の考古学』となって結実するのだ、とエリボンは書いている。

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