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吉本隆明『共同幻想論』をめぐって(2) [われらの時代]

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[7月28日、市川の堀之内貝塚公園にて。このあと、キツネにだまされたように、車をこすってしまった。]
 心の問題としての国家が問われている。
 そのとっかかりとして、吉本が素材にしようとしたのが、柳田国男の『遠野物語』だった。岩手県の遠野に残されていた民話を、地元出身で、当時、早稲田の学生だった佐々木喜善が、当時農政官僚の柳田に語り、それを明治43年(1910年)に柳田がみごとな文章にまとめあげた。
 佐々木を柳田に紹介した作家の水野葉舟は、これを遠野の怪談と称し、語り手である佐々木自身もいなかの「お化け話」だと思っていた。
 すでに明治の終わりにあって、里に残された民間伝承は、かつてのふるさとを思わせるなつかしい話となっていた。そこには、あわただしい近代とはことなる里の生活の痕跡があちこちにちりばめられていたからである。
 そんな民間伝承である『遠野物語』を、はたして国家論として扱えるのだろうか。それは里に伝わった怪異な話であって、とても国家の発祥と結びつくとは思えない。吉本はなぜ遠野物語を国家論の射程に収めようとしたのだろうか。
 柳田自身は、当初、山には日本の先住民が暮らしており、その痕跡が山神山人伝説となったと考えていた。その仮説は、南方熊楠との論争をへて放棄されるが、聞き書きの『遠野物語』を記したときには、この物語を「山神山人の伝説」と考えていたのである。しかし、柳田はそのうち『遠野物語』が、日本近代の文脈において、民間の側から『古事記』を逆照射する潜在性を秘めていることに気づき、そんな思いを封印していくのである。
 山人=先住民説を捨てた柳田は、それ以降、民間伝承の収集を通じて、オシラサマに代表されるような、民衆生活と渾然一体となった民間信仰をさぐる方向へと舵をきっていく。
 問題は吉本がなぜ『遠野物語』を国家論の端緒として、取りあげようとしたかである。吉本好みの言い方をすれば、『遠野物語』は、天皇の物語である『古事記』とは逆立しているのである。『古事記』が支配する側の物語だとすれば、『遠野物語』は支配される側の物語である。
『古事記』が人を超越した神々の強さと力を示す物語だとすれば、『遠野物語』に登場するのは、こわいといっても山男、山女、山の神のたぐい、それに天狗やカッパ、雪女などの妖怪、それに猿、狼、熊、狐、蛇などの動物で、いずれも身近な存在である。それでも、吉本は『遠野物語』に国家と連関する心性を読みこもうとした。
 そこからは、どこか牽強付会、こじつけ、その結果としての難解さが生じたのではないだろうか。しかし、民衆の心性や信仰(共同幻想)が、いかに逆立した(言い換えれば抑圧的な)国家の成立と結びつくかという論理立ては、いかにも吉本好みだった。
 先入観をまじえず、『共同幻想論』を読み進めてみよう。
 吉本がまずとらえるのは『遠野物語』にえがかれる山人への恐怖である。
遠野の里は山に囲まれている。その山にはいった猟師は、夢うつつのうちに、山人に出会った。そんな話がいくつも伝えられている。それぞれの話には構造的にちがいがあるが、いちいち分析するのは骨が折れる。吉本による現代語訳で、ひとつだけ紹介しておこう。

〈村の娘が栗拾いに山に入ったまま帰らなくなった。家の者は死んだとおもって葬式もすませて数年すぎた。村の猟師があるとき山に入って偶然にこの女にあった。どうしてこんな山にいるのかと問うと、恐ろしい人にさらわれ妻にさせられた。にげ帰ろうとおもってもすこしも隙がない。その人はたけが大きく眼の光がすごい。子供も幾人か生んだけれど、食べるのか殺すのか皆もちさってしまう。ときどき四五人集って何か話し、どこかへいってしまう。食物など外からもってくるのだから町へも出るにちがいない。こう言っている間にも帰ってくるかも知れないというので猟師も怖ろしくなってそうそうににげ帰った。〉

 民話の時制は、そう遠くない昔のことで、いつのことかはわからない。しかし、いかにもありそうなこととして、おそらく老人から子どもたちに伝えられた。子どもたちは、むやみに山にはいると、おそろしい山人にさらわれるぞという教訓を受け止めたはずだ。
 吉本のいう「入眠幻覚」のうちに山男(天狗に似ている)に出会うという伝説は、ひとり山にはいって猟をする人を時折襲う山中の恐怖に由来している。それが、いかにもほんとうに山男がいるように語られ、聴く人に恐怖を与えるところが、みそである。
 実際に山男が集団でいて、人さらいをしたり、悪事をはたらいていたりするなら、その事実を確認するのが、近代の発想である。しかし、そんなことがなされないのは、それが昔話として語られるからである。
 にもかかわらず、語られただけでも恐怖は伝わってくる。その恐怖の正体は何か。
 吉本はこんなふうに書いている。

〈すべての怪異譚がそうであるように『遠野物語』の山人譚も高所崇拝の畏怖や憧憬を語っている伝承とはおもわれない。そこに崇拝や畏怖があるとすればきわめて地上的なものであり、他界、いいかえれば異郷や異族にたいする崇拝や畏怖であったというべきである。そして、その根源には村落共同体の禁制が無言の圧力でひかえていたとおもえる。〉

 山人は山の神ではない。それは異郷に住む異族を象徴する存在だ。里人は、それに恐怖や、時に崇拝をいだき、いわば幻想をいだいた。その幻想が、里に一種のタブー(禁制)を生むことになる。
 この展開がなぜ国家の発端と関係するのかといぶかる向きには、現代でもたとえば山人の代わりに、イメージとしてのアメリカ人やイタリア人、中国人、朝鮮人、アラブ人、アフリカ人などなどを思い浮かべてみればよい。ほとんどメディアを通じてでしか伝わってこない、かれらのイメージからは、崇拝であれ、畏怖であれ、恐怖であれ、嫌悪であれ、一種の幻想が生まれていることがわかる。その幻想をつくりだすものは、日本という国の共同幻想にほかならない。
 ぼく自身は、師の滝村隆一のことばを借りれば、国家即共同体こそが共同幻想の本質だと考えている。こうした共同幻想は、ひとつの共同体の別の共同体にたいする外部感覚(恐怖や崇拝)をもとに醸成されたものだ。共同幻想は時代とともに変化するだろう。そして、それが消えていくには、それこそミレニアム単位の射程を要するのではないだろうか。
 これが最初の「禁制論」から、ぼくが勝手に思うことである。
まだ、はじまったばかりだ。
「禁制論」では、共同体に法の前段階となるタブーが生まれたことが論じられた。
 次の「憑人(ひょうじん、つきひと)論」では、いささかいやしい里の神々が出現する。そして、それがまつりごとをつかさどる神へと変貌し、政治の原型がつくられていく気配が語られることになる。
それにしても、先は長い。やれやれ。はたして終わりまで行きつくだろうか。自信がない。

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