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21世紀の展望──ホブズボーム『20世紀の歴史』をかじってみる(10) [われらの時代]

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 本書の原書は1994年、翻訳書は96年に出版されている。本書が扱うのは1914年から91年までだ。それ以後についても、多少の言及はあるが、1990年から今日まではや30年立ったかと思えば、時の流れの早さに驚かされる。
 あのころから現在までをふり返っただけでも、大きなできごとが頻発した。歴史年表をめくる。
 1993年、欧州共同体(EU)発足、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)との暫定自治協定、細川連立政権誕生。1994年、金日成死去。1995年、世界貿易機関(WTO)発足、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、ラビン・イスラエル首相暗殺、ボスニア和平協定調印。1996年、自民党政権奪還、ペルー日本大使館人質事件。1997年、英ブレア労働党政権発足、香港の中国返還。1998年、韓国大統領に金大中、クリントン米大統領の不倫疑惑。1999年、NATOによるユーゴ空爆。2000年、プーチンがロシア大統領に、平壌で南北首脳会議。
 そして21世紀にはいって、2001年、米中枢同時多発テロ、米英軍のアフガニスタン空爆開始、小泉政権発足。2002年、欧州単一通貨ユーロの流通、小泉首相訪朝。2003年、米英軍がイラク攻撃を開始、サダム・フセイン大統領を拘束、中国では胡錦濤が国家主席に、韓国では盧泰愚が大統領に、日本では有事法制関連三法が成立。2004年、サマワに自衛隊派遣、EUが25カ国体制に、スーダン西部のダルフールで殺戮事件。2005年、ロンドンなど世界各地でテロ、京都議定書発効。2006年、北朝鮮が地下核実験、第一次安倍内閣発足、イラクでテロ激化。2007年、安倍首相突然の辞任、原油価格高騰。2008年、リーマン・ショック、麻生内閣、秋葉原で通り魔殺人事件。2009年、オバマが米大統領に当選、鳩山民主党政権発足。2010年、民主党菅内閣、中国がGDPで世界2位に。2011年、東日本大震災と福島第一原発事故、北朝鮮の金正日総書記死去、「アラブの春」。2012年、第二次安倍内閣発足、欧州債務危機、中国国家主席に習近平。2013年、イラン核合意、日本で特定秘密保護法。2014年、ウクライナ危機、ISが勢力拡大。2015年、フランス全土で連続テロ、日本で安全保障関連法成立。2016年、トランプが米大統領に当選、天皇が退位の意向、イギリスがEU離脱選択。2017年、ISの拠点崩壊、韓国に文在寅政権。2018年、オウム松本死刑囚らへの刑執行、初の米朝首脳会談。2019年、平成の終わりと新天皇即位。そして2020年、コロナ禍と安倍首相ふたたび突然の辞任など。
 ほんとうにさまざまなことがあった。時はあっというまに過ぎていく。世界では穏やかな年は1年とてなかったといってよい。ぼくは、ありがたいことに、そのなかを凡々と生きてきた。
 いまメモしておくのは、1994年に出版された本書でホブズボームが21世紀の世界をどのように展望していたかということである。いいかげんでもメモするのは、書いておかないと、何もかもすぐ忘れてしまうからだ。
 20世紀の終わりになって、世界的ドラマの古い役者たちは、ただ一国、すなわちアメリカを除いて消えてしまった、とホブズボームは書いている。だから、第三次世界大戦はもうおこらないだろう、とも。
 だが、これは戦争の時代の終わりを意味しない。地球規模での超大国の対決とは関係のない戦争がこれからもずっとつづくだろうという。アフリカ、旧ユーゴスラビア、アフガニスタン、中東などにはいまも戦争の火種が残っており、いつ暴発するかわからない。そして、その火種が世界じゅうに飛び火する可能性もある。この予想は残念ながら、あたった。
 非国家的テロリズムの横行もホブズボームは予言していた。テロリスト集団が核兵器を手にいれることも考えられないではない。そして小集団による破壊活動を排除することは、ひじょうに難しくなっている。
 世界でも国内でも、豊かな部分と貧しい部分との緊張が高まり、暴力行為が常に発生するだろう。外国人排撃の動きも出てくるかもしれない。
 先進国と途上国では、武力と富に圧倒的なちがいがある。途上国は先進国に先制攻撃されればひとたまりもないだろう。だが、先進国は戦闘に勝てても戦争には勝てない。敵の領土を無期限に支配しつづけることはできないからだとも書いている。
 世界は戦国時代のように、無秩序で混沌としたままだ。ホブズボームは、世界の危機は深く複雑であり、それを克服する方途はみつかっていないという感慨をいだいていた。
 20世紀は世俗的な宗教対立の時代、言い換えればイデオロギー対立の時代だったとも述べている。
ソ連の崩壊は共産主義のこころみの失敗を印象づけた。もはやこれまでのような定式化されたマルクス主義が生き残ることはないだろう。
 いっぽう、新自由主義の市場ユートピアも、いわば神学的な信仰にほかならなかった。純粋に自由放任的な社会はこれまで存在したことがなく、それを制度化しようとするこころみは、失敗に終わった。
20世紀に経済の奇跡をもたらした混合経済的な方策も、いまや方向感覚を失ってしまっている。
伝統的宗教も人びとの心の空白を埋めることができず、世界の平和と安定に向けての代替策を出し得ないままでいる。イスラム原理主義は反西欧意識をあおっている。
 20世紀の終わりには、知的な無力感が絶望的な大衆感情と結びつき、外国人嫌いとアイデンティティ(民族主義、一国中心主義)、法と秩序を求める政治的傾向が強くなってきた。だが、そうした政治は後ろ向きであり、けっして未来を開くことにはならないだろう、とホブズボームはいう。
 21世紀の課題はなんだろう。
 長期的に重要なのは、人口と環境の問題である。
 世界人口は2060年ごろに100億人のピークに達するとの予測もある(80億がピークという説も。2020年現在は約78億)。はたして、世界がこの人口を維持できるのだろうか。とうぜん貧しい途上国から豊かな先進国への移住も増えてくるだろう。そのときに生じる摩擦をどう解決するかが、これからの政治の大きな課題となってくるだろう。
 環境問題も重要である。もし高度経済成長が無期限につづくなら、地球という惑星の自然環境に壊滅的打撃を与えることはまちがいない。だが、ゼロ成長のような提案は実行不可能だろう。それは現在の世界各国間に存在する不平等な関係を凍結してしまうからである。
 だが、人間と、人間が消費する資源と、人間の活動の環境にたいする影響という三者のバランスを確立することは必至である。そうした環境バランスは無制限の利潤追求という経済の原則とはあいいれないもので、きわめて政治的・社会的な問題なのだ、とホブズボームは述べている。
 次に世界経済についてみていくと、世界経済はまだまだ伸びていく余地がある。問題は豊かな国と貧しい国との格差がますます広がっていることだ。
 黄金時代において、世界経済を引っぱったのは、先進国における実質所得の上昇だった。それによって、ハイテクの耐久消費財を買うことのできる大衆消費者が誕生した。しかし、そうした条件は失われつつある。高度な技術化は、雇用者の数を減らす(あるいは賃金コストを下げる)方向に働き、そのいっぽう社会保障のコストは削減されようとしている。
 世界人口の約3分の2は、経済成長の恩恵をほとんど受けていない。だとするならば、資本主義の構造的欠陥について再考察し、それを除去する方向を探るべきなのではないか、とホブズボームはいう。このあたりはまだマルクス魂が生きているようである。
 ソヴィエト体制の崩壊は、資本主義と自由民主主義の勝利を意味しない。世界の諸国家は冷戦終結以降、かえって不安定になり、たいていの国で政権がくるくると交代するようになるだろうとも予測している。
 国民国家は弱体化した。いっぽうでは超国家的組織が、他方では民間のサービスや活動が国家の権力と機能を奪いつつあるようにみえる。
 国家が無力になっているわけではない。国家が国民の行動を監視したり規制したりする能力は、むしろ技術によって強化されている。国家は国民の財産や企業の活動、さらにはコミュニケーションですら把捉できるようになった。
 それでも国家は必要だろう。社会的不公正をただし、環境問題に対処し、所得の再分配をおこない、経済格差を是正し、万人のために最低限の所得と福祉を保証するのは国家の役割だからである。その意味でも、21世紀における人類の運命は、公共権力がどのような役割をはたすかにかかっている、とホブズボームはいう。だが、その動きは常にウォッチされなければならない。
 EUのような超国家的組織、地球規模で適切な決定をおこなえる機関は、これからもますます求められていくようになるだろう。
 いま、民主主義は深刻な窮地に立たされている。
 ホブズボームはこんな皮肉な言い方をしている。

〈政治家は有権者に向かって彼らが聞きたいとは思っていないことを告げるのを恐れるようになり、政治はますます言い抜けを行使する場になっていった。冷戦の終結以後、公言できないような行動を「国家の安全」という鉄のカーテンの背後にかくすのはもはやそう簡単ではなくなった。このような言い抜けの戦略が今後も広まっていくことは、ほとんど確実であろう。〉

 20世紀の終わりには、脱政治現象が生じつつあった。国民の多数が政治に無関心になり、国家のことがらを「政治的階級」、すなわち政治家や官僚、ジャーナリスト、評論家にゆだねつつあると、ホブズボームは書いている。政治から何も得られないと思った人びとは選挙に背を向けた。いっぽう、マスメディアの影響力も大きくなり、人びとの意見はそれに左右されている。
 政治を動かすのは、いまや人民主義(ポピュリズム)になりつつある。政治の正統性は、国民の積極的な服従のうえにしか成り立たなくなった。
「政府はますますあいまいな言葉遣いの雲の後ろにかくれ、ぬらりくらりとまるでタコのような言動で有権者を混乱させることになるであろう」
 そして、そこに真実を隠された政治的決定がなされる。
 歴史は「人類の犯罪と愚行の記録である」とホブズボームはいう。もし世界が過去の歴史を学んで、自らを破壊してしまうことがなければ、未来がよりよい世界になる可能性はきわめて大きい。
 だが、そのためには、何らかの社会の変革が必要だ、というのがホブズボームの見方である。

〈われわれの済んでいる世界は、過去2、3世紀を支配してきた資本主義の発展という巨大な経済的、技術−科学的過程によって捕えられ、根こそぎにされ、転換されてしまった世界である。その世界が無限に続くわけがないということをわれわれは知っている。少なくともそう考えるのが合理的であろう。〉

 答えは先に残されている。

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