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『始まっている未来』(宇沢弘文・内橋克人)を読む(再録) [本]

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 本書のもとになった対談は、2009年の春から夏にかけて、つまり自民党麻生政権末期におこなわれた。出版されたのは鳩山民主党政権が誕生してからだ。
 ジャーナリスト内橋克人と経済学者宇沢弘文との息はぴったりあっており、内橋が宇沢から議論を引っ張りだし、時にその議論を具体例で補足するという役割を果たしている。ほとんど認識を共通する論者どうしによる対談と考えてよい。これから本書の内容を紹介するときに、基本的にいちいちふたりの名前を挙げないのは、そうした背景があることをいちおうことわっておく。
 第1回の対談には「市場原理主義というゴスペル」という大見出しがつけられている。2008年の恐慌をもたらした大きな要因が、市場原理主義という考え方だと著者たちは考えている。そこでまず1929年の大恐慌にさかのぼるところから、対談は始まっている。
 1920年代半ばころから、アメリカではカネ余りによる投機が起こり、「フロリダの別荘用の土地に始まって、1次産品、石油、金、美術・骨董品、ありとあらゆるものが投機の対象」になった。そのバブルが膨らんだあげく、最終的にニューヨークの株式市場が暴落し、それが金融市場から実体経済におよんでいったのが、戦前の世界大恐慌だったといえるだろう。
 これに対し、ルーズヴェルト政権は、金融機関への監督を強化するいっぽう、TVA(テネシー川流域開発公社)などをつくって社会的インフラの整備に政府の資金をつぎこんで、何とか経済を回復させようとした。
 こうした政策を理論的に支えていたのが、ケインズの考え方だった。宇沢によれば、ケインズは「資本主義は基本的に不均衡であり、失業の大量発生、物価の不安定、とくにインフレーション、そして所得と富の不平等といった経済的な不均衡は資本主義に内在しているものだから、それを政策的、あるいは制度的に防がなければならないという問題意識」をもっていたという。ケインズは、資本主義のもとで、安定的な経済成長、完全雇用、「すべての国民が人間らしい生活を営むことができるような制度」を実現したいと願っていた。
 ところが、これとは全くちがう考え方もあった。それがナイトやハイエクの唱えた「新自由主義」だという。新自由主義は世界大恐慌の中で生まれたというより、ナチズムや共産主義に対抗するために生まれた理念だったといってよい。
 宇沢はその考え方を次のようにまとめている。

〈企業の自由が最大限に保証されるときにはじめて、一人一人の人間の能力が最大限に発揮され、さまざまな生産要素が効率的に利用できるという一種の信念に基づいて、そのためにすべての資源、生産要素を私有化し、すべての市場を通じて取引するような制度をつくるという考え方です。水や大気、教育とか医療、また公共的な交通機関といった分野については、新しく市場をつくって、自由市場と自由貿易を追求していく。社会的共通資本の考え方を根本から否定するものです。パックス・アメリカーナの根源にある考え方だといってもいいと思います。〉

 新自由主義のもとでは、政府はほとんど市場に介入してはならないことになっている。むしろ企業が自由に活動することを容認し、さらにそれを促すのが政府の役割というわけだ。あとで、あらためて説明するつもりだが、社会的共通資本の形成を唱える宇沢が、新自由主義に反対する側に立っていることはいうまでもない。
 この新自由主義をさらにエキセントリックに政策化していったのがフリードマンの「市場原理主義」だ。
 フリードマンは「自由を守るためには、共産主義者が何百万人死んでもかまわない」と思っているような人物で、麻薬をやるのは本人の勝手、黒人が貧乏なのも本人の勝手と、何ごとにも規制緩和と自己責任を唱えていた。市場原理主義の立場からすれば、もうけるためには何をやってもいいことになる。
 レーガン政権と、そのあとのブッシュ政権が、銀行と証券の垣根を取っ払い、超富裕層への減税を実施し、巨額の財政赤字と貿易赤字を埋めるため、国債や金融商品(それに組みこまれていたのがサブプライムローン)を日本などに押しつけていった背景には、無節操な市場原理主義の考え方が控えていた。
 それだけではない。日本では嘆かわしいことに、バブル崩壊後、アメリカ流の「規制緩和万能論」が、たちまち政財界に受け入れられていった。その走りが、細川政権時代に中谷巌が中心になってまとめたいわゆる「平岩レポート」で、そこには「自己責任原則と市場原理に立つ自由な経済社会の建設」というきらびやかな文言が並んでいた、と著者は指摘する。
 そこから生まれた政策が、派遣労働(正規・非正規社員の区別)、最低賃金の抑制、後期高齢者医療制度、郵政民営化、医療・農業・教育の「改革」などなどだった。つまり国の関与や規制をやめて、企業が勝手に商売できるような環境をつくれば、何もかもうまくいくという発想だった。その結果、何が起きたか。リーマン・ショックを引き金とする、平成大恐慌だったというのである。
 経済学はよくわからない。ただ思うに、経済学は科学というより、時代の雰囲気がつくった信念体系=社会思想のような気がしてならないのだ。その点では、マルクスもケインズもハイエクも同じだった。最後は処方箋(場合によっては手術)に行き着くという点で、経済学は医学と似ている。そして医術が生老病死を越えることができないように、いかなる経済術も絶対幸福を生みだすことはありえない。宗教だというつもりはまったくない。共産主義にも救済はない。ただ、どこかに限界があることは、わかっておいたほうがいいと思うのである。
 へんな感想になってしまったけれど、カネに振りまわされている世界はどこかゆがんでいる。もちろんカネがなくては暮らせないし、カネさえあれば何でもできるというのもわからないわけではない。ただ、最近、世の中はますますそのような傾向が強くなって、人は自分が何だかそういう異常な世界にいることすら、実は認識できなくなっているような気がしてならない。恐慌はそのことを気づかせる機会となったが、人をそのアリジゴクに落としたのが、カネこそすべてと考えた市場原理主義だったことはたしかである。

   2

 内橋克人は「北欧モデル」を経済のあるべき姿として描いている。北欧ではだれもが利用できる公共的制度(社会的共通資本)があり、「生きる、働く、暮らす」という、人としての基本生活が社会的に保障されているという。
 それにくらべれば、日本の社会ははるかに過酷だ。カネと権力が一番で、それを目指して人は競争する。広くいえば企業、下世話にいえば親分や大将に仕え、目立った業績を挙げるというのもよくあるパターンだ。そこから落ちこぼれてしまうと、世間のお情けにすがるか、世のはみ出し者になるしかない。大不況が日本でより深刻なのはそのためだ。
 規制緩和をするのは、最初からはっきり企業のビジネスチャンスを増やすためだといわれてきた。ビジネスの機会が増えると、雇用も増えるし、買い物も便利になるし、社会のムダもなくなるし、それで経済が発展すると、いいことづくめという宣伝がなされてきた。しかし、規制緩和が打ちだされてからというもの、つまり平成になってから、日本経済はほとんど停滞していたことはまちがいない。
 内橋は規制緩和と構造改革のもとで、自治体財政から切り離された公立病院が経営難におちいり、大規模小売店舗法の撤廃で地元の商店街が崩壊し、解雇自由・超低コストの労働力(派遣や非正規社員)がどんどん増え、国民医療費抑制の名のもとに後期高齢者医療制度が導入されていったことなどを例に挙げている。これをみても、規制緩和がいかに日本社会に打撃を与えていったかがわかろうというものだ。
 実は規制緩和を言いだしたのはアメリカである。規制緩和は日本市場をアメリカ企業のために開放するということを意味していたのではないか。
 内橋は「日米安保とは、軍事条約だけではなく経済協力とのパッケージ」だと話している。宇沢弘文も日本がますますアメリカの植民地になろうとしていると指摘する。そのことを示すのが、たとえば1980年代末から90年代にかけての「日米構造協議」だ。

〈日米構造協議の核心は、日本のGNPの10%を公共投資に当てろという要求でした。しかもその公共投資は決して日本経済の生産性を上げるために使ってはいけない。全く無駄なことに使えという信じられない要求でした。……[その結果]最終的には630兆円の公共投資を経済生産性を高めないように行うことを政府として公的に約束したのです。まさに日本の植民地化を象徴するものです。〉

 630兆円というのはものすごい額で、これはいまの国債残高600兆円に該当する。地方自治体は中央政府の指示で地方債を発行し、そのカネでやたらレジャー施設をつくった。そのつけが、いま回っているのだ。
 それにしても無駄なことにカネを使えというのはひどい話だ。昔、だれかから聞いたことがあるが、日本ではアメリカ派でない官僚は出世できないという。目に見えないところで、アメリカの日本に対するコントロールはずっとつづいている。前回、経済学は時代の産物だと書いたけれども、経済学はしばしばアメリカの世界戦略の道具になっている、と付け加えてもよさそうだ。
 空疎なキャッチフレーズにだまされず、「生きる、働く、暮らす」の場に思想の根拠を置くことがいかにだいじかを思い知らされる。

   3

 宇沢弘文は戦後の日本の経済学者では下村治を高く評価している。池田内閣時代に「所得倍増計画」を唱えたが、公害などを見て、その後ゼロ成長論に転じた人だ。「佐賀の葉隠精神を体現した昭和の偉丈夫」で「日本がアメリカに植民地化されることを心から憂えていた」という。
 アメリカの経済学者で宇沢がとくに評価しているのはスティグリッツだ。オバマ政権がサマーズやガイトナーといった、どちらかといえば市場原理主義者を国家経済会議委員長や財務長官に登用した理由がわからないと苦言を呈している。
 これからの経済学として、宇沢が思い描いているのは「ケインズ=ベヴァリッジ」型の考え方で、その中心概念となるのが社会的共通資本である。

〈社会的共通資本は、基本的にはペイしないし、決して儲けを求めてはいけない。社会的共通資本に携わっている人々は職業的な知見と規律を保って、しかし企業として存続しなければいけない。原則赤字になるものを支える制度をつくるのが政府の役割です。社会的共通資本が本来の機能を果たせる形で持続的に維持できるような制度が、リベラリズムを理念とする社会の経済的な仕組みということでしょう。〉

 やはりわかりにくい。大先生には申し訳ないのだが、ネーミングが悪いのではないかとさえ思ってしまう。
 それはともかく、宇沢はこれまでの経済学の研究から、社会的共通資本という考え方に達したという。大きな影響を与えたのは、ケインズがいちばんだったのはまちがいないが、古典派では、アダム・スミスとジョン・スチュアート・ミルだったことがわかる。
 スミスについては、こう話している。

〈自然、国土を大事にして、そこに生きる人々すべてが人間らしい営みをすることができるというのが、アダム・スミスの原点です。〉

 ミルについては、『経済学原理』に描かれた「定常状態」が注目されている。

〈マクロ経済的にはすべての経済的な変数(実質国民所得、消費や投資など)が一定に保たれているが、ひとたび社会のなかに入ってみると、はなやかで人間的な営みが展開されている。人々の交流、文化的活動、新しい研究……。新しい何かがつくられている活気に満ちた社会であり、かつ経済全体で見ると定常的である。〉

 ぼくは例によって、経済学独特の抽象や言い回しが苦手なのだが、それはともかく、宇沢によると、スミスを継承したミルのいう「定常状態」を実現するための制度が「社会的共通資本」という考え方なのだとされる。
 ところが市場原理主義が横行すると、世の中、何もかもカネというような風潮になってしまった。
 内橋はこういうふうに言っている。

〈人間らしく生きるには豊かさが必要だという順序なのに、いまは逆立ちして、豊かさが満たされれば人間らしく生きられる、という話になっています。つまりは、依然として人間の生存条件ではなく生産条件優位の思考法ですね。〉

 この対談では、宇沢が1991年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の出した回勅の主題となった「社会主義の弊害と資本主義の幻想」の提唱者だったことが明らかにされている。
 その内容について、宇沢はこんなふうに説明している。

〈「社会主義の弊害」とは、社会主義のもと、市民の基本的権利は無視され、個人の自由は完全に剥奪され、人間的尊厳は跡形もなく失われてしまった。特に、狂気に陥った独裁者スターリンの支配下、ソ連全土が巨大な収容所と化し、何百万という無実の人々が処刑されたことなどを指しています。ところが、多くの人たちは資本主義になればいいと思っているが、それは大間違いで、資本主義には社会主義に劣らない深刻な問題がある。特に市場原理主義的な考え方が支配しつつあることに焦点をあてて、考えを進めたわけです。〉

 この部分には宇沢の考え方がよくあらわれている。
 これまで見てきたところで、社会的共通資本という概念が、近代の歴史、さらには経済学を検証したなかで、練り上げられた考え方だということがわかるだろう。
 そこで、以下は、ひょっとしたら勘違いしているかもしれないぼくの勝手な解釈である。
 社会的共通資本の思想とは、人が自由に暮らしていくのに必要不可欠な生活基盤をコミュニティで支えていく工夫ということなのではないだろうか。柳田国男のいう結(ゆい)である。
 それは中央政府ではなく、自治体がリードしながら、社会に〈脱商品〉の領域を埋めこんでいくという具体的実践なのだ。それは村や町のよき伝統を復元する試みでもある。
 ただし、社会的共通資本をになうのは、政府や役所ではなく、企業を含む自主的団体である。
 その対象となるのは、自然環境であったり、道路や電気、ガス、水道であったり、教育や医療であったりする。これらは儲けの対象ではない。そのコストは原則として受益者が負担し、場合によっては税金によってまかなわれる。その運営にあたるのは官庁ではなく、専門家の集団であって、しかもその業務実態はつねに開示されていなければならない。これらはすべて社会全体の財産であり、個人的な専有は許されない。
 宇沢のいう社会的共通資本は、そんなふうに理解できるのではないだろうか。さらに想像をめぐらせば、それは脱中央集権で、村と町を復活させる構想へとつながってしかるべきだ。生活の基本ラインを確保するという意味では、いざというときにも安心して生きていける場(そしてそこをステップにして社会に戻っていける場)を地域のスポットとしてつくっていくことも必要だろう。
 そして、おそらく、こうした〈脱商品〉の領域を社会の中に組みこんでいくことは、必ずしも企業活動を阻害しないし、かえってそれをよい方向に促進させる場合もある。ジョン・スチュアート・ミルが描いたのは、そういう世界だったと思われる。

     4

 内橋克人は、未来に向けてすでに始まっている新しい経済について、多くのことを語っている。ひとつはアメリカ支配の経済からの脱却ということである。人や自然よりカネを優先する社会を終わりにしようというメッセージもある。大賛成だ。
「共生経済」をつくりだし、「FEC」自給圏を形成しよう、と内橋は提案している。共生経済は連帯・参加・協同の経済を意味する。競争経済とは正反対だ。「FEC」は食料のFと、エネルギーのEと、ケアのCを合成した内橋語。
 考えてみれば、日本は食料もエネルギーも自前でまかなえず、安全保障もアメリカに牛耳られているありさまだ。医療のケアだって、近ごろはだんだんあやしくなっている。それをみんなの力で、何とかできないか。この本のタイトルにひめられているのはそんな思いだ。
 内橋が参照にするのは、ドイツや北欧の経済だ。たとえばデンマークは食料自給率300%、エネルギー自給率120%。それでいて、産業も発達していて、教育水準も高く、1人あたりGDPも日本より上で、所得格差は世界で最も低く、公務員がいばっていない。面積は日本の8分の1、人口は日本の20分の1とはいえ、実際、こんな国があるのだ。
 デンマークでは、市民共同発電方式がとられていて、電力会社は市民の生みだした余剰電力を必ず買い取らねばならない。電化製品には「エナジーラベル」がついていて、消費者がエネルギー効率の高い製品を選べるようになっている。あくまでも市民が経済の中心なのだ。
 ヨーロッパでは環境都市づくりが進んでいる。中心部に自動車を入れない町が増えている。緑が多く、喫茶店や本屋があって、人々が散歩を楽しみ、文化を味わえる町。ぼくもプロヴァンスで確かにそんな町を見た(ただし、ここには原発もあったが)。
 話変わって、宇沢弘文は地球温暖化に触れている。かれは、大気を世界の共通財産としてとらえ、その汚染を防ぐために、「比例的炭素税」を導入し、「大気安定化国際基金」をつくるという構想を持ちだしている。
 炭素税というのは大気中への二酸化炭素の放出に対してかけられる税金のこと。それを各国が1人あたり国民所得に応じて、公正に分担するのが比例的炭素税だ。それによって大気汚染を少しでも抑えるねらいがある。税金は森林の育成や環境技術の開発などに用いられる。そして、その一部を「国際基金」に組み入れて、発展途上国の環境保全に役立てようというのである。
 日本はどこかで道をあやまってしまった。この本には、もう一度、くにのあり方の基本に立ち返って、経済を組み立てなおすためのヒントがあちこちに示されている。

(2009年11〜12月「海神日和」)

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