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古代ギリシアの経済──ポランニー『人間の経済』を読む(5) [商品世界論ノート]

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 第3部「古代ギリシアにおける交易・市場・貨幣」から。
 最初にポランニーが、古代ギリシアの経済には、市場体制と計画化体制のせめぎあいがあると書いているのがおもしろい。
 ギリシアで市場体制が発展するようになるのは紀元前7世紀初頭になってからである。植民地のイオニア(小アジアの地域)がはじまりだった。紀元前5世紀に3度くり広げられたペルシア戦争の直後から、アテナイ(古代アテネ)のアゴラでは、食料その他日常品を鋳貨で買う光景がみられるようになった。東地中海の穀物取引も通貨でおこなわれはじめた。
 いっぽう、エジプトは、ギリシア人の指導下で、古代から受け継いだ経済計画体制を洗練させていた。

 ポランニーは紀元前7世紀のヘシオドスが書いた作品『仕事と日々』を読み解くことから古代ギリシア経済の様相を再現しようとしている。
『仕事と日々』が描くのは、不安と不平に満ちた自立小農民の世界である。このころ、かつてホメロスが称えた伝統的な部族社会は衰微しつつあった。
 ヘシオドスはいう。神の怒りによって、人はひとりぼっちとなり、心配がつきぬようになった。生命のパンをいかに得るか、どう餓えを防ぐかをみずから考えねばならなくなったのだ、と。
 部族社会を破壊したのは、紀元前1100年ごろのドーリア人の侵入と鉄の伝来だった。ドーリア人は中部ギリシアを瓦礫の山と化した。暗黒の時代がつづき、その後にもたらされた鉄が人びとの生活を変えていく。鉄製の用具と道具は、戦争と農業に革命的な変化をもたらした。
 鉄の道具は農民のくらしを楽にはしなかった。むしろ、人は鉄の召使いとなって、土地にへばりついて、たえず汗水を流さなければならなくなった、とヘシオドスは書いている。
「ヘシオドスがわれわれに伝えるのは、ギリシア的生活の挽歌なのである」と、ポランニーはいう。クラン(氏族)の紐帯は失われた。個人主義と競争がはじまり、階層が分化して、混乱が生じていた。頼りになるのは、もはや親族ではなく、よき隣人だった。血の紐帯が優勢なのは貴族のあいだだけである。ヘシオドスが描くのは、そんな世界だ。
 ヘシオドスは王侯や貴族の強欲と残忍さ、富者の貪婪(どんらん)と情け容赦のなさを、かずかずのエピソードによって暴きだす。賄賂が横行し、正義はゆがめられていた。政治はいまや富める者のためとなった。
 いっぽう、農民は休みなく懸命にはたらかねば、借金や餓えを避けられない。ヘシオドスが「仕事はけっして恥ではない、無為こそ恥である」と言わざるをえないのは、さもなければ、独立した生活が保てないからだ。
 経済の単位は家政である。よき家政を築くには、よき妻を選び、子どもはせいぜいふたりにすることだ、とヘシオドスはいう。労働と節約こそが家政を保つ秘訣である。さらに、すぐれた腕前をもつよう努力することが求められていた。

 ギリシアの歴史家ヘロドトスは、ペルシアの大王キュロスが、紀元前546年に占領したリュディア(小アジア西部)で、ギリシアの市場をせせら笑う場面を描いている。そこでは、人が集まってきて、だましあい、何やら取引しているというわけだ。
 だが、キュロスがいうような市場は、ギリシア全体に広がっていたわけではなかった。アゴラに市場があったのはアテナイだけである。もちろん、それは人がだましあう場所ではなかった。
 専制主義のペルシアが民主主義のアテネを攻撃する時が迫っていた。だが、その攻略はけっきょくのところ失敗する。
「この制御しにくいアンビヴァレントな制度を操るギリシア人の能力を不当にしか評価しなかったため、ペルシア人たちはギリシア人のポリスのもつ市民的規律、安定的力を見抜けず、破滅の道を歩むことになった」とポランニーは評している。
 古典期のアテネでは、実践的民主主義と市場とが奇妙に結びついていた。ペルシア戦争後、アテネの政治指導者となったペリクレス(前495?〜429)は「自由で文化的な共同体」という理念をたたえた。
 ペリクレスは市場を支持していた。ポランニーによると、当時アテナイのポリス経済は、領地型の再分配、国家レベルの再分配、そして市場要素の三つからなりたっていたという。
 ペリクレスの政敵で貴族のキモンは、とうぜんながら大領地の経営に依拠した家政を支持した。これにたいし、ペリクレスは、みずからつくったものを市場で売り、必要なものを市場で買うことによって、市民がみずからを管理する小規模民主制を支持した。
 ギリシア人は文明を可能にするのはポリスであり、ポリスにかかわることが政治だと考えていた。ただし、ポリスの政治に参加できるのは市民(男子)だけで、外国人には市民権が与えられなかった。
 ポリスでは市民は平等であり、法による支配を受けた。ポリスを離れた個人は考えられなかった。自由とは、政治に参加することを意味していた。
 こうしたポリスにおいて、市場は食料調達の工夫にほかならなかった。しかも、市場は再分配の機能も担っていた。それを可能にしたのは鋳貨である。
 アリストテレス(前384〜322)にいわせれば、寡頭制とは富者の支配であり、民主制とは貧者による支配にほかならない。このことばからもわかるように、師のプラトン同様、アリストテレスも民主制をこころよく思っていなかった。
 民主制を維持するためには、富裕者による公的機関の支配を排除しなければならなかった。それだけではない。アテナイでは、官僚制が徹底して否定されていた。政府(評議会)の役職は、くじによって市民が交替で担っていたのだ。政府を支える民会も、すべての市民が参加できるようになっていた。
 こうした体制を可能にするためには、国家が政治にかかわる民衆に貨幣で支払いをおこない、それによって民衆が食料などの必需品を買えるようにしなければならなかった。
 この仕組みをつくりだしたのは、紀元前510年ごろに活躍したクレイステネスだという。だが、その後、貴族による巻き返しがなかったわけではない。
 実際には、アテネの民主主義は、強大な海軍帝国と配下の同盟国のうえに成り立っていた。この帝国を維持するには、軍事力と同時に穀物供給を確保することが重要だった。
 アテナイでは「公共奉仕に専念することを余儀なくされている多数の人口のために生計の糧を保証し、同時にまた海外から入る食糧を確保するということが、防衛のうえから必要だった」とポランニーは書いている。
 ペルシア戦争で、サラミスの海戦がくり広げられ、ギリシア連合軍が勝利したのは、紀元前480年のことである(マラトンの戦いは前490年)。このとき、アテナイでは半数にのぼる2万人以上の市民が軍に加わった。
 戦争と民主主義の結びつきは否定できない。貧者は国家から食料を与えられていた。そして、自発的に公共奉仕の義務をはたしたのである。
 3度のペルシア戦争(前492〜前449)後は、寡頭制の反動がつづいたが、前462年には民主派のペリクレスがアテナイの実権を握った。
 ペリクレスは長期的な公共事業をおこし、パルテノン(神殿)やプロピュレイオン(楼門)を建設した。多くの人が農村から都市に移住してきた。貧民や老人への援助もなされた。こうした資金は同盟国や属国の貢納や税によってまかなわれた。
 古代アテネのアゴラでは、調理した食品の小売市場が開かれていた。そこで商売を担っていたのが、カペーロスと呼ばれる人びとだった。
 アテナイのアゴラは、市場システム揺籃の地ではない、とポランニーは強調する。まだ、この時代に近代の市場システムは生まれていない。地域市場と海外交易はまったく別物として扱われていた。
 市場と交易はそのまま結びつかない。市場は集会の開かれるアゴラにあり、市場ではさまざまな食べものが売られていた。アゴラで市場が開かれるようになったのは、紀元前6世紀ごろになってからだ。これにたいし、交易は市場よりも古く、金属や軍事資材、貴重品、それに不足気味の食料を得るには遠隔交易に頼る以外になかった。
 市場に従事するのがカペーロスだとすれば、交易に従事する人びとはエンポロスと呼ばれていた。カペーロスは女性が多かったのにたいし、エンポロスはまちがいなく男性だった。市民は市場や交易の仕事に従事しない。この仕事をになったのは居留外国人と外国人である(もっとも外国人といっても、都市国家アテナイに帰属しない人びとという意味で、実際にはさまざまな事情で故郷に戻れないギリシア人が多かったと思われる)。
 アテナイでは居留外国人はピレウスに住み、エンポロスとして、主に穀物輸入にあたっていた。海上交易の規模はちいさく、多くが貸し付けに頼っていた。居留外国人のなかにも、貸し付けをおこなう大商人がいたわけである。
 アテナイの富は、強力な海軍力のもと、海外の同盟国や従属国、植民地によって支えられていた。
「海外交易は一部は管理交易、一部は贈与交易であり、ときたま現れる市場的要素は相対的に重要でなかった」とポランニーは書いている。
 アテナイには租税や貢納のかたちで、物資が流入していたとみてよい。エンポロスと呼ばれる居留外国人は、政府に命じられて、その任務にあたっていたと考えられる。かれらの地位は低く、市民権を与えられなかった。それは市場で、小額貨幣を受けとり、食料の配分にあたるカペーロスと呼ばれる人びとも同様である。
 アテナイを下支えしていたのは、こうした居留外国人や奴隷だった。居留外国人や奴隷がいなければ、アテナイの繁栄も安定もなかっただろう。古代帝国においては、商業活動や労働はいやしいもので、民主主義をになう市民の仕事ではないと考えられていたことに留意すべきだろう。
 話はもう1回つづく。

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