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ポランニー『人間の経済』を読む(2) [商品世界論ノート]

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 第1部「社会における経済の位置」を読んでみる。
 まずは「A 概念および理念」から。
 第1章の「経済主義の誤謬」で、ポランニーは市場社会は比較的近代の産物であって、それを人類の歴史全体に拡張することはできないと述べている。
 経済(エコノミー)という概念は、フランスの重農学派とともに登場するが、それは市場システムの登場と軌を一にしていた。それまで外部的だった交易が日常生活に浸透し、価格市場が生まれ、労働と土地にも価格がつけられ、賃金や地代が発生するなかで、「経済」が発見されたのである。
 アダム・スミスは経済を市場システムととらえ、すべての経済現象を市場現象として理解しようとした。そこから経済法則という概念が生まれる。労働と土地も商品というフィクションに組みこまれた。こうして市場経済は市場社会へと発展する。市場社会においては、道徳や普段のふるまいなどからなる日常生活の行動そのものが、いわば市場経済化されるといってもよいだろう。
 経済主義への転換をもたらした契機は何か。
 ポランニーはこう書いている。

〈決定的段階は、労働と土地とが商品化されたことであった。すなわち、それらはあたかも販売のために生産されたものであるかのように扱われたのである。もちろん、それらは実際には商品ではなかった。なぜなら、それらはけっして生産されたものでもなければ(土地のように)、またもしそうであっても、販売のために生産されたものでもないからである(労働のように)。〉

 労働と土地が自由に売買され、賃金と地代という市場価格をもつのは、あくまでも商品のフィクションによる。なぜなら労働の実体は人間であり、土地の実体は自然だから、とポランニーはいう。
 いまではだれもが市場経済があたりまえのものだと思うようになった。というのも「労働者の飢えの恐怖と雇用者の利潤への魅力が、巨大なメカニズムを運動させ続け」ているからだ。
 だが、歴史をふり返ってみれば、人間はけっして経済的な動機のみにもとづいて行動してきたわけではないことがわかる。宗教的・美的動機や、慣習、名誉、あるいは征服欲といったものが人びとを駆り立ててきた。もちろん社会も、けっして市場メカニズムだけで成り立ってきたわけではない。
 経済主義は合理主義とアトミズムという対をなす仮説のうえに成り立っている。そこに功利主義的な価値尺度が加わる。
 ポランニーはいう。

〈そのような基盤の上に立つ社会哲学は、空想的でもあれば急進的でもあった。社会を原子化し、すべての個々の原子を経済合理主義の世界の原理にしたがって行動させるようにすることは、ある意味で、人間存在の全体をその深さと豊かさとともに、市場のフレーム・オブ・レファレンスのなかに位置づけようとするものであった。〉

 こうした考え方は経済唯一主義と名づけることができる。それは歴史のあらゆる面に拡張され、歴史解釈に持ちこまれた。だが、はたしてそれは正しいのか、とポランニーは問うている。
たとえば部族社会においては、「連帯は慣習と伝統によって」保たれており、「経済生活は社会における社会的・政治的組織のなかに埋め込まれている」のだ。それは中世社会においても同じだった。経済主義的思考様式をいったん取り外してみる必要があるのではないかというのが、ポランニーの考え方だ。

 本書は寄せ集めの遺稿集という感があって、かならずしも体系的ではないのだが、少なくともポランニーの目指していたことは伝わってくる。
 たとえば、「経済」という言い方には、ふたつの意味が含まれているという考察をみてみよう。
「経済」には、節約とか効率といった「稀少性」にかかわる目的─手段的な意味がある。これとは別に、「経済」には、人が暮らしを営むという実体=実在的な意味もあり、たいていは、このふたつの意味が複合している。
 ポランニーのいう「経済」は、後者の人の暮らしを指している。だが、それは単なる物質的基盤をいうわけではない。そこには自然や仲間との関係も含まれている。
 しかし、現代においては、経済はほとんど市場をめぐる活動と同一視されている。「経済的人間」という言い方にしても、それは動物としての人間と最大化原則とを神秘的に複合した教説にほかならず、そこでは「経済」のふたつの意味の混同がみられる。
 そうした偏向を取り除くためには、経済をより本源的な「人間の暮らし」として理解することがだいじになってくる、とポランニーはいう。しかし、経済の実体はおうおうにして忘れられがちだ。
 いまでは、経済は選択だということがしばしば主張される。手段は限られている。そのなかで、最大の満足を得るために、どのように合理的に活動するのがよいかが問われる。
 人間がひとたび「市場のなかの個人」となると、「人間の欲求と必要に関しては、ただ貨幣が市場に提供されたものの購買をとおして満足をもたらしうるということのみが関心事」となってしまう。そこでは市場における「孤立した個人の功利主義的な価値の尺度」のみが問われることになる。
 これと対照的なのは、アリストテレスの考察だ、とポランニーはいう。アリストテレスは人間の欲求と必要は無限ではないから、人間の暮らしが稀少性の問題を引き起こすことはないと考えた。人間はそれぞれの環境のなかで、生存に必要なものを見出しているからだ。
 アリストテレスにとって、よき生活とは、市民がポリスの仕事に献身するための余暇をもつことだった。アリストテレスは無制限の金儲け活動と、物的な快楽を功利的に蓄積する考え方を軽蔑した。
 人間の暮らしという実体=実在的な意味での「経済」が重要であることはいうまでもない。
 ポランニーはこう書いている。

〈経済は、物的な欲求を満たそうとする相互作用の制度的過程として、あらゆる人間的共同体におけるきわめて重要な部分を形成している。この意味における経済なしには、いかなる社会であれ、瞬時たりとも存続することはできない。〉

 相互作用とは、場所の移動と占有(持ち手)の移動である。つまり、物が生産され、輸送されること、そして取引され、処分されること。これによって、生産は段取りよく消費に差し向けられる。もちろん、相互作用には人間と自然の相互作用も含まれている。
 こうした経済の構造と機能は、さまざまな制度によって形づくられてきた。市場システムはそのひとつにすぎない。

 ポランニーは、人間の経済の主要な統合形態を(1)互酬、(2)再分配、(3)交換に分類する。3つのカテゴリーの統合形態は、制度上の構造を類型的に区分けしたものである。
 互酬は対称的に配置された集団のあいだで生じる。再分配は中央の確立なくしては発生しない。交換は市場システムの存在を前提している。
 互酬においては集団Aは集団B、さらに3つあるいは4つ、もっと多くの集団が対称的で、相互依存の関係にある。これは部族社会にみられる相互扶助システムだといってよい。等価交換は求められていない。
 ポランニーはマリノフスキの研究にしたがって、トロブリアンド諸島の例を挙げる。

〈トロブリアンドでは男の責務は彼の姉妹の家族に向けられるが、彼自身はそのために姉妹の夫に援助をあおぐことはない。むしろ彼が既婚ならば、援助は彼自身の妻の兄弟からくる。すなわち、類似的に配置された第三の家族の成員からである。トロブリアンド諸島では、生活上の農業物資の生産が互酬的関係を基礎とするばかりでなく、海岸の村と内陸の村の間に設けられた「魚とヤムイモ」もまた、互酬的基礎によって行われる。魚はある時期にあらわれヤムイモは別の時期にあらわれる。そして、この場合、交換の仲間たちは親類集団ではなく村人全体である。〉

 さらには有名なクラ交易もあるが、これについてはまたあらためて詳しく述べることにしよう。
 いずれにせよ、互酬制が市場システムと根本的に異なる経済活動であることを頭にいれておこう。
 再分配は初期国家などでよくみられるシステムである。財は集団内でいったん中央に集められたうえで、慣習や法、あるいは臨機応変の措置によって分配される。このやり方は狩猟民や古代エジプト、シュメール、バビロン、ペルーなどでもみられた。財の集め方は徴収から税、貯蔵まで多岐にわたる。集められた財や食料は、祭典や儀礼、宗教儀式、埋葬の饗宴、その他の祝い事など、数多くの機会に分配されることになる。
 ここで、ポランニーはギリシア語のオイコノミア(家政)がエコノミーの起源であるとしながらも、経済が家族を維持するところからはじまったという考え方はあやまりだと述べている。

〈家政は経済的生活の初期形態ではけっしてない。人間は彼自身と彼の家族の世話をすることから始まった、という見解は誤りとして捨てられなければならない。人間社会の歴史をより遠くさかのぼるほど、われわれは経済的事柄において自己の個人的便益のために活動する人間、そして自身の個人的利益を気にする人間を見つけることがまれになる。〉

 交換が登場するのは、最後の段階である。交換とは市場メカニズムのもとで「各自に生じる利得を目ざして行なわれる、人びとのあいだでの財の相互移動」である。
 以上はほんの概略にすぎない。注意しなければならないのは、互酬、再分配、交換が発展段階を示すものではないということである。ポランニーによれば、「いくつかの副次的な形態が支配的な形態と並存しうるし、後者は一時的に消滅したのちにふたたび現れるかもしれない」。
 たとえば、部族社会は互酬と再分配をおこなっており、古代帝国は再分配を中心としながらも、交換もおこなわれている。近代の工業社会は交換を中心としながらも、いまでは再分配が重要性を増しつつある。
 ポランニーは、アジア的、古代的、封建的、近代ブルジョア的からなる発展的唯物史観とは異なる経済の類型を提示した。それは、社会主義の必然性といった信仰をなし崩しにする視座でもあった。
 社会主義は中央指導部を絶対とする再分配システムへと転化する可能性が強い。いっぽう市場システムを絶対とする資本主義は、けっして盤石ではなく、互酬、ないし再分配を中心とするシステムに移行する可能性もある。
 ポランニーは経済史の実証研究から、資本主義対社会主義という硬直した冷戦思考を脱却する論理を構築しようとしていたということもできるかもしれない。
 しかし、予断は禁物である。先はまだ長い。

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