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ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』(西川美樹訳) を読む(1) [商品世界論ノート]

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 著者のブランコ・ミラノヴィッチは旧ユーゴスラヴィア出身の経済学者で、世界銀行の主任エコノミストを20年務め、『大不平等』などの著書で知られている)(現在はニューヨーク市立大学大学院客員教授など)。
 とくに『大不平等』で彼の示したエレファントカーブは、冷戦終結後、中間層がいかに没落し、いっぽう富裕層がいかに所得を伸ばしたかをグラフで実証したものとして注目を浴びた。
 2019年に刊行された本書『資本主義だけ残った』(原題 Capitalism, Alone)はいかにも挑発的なタイトルだが、別に資本主義の勝利を高らかに謳った本ではない。解説者の梶谷懐によると、「むしろ、高度にグローバル化した資本主義が、人々のモラルを欠いた『強欲』によって駆動され、際限なく格差を拡大させるメカニズムであることを正確に指摘し、そこからの軌道修正を読者に迫る」書物だという。
 それですべては言い尽くされたようなものだが、暇人のぼくとしては、大上段にかぶらずに、もう少しのんびりと内容に触れてみたい。例によって正確とは言い難い自分勝手なまとめなので、中身については保証しない。
 まずは最初の「冷戦後の世界のかたち」を読んでみよう。
 冷戦後の変化の本質について、著者はこう述べている。

〈そのひとつは、資本主義が支配的であるどころか、この世界で唯一の社会経済的システムになったということ。もうひとつは、アジアが台頭してきたことにより、欧米とアジアのあいだで経済的な力が再び均衡をとり戻しつつあることだ。〉

 つづめていえば、「資本主義の単独支配とアジアの経済的復興」が、冷戦後の世界の特徴だということになる。そして、この二つはどうやら連動している。
 ロシア革命のあと、資本主義は共産主義と共存していたが、グローバルな勝利を収めたのは資本主義のほうだった。いまでは人が生きていくうえでは金儲けこそが最優先の目的、インセンティブだという考え方があたりまえとさえ思われている。それを誘導しているのが貨幣のルールだ、と著者はいう。
 資本主義は人間の本性に合致しているという人も少なくない。しかし、著者はあくまでも、人びとの抱く欲望の多くは「現在唯一存在する資本主義社会における、いわば社会化の産物なのだ」という考え方をとっている。
 資本主義が成功を収め、人びとに広く受け入れられていることは間違いない。とはいえ、現在の資本主義には二つの異なるタイプがある、と著者は指摘する。
 ひとつはこの200年にわたり欧米で発達してきた「リベラルな能力主義的資本主義」、もうひとつはいまの中国に代表される、国家が主導する「政治的資本主義ないし権威主義的資本主義」だ。
 著者は簡略化して、前者をリベラル資本主義、後者を政治的資本主義と呼んでいるが、もちろん欧米型資本主義、中国型資本主義と名づけてもよいだろう。
 本書はいわば欧米型資本主義と中国型資本主義の比較制度論である。しかも、その競争において「どちらかのシステムが世界全体を支配することはまずなさそうだ」という見通しの上に、著者は両者の比較制度分析をこころみている。
 それにしても著しいのはアジア、とりわけ中国の台頭である。正確にいえば、それは台頭というより、西洋とアジアの関係を産業革命以前の状態に引き戻すものである。それを著者は「世界の再均衡化」と名づけている。
 19世紀はじめの産業革命以降、世界の所得の不平等は拡大するいっぽうだった。とりわけ、第二次世界大戦以降、先進国と低開発国の所得格差は大きく広がった。1940年代から80年代にかけ、インドも中国も、1人あたりGDPは欧米の10分の1程度にすぎなかった。
 状況が変わりはじめるのは1980年代に入ってからである。さまざまな経済改革により、中国はその後40年で、毎年1人あたりGDPの8%上昇を達成する。その結果、現在、中国の1人あたりGDPは欧米の30〜35%に達した。
 中国に続いて、インド、ベトナム、タイ、インドネシアが成長をはじめた。それによって欧米とアジアの所得格差は急速に縮まった。それに輪をかけたのがIT革命だった、と著者はいう。
 いまや(2018年段階で)、世界の生産高は、欧米が37%なのにアジアは43%に達している。
 1970年代においては、グローバルな経済システムに組み込まれた先進諸国と、おいてけぼりをくった後発地域との二重構造が顕著だった。ところが、現在欧米では、多くの人がグローバリゼーションにかえって不快感を覚えている。
 それは「きわめて成功をおさめているエリート層」と「グローバルな貿易と移民を自分たちの不幸の元凶とみなす大勢の人びと」とのあいだに大きな格差が生じているからだ、と著者はいう。
 こうした現象がなぜ生じたかを探るためには、欧米型資本主義と中国型資本主義を、制度的に比較検討してみる必要がある、と著者は考えている。
 以下、のんびりと、その論考を追ってみることにする。

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