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アン・アプルボーム『権威主義の誘惑』(三浦元博訳)を読む(1) [本]

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 本書の内容はオビの紹介文に集約されている。

〈欧米各国の現場で、民主政治の衰退と権威主義の台頭を観察し、分析した思索的エッセイ。〈ピュリツァー賞〉受賞の歴史家・ジャーナリストが、「民主政治の危機の根源」を考察する、警鐘の書。〉

 いま欧米各国で民主政治の危機が深まっていることが、このオビから伝わってくる。もちろん、それは日本も同じである。
 アン・アプルボームはアメリカ生まれの女性ジャーナリストで歴史家。これまで日本で訳された歴史書としては、『グラーグ』と『鉄のカーテン』(山崎博康訳)が知られている。
 みずからの政治的立場を中道右派だと公言する彼女の生活拠点は、半分ポーランドにある。夫のラデック・シコルスキは、一時ポーランドの中道右派政権で外相を務めていた。

 ここで政治的スペクトルを頭にえがいてみよう。
 分布図を考えてみる。両端には左右の全体主義、そして中道はそれにはさまれるかたちで、真ん中に位置する。
 その中道は左派と右派にわかれる。中道左派がいわば社会民主主義の立場だとすれば、中道右派は自由民主主義を唱える。中道派の政治は、対話と説得を原則としており、自由で公平な選挙がその政治的正統性を保証する。中道左派と中道右派のあいだでは、少なくとも討議が成り立つだろう。
 これにたいし、全体主義は一党独裁を原則とする。左の全体主義はインターナショナリズムの共産主義、右の全体主義はウルトラナショナリズのファシズムといってよいだろう。どちらも国内的には、イデオロギーを押しつけ、言論の自由を抑圧し、反対派を監視する体制をとる。そして、対外的には、他国にたいし攻撃的、拡張主義的な姿勢をつらぬく。ともに問答無用の強権体制だといってよい。
 権威主義は中道主義から全体主義に向かう中間に位置すると考えられる。権威主義は、権力政治、統制政治を目指している。権威主義のもとでも反対党の存在はいちおう認められているが、その存在感はできるかぎり弱められている。政府は露骨な人事干渉をおこなって、政府機関だけではなく、テレビ局や新聞社、学術団体などを意のままに動かそうとする。
 もちろん、こうした図式はあくまでもイメージである。現実の政治は図式どおりにはいかない。
 とはいえ、あきらかにいまの政治は、いい方向に進んでいない。1989年に冷戦が終わり、世界じゅうが自由と民主主義を謳歌する時代がはじまると思われていたのもつかのま、21世紀にはいると世界の政治は権威主義と統制主義、管理主義の傾向を強めている。
 いったい、なぜそんなことになったのか。

 本書の第1章は、1999年の大晦日にポーランドの著者の家で開かれたささやかなパーティの場面からはじまる。
 パーティにはロンドンやモスクワのジャーナリスト、ワルシャワ駐在の外交官、ニューヨークの友人など、それに夫の友人たちが集まった。多くがポーランド人で、大多数は自由主義者だったという。そのときは、だれもが民主主義と繁栄の将来が約束されていると思っていた。
 それから20年、著者によれば、多くの友人たちが考え方を変え、ポーランドの極右政党「法と正義」を支持するようになっている。「法と正義」は2015年の選挙で、僅差ながら単独過半数をとると、その本質をあらわにした。
 自分たちに批判的なジャーナリストや公務員、裁判官、軍人などを解雇し、反ユダヤ主義をむきだしにし、LGBTを攻撃し、さまざまな陰謀論を流して人びとをまどわすようになったという。
こうした傾向はポーランドにかぎらない。
 なぜいま政治の世界で民主主義が凋落し、デマゴーグに満ちた権威主義が大手をふるうようになったのか。新右派の台頭が意味するものは何か。それを探るために、著者はヨーロッパやイギリス、そしてアメリカの新世代の知識人と会って、話を聞くことにした。

 民主政治では、民主的な競争によって選ばれた人に国の統治をゆだねるのが通常のスタイルである。しかし、一党独裁国家においては、党に忠実な者が統治を担うことになる。
 民主政治のもとでは、知識人は自由に自分の意見を述べることができる。これにたいし、独裁政治下での知識人の役割は指導者を擁護することだ。それによって、かれは褒賞と昇進を期待することができる。
 いまポーランドでは「法と正義」、ハンガリーではオルバーンの率いるフィデスという反自由主義政党が、党員に利得をばらまく利権政治をくり広げている。ポーランドやハンガリーだけではない。旧共産主義諸国では、いまや愛国主義に裏づけられた一党独裁政治への誘惑が強まっている、と著者は懸念する。
「法と正義」は2001年にレフ・カチンスキによって設立され、現在は双子の兄のヤロスワフ・カチンスキ(2006〜07、首相)が党首を務める。レフ・カチンスキは大統領時代、カティンの森事件追悼記念式典に出席するため、ロシアに向かう途中の飛行機事故で2010年に死亡した。
 著者によれば、カチンスキ兄弟は「陰謀家、策士、共謀の考案者」だという。
 2015年、ヤロスワフ・カチンスキはポーランド国営テレビの社長にヤツェク・クルスキを据えた。そのあと著名なジャーナリストは解雇され、ニュース報道は歪められた。中立性の装いはかなぐり捨てられ、党の意に沿わない人びとへの攻撃がはじまった。
 共産主義とファシズムの時代の「大デマ宣伝」とちがって、現代のプロパガンダは、マーケティング技術やソーシャルメディアも活用した「Mサイズのデマ」を通じて、丹念に練りあげられている、と著者はいう。それをフルに活用したのがドナルド・トランプだが、こうしたプロパガンダはポーランドやハンガリーでもしきりにくり広げられているらしい。
 たとえば、ハンガリーでは、ハンガリー系のユダヤ人億万長者のジョージ・ソロスが国を破壊しようとしているといううわさが流されていた。ポーランドでは、ロシアでの追悼イベントに向かう大統領の飛行機が墜落したのは、何らかの陰謀のせいだという情報がまことしやかに流布された。
 こうした陰謀論は、愛国心を刺激し、権力への支持を強化する方向に練りあげられていた。複雑な現象をごまかしで説明し、その単純さによって人びとの情緒に訴える力をもっていた。
 ハンガリーのオルバーン政権は、科学アカデミーを政府の管理下に置くとともに、テレビ局や雑誌社を支配し、狭量なナショナリズムをあおっている、と著者はいう。
 ヨーロッパの民主政治の危機は、旧共産主義国に特有な「東」の問題ではない。「その波はごく最近、この十年にわき上がってきたのだ」。なぜ、こうした現象が生じてきたのだろうか。
 ギリシャのある政治学者は、著者にリベラルな民主政治こそがむしろ例外で、権威主義的な寡頭政治こそが一般的傾向だと話した。だが、歴史は循環するものだと構えているだけではすまないのではないか。
 民主主義や能力主義、経済的な競争こそがもっとも公平な選択肢だという考え方にたいして、権威主義は国家や集団への帰属、結束と調和を強調する。そして、時にそうしたプロパガンダは人びとの感情を刺激し、客観的な理性を凌駕してしまう。

 ここで、ボリス・ジョンソンの話がでてくる。
 ブリュッセルで著者と会ったころ、ジョンソンは『デイリー・テレグラフ』の記者で、EUをからかったり攻撃したりする記事をさかんに流していた。でっちあげも平気だったという。
 そのころ、イギリスでは、かつての栄光へのノスタルジーが広がろうとしていた。マーガレット・サッチャーが支持された背景には、そんな国民感情もあったのではないか、と著者はいう。
 イギリスは特別で優位に立っているという感情。それがEUの単一市場への懐疑を生んでいた。EUはイギリスにルールを押しつけているわけではなかった。むしろ、それがイギリスに有利な条件も多かった。にもかかわらず、イギリスはEUに何かおもしろくないものを感じていたのだ。
 そんななか、ジョンソンは政界に乗り出し、ロンドン市長となり、ついに首相の座を勝ちとることになる。
 ロンドン市長のころは「EU離脱なんてだれも真剣に望んでいないよ」と話していたのに、国民投票キャンペーンではブレグジットを選んだ。ほんきでそうなるとは思っていなかった。もし、事態が正常に推移し、ブレグジットが選ばれなければ、おどけ者のボリス・ジョンソンが首相になることは、けっしてなかっただろう、と著者はいう。
 著者によれば、ノスタルジアには二種類ある。ひとつは内省的ノスタルジアで、過去を懐かしむタイプ。もうひとつは復古的ノスタルジアで、過去の栄光を取り戻したいと願うタイプ。やっかいなのは復古的ノスタルジアのほうで、これを信奉するやからは、平気で陰謀論やうそをばらまき、進歩派を攻撃しつづける。12年間、ブレアの労働党政権がつづくなか、イギリスでは復古的ノスタルジアのマグマがたまっていた、と著者はいう。
 そして、こうした復古的ノスタルジアの攻撃ターゲットになったのがEUだった。ヨーロッパとの戦いは、イングランド・ナショナリズムを呼びさました。
 EUを離脱すればさまざまなメリットが得られる、EUにとどまればトルコ人を受けいれなければならなくなる、EUを離脱すればイギリスは立て直せる、イギリスは民主政治を守るためにEUを離脱しなければならない。キャンペーン中は、そんなうそやでたらめが平気で流されていた。
 だが、実際にブレグジットが決まったあとは混乱がおとずれた。離脱キャンペーンの主張はことごとくまちがっており、離脱のプロセスは容易ではなく、離脱のコストは当初の予想よりはるかに大きかった。
 ボリス・ジョンソンは首相の座につくと、議会を停会にしたり、リベラル派保守党員を追放したりして、強引にブレグジットを推し進めた。そして、いまやイギリスの民主政治を踏みにじるような権威主義的な改革に乗り出そうとしている、と著者はいう。
 危険な権威主義の流れはますます広がっている。
 もう少し、読み進めてみよう。

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