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吉本隆明『共同幻想論』をめぐって(5) [われらの時代]

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[8月6日、遠野伝承園にて]
 国家の成立までを追う探求がつづいている。その探求は自己とその経験から出発し、文学的で詩的なスタイルをとっているので、一見、理解しづらく、脈絡がつながらないようにもみえる。しかし、よくよくみれば、日本における国家の成立を追求しつづける吉本の姿勢は一貫している。
 きょう読んでみる「母制論」も「対幻想論」も、ざっと眺めると、なんのことかさっぱりわからないという印象をもたれるかもしれない。ふたつのテーマは、家族論というジャンルでくくることができる。問題は、家族と国家の次元が頭のなかで、すぐに結びつかないことである。
 それはさておき、いまは国家成立以前の状況に思いをはせてみよう。族長に率いられた氏族社会を思いえがけばよいのかもしれない。おそらく、そこで日々営まれているのは、氏族=家族集団の集合活動である。その活動のなかから、部族が生まれ、国家が登場するという流れを考えるなら、国家誕生の過程には、家族の問題、吉本のことばでいえば「対幻想」が大きくかかわっていることが想定できる。
「母制論」と「対幻想論」は、『古事記』を主な素材としながら、国家の登場するまでのあわいとでもいうべき期間を扱っているとみてよいだろう。
 ここで吉本はまずエンゲルスの『家族、私有財産及び国家の起源』でえがかれた原始時代の家族像を否定するところから出発している。
 エンゲルスは、モーガンの『古代社会』にヒントを得て、原始時代には、内に向けて閉じられた家族などというものはなく、人びとは集団婚のもとに暮らしていたと考えていた。エンゲルスによれば、集団婚とは「男の全集団と女の全集団がたがいに所有しあい、ほとんど嫉妬の余地を残していない形態」のことである。
 しかし、吉本は男と女は(あるいは同性どうしでも)、好き嫌いや嫉妬にかられる存在であり、そこからしてもフリーセックスの願望を投影した集団婚の実在性は疑わしいと述べる。
 エンゲルスはさらに集団婚から母系制(母権制)を導きだそうとした。集団婚では、ある子どもの父はだれかわからないが、母はだれかがわかる。だから、子の血統は母方によってしか証明できず、そのため共同体内における母の力が強くなるというわけである。
 だが、吉本はこんなばかな話はないという。母親ならば、たいてい子どもの父親がだれかはわかるはずであり、母権制を集団婚から導こうという発想は根本的にまちがっているという。「〈母系〉制の基盤はけっして原始集団婚にもとめられないし、だいいち原始集団婚の存在ということがきわめてあやふやである」
 吉本は未開社会において、母系制(母権制)が存在したであろうことをむげに否定してはいない。
 とはいえ、純粋な一対の男女がそのまま共同体の主導権を握ることは考えられない。

〈いうまでもなく、家族の《対なる幻想》が部落の《共同幻想》に同致するためには、《対なる幻想》の意識が《空間》的に拡大しなければならない。このばあい、《空間》的な拡大にたえるのは、けっして《夫婦》ではないだろう。夫婦としての一対の男・女はかならず《空間》的には縮小する志向性をもっている。それはできるならばまったく外界の共同性から窺いしれないところに分離しようとする傾向をもっている。〉

 共同体内で対幻想が拡大して、共同幻想に同致するのはどういう場合だろう。その典型として、吉本は『古事記』にえがかれている姉アマテラスと弟スサノオの関係を取りあげる。
 アマテラスもスサノオもイザナギの子であり、父からアマテラスは高天原を、スサノオは海原を統治するよう命じられる。しかし、海原の統治を嫌がり、亡き母の国に行きたいと泣き叫ぶスサノオは、イザナギの怒りを買って追放されてしまう。
 そしてスサノオはアマテラスのところに向かうのだが、弟が国を奪いにきたと思ったアマテラスは川(天の安河)のほとりで武装して待ち構え、かれを高天原に入れようとしない。
 そこで、邪心のないことを証明するために、スサノオは「うけひ(神儀裁判)」をしようと提案し、それぞれ子を産んで、それが女だったら「きたない心」、男だったら「清らな心」をもっていると判定しようという。しかし、スサノオから生まれたのは3人の女、アマテラスから生まれたのは5人の男だったので、逆上したスサノオは高天原で乱暴狼藉をはたらくことになる。
 ご存じのように話はこれからまだつづくのだが、とりあえずここで打ち切っておこう。問題はこの神話が何を意味しているかである。
 アマテラスとスサノオのあいだに姉弟の相姦関係があるわけではない。ふたりは、ともに子をつくりだす力をもつ神であって(男が子を産むのはへんかもしれないが)、相姦関係がないから、それぞれ子を産むのである。
 にもかかわらず、アマテラスとスサノオは同じイザナギの子として対幻想関係にある。幻想的な子産みは、それ自体政治的決定につながる祭儀行為にほかならない。ここでは、あきらかにアマテラスがスサノオの上位にあり、そのかぎりでは母権制の存在がほのめかされているとみることもできる。
 吉本は、沖縄の久高島で、島の女性たちとその兄弟だけでとりおこなわれるイザイホウの神事を例に挙げて、ここでも「水田稲作が定着する以前の時代の〈共同幻想〉と〈対幻想〉との同致する〈母系〉制社会の遺制を想定することはできる」としている。
 氏族社会において重要なことは、兄弟・姉妹どうしの性交が、共同規範として禁止されていることだ。それでも同一家族の兄弟・姉妹間には性行為をともなわない対幻想が持続する。
 それだけではない。原始的な氏族社会では、共同体において姉妹が宗権を掌握したときには、兄弟が政権をになうというシャーマン的な統治形態が成立しうるのである。

 吉本はさらに対幻想についての考察を推し進める。
 氏族はいかにして生まれるのか。
 フロイトは「原始群族の父祖」という概念を最初に設け、息子たちがその父祖を殺すところから話をはじめている。だが、父祖を倒したあとも共同体内の争いは絶えなかった。そこで、息子たちは父祖になることをあきらめ、禁制の象徴として、トーテムを立てることにし、そのもとで、それぞれ家族をつくるようにしたというのである。これはエンゲルスとは根本的にことなる発想だ。
 このフロイトの発想を受けて、吉本はいう。

〈《対なる幻想》を《共同なる幻想》に同致しうる人物を血縁から疎外したとき《家族》は発生した。そしてこの疎外された人物は宗教的な権力を集団全体にふるうものであることも、集団のある場面でふるうものであることもできた。それゆえ《家族》の本質はただそれが《対なる幻想》であるということだけである。そこで父権が優位であるか母権が優位であるかはどちらでもいいことである。また、《対なる幻想》はそれ自体の構造をもっており、ひとたびその構造の内部に踏みこんでいけば、集団の共同的な体制と独立であるということもできる。〉

 これをみると、吉本がいかに個人とともに家族に大きな思想的根拠を与えているかがわかる。自己幻想と対幻想は心的には、共同幻想に対抗しうる領域であり、いかなる共同幻想も最終的に個人や家族を侵すことはできないのだ。
 もちろん、家族の形態にも歴史があって、それを一律に近代的家族として扱うわけにはいかないだろう。それでも、氏族社会において、族長という存在が分離され、族長に共同幻想の核を集中させることで、はじめて家族が発生し、男と女の対幻想のなかから、しだいに個としての自己幻想が登場してくるというとらえ方は、みごとというほかない。
 こうして家族は歴史を通じて、普遍的な人間関係となった。
 エンゲルスの家族論はけっきょくのところ家族の否定と解体という共産主義的理念にもとづいている。家族は解体され、男と女の一時的関係に還元され、男と女はひたすら共同体の要請にしたがって行動するものとされる。しかし、人類はかつてそのような時代を経験したとも思えないし、将来そのような時代を経験するとも信じられない、と吉本はいう。
 ここで吉本は、共同幻想と対幻想が同致しているとみられる、イザナギとイザナミによる国生み神話をとりあげる。
 イザナギとイザナミは性的な関係をもち、子を産むが、それが八つの島になるというのが国生み神話である。生まれた子どもが八つの島になるのだから、たしかにここでは共同幻想と対幻想が同致しているようにみえる。
 これが国に八つの島が存在していることが認識されたあとにつくられた農耕時代以降の神話であることはまちがいない。子を産むことが、穀物の実りの豊穣と結びついていることからみても、それはあきらかだろう。
 だが、この同致は、産めよ殖やせよのもとに意図的につくりだされた共同幻想の浸透によるものなのである。農耕を中心とする部族国家が生まれたこの段階で、共同幻想と対幻想はじっさいには分離されていたとみるべきだ、と吉本は考えている。
 それをもたらしたのは時間意識である。当初、穀物が実る時間と女性に子ができる時間は同じであるかのようにみられ、そこから穀母神的な観念が生まれた。だが、共同幻想と対幻想の一致はすぐに崩れる。
 なぜなら穀物の栽培と収穫が年ごとになされるのにたいし、子どもの成育には少なくとも十数年の年月がかかるからである。その時間性のちがいが、共同幻想と対幻想のちがいを意識させることになった、と吉本はいう。

〈もちろん、この段階でも穀物の栽培と収穫を、男・女の《性的》な行為とむすびつける観念は消失したはずがない。しかし、すでに両者のあいだには時間性の相違が自覚されているために共同幻想と《対》幻想とを同一視する観念は矛盾にさらされ、それを人間は農耕祭儀として疎外するほかに矛盾を解消する方途はなくなったのである。農耕祭儀がかならず《性》的な行為の象徴をそのなかに含みながらも、ついに祭儀としての人間の現実的な《対》幻想から疎遠になっていったのはそのためである。〉

 農耕祭儀を媒介としながら、国家と家族は分離する端緒に立った。しかし、氏族社会が部族国家に転移するには、別の契機が必要だった。
 そのことを、次回最終回でみていくことにしよう。

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