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消費性向と乗数理論──ケインズ素人の読み方(4) [経済学]

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 消費が変化する動機には、客観的要因と主観的要因がある、とケインズは書いている。そのふたつの要因が消費性向に影響を与える。
 まず客観的要因として、ケインズは(1)賃金単位の変化、(2)所得と純所得の差の変化、(3)所得の計算に導入が認められない資本価値の予想外の変化、(4)時間割引率の変化、(5)財政政策の変化、(6)現在と将来の所得水準の関係についての期待変化を挙げている。
 いずれもむずかしい言い方である。素人的にいえば、実質所得や純所得が変化したり、資産価値が上下したり、利子率が変わったり、政府の新たな税制が発表されたり、将来の所得への期待が増減したりといったことが消費性向に影響をおよぼすというのである。
いっぽう、人が消費を控える主観的要因として、ケインズは次の8つのケースを挙げている。
(1)予想外のできごとに備えるため
(2)高齢化や子どもの教育費積み立てなど、将来に備えるため
(3)金利収入を増やして、将来の消費を考えるため
(4)お金をためて、生活水準が上がるのを期待するため
(5)ばくぜんと将来の自立をめざすため
(6)何かの事業を立ち上げるための資金を貯めるため
(7)財産を残すため
(8)単なるケチ根性を満たすため
 ほかにも、さまざまな理由が考えられるだろう。
 しかし、消費を控えるのは家計だけではない。団体や企業も同じだ、とケインズはいう。
 団体や企業が支出を控えるのは、次のような場合だ。
(1)外部に頼らず、できるだけ内部蓄積により投資をおこなうため
(2)緊急事態やトラブル、不景気に備えるため
(3)企業の経営を充実させ、外部からの介入を防ぐため
(4)負債を少なくして、準備金を増やすことで、企業の経営基盤を強化するため
 もちろん、これについてもケインズが挙げた以外に、さまざまな理由が考えられるだろう。
 いずれにせよ、こうした客観的・主観的動機によって、所得(家計所得と企業所得)は、すべてが消費されるわけではないことがわかる。そして、その剰余は貯蓄され、投資へと回っていく。
 賃金単位でみるかぎり、消費性向はかなり安定的な関数だ、とケインズは考えていた。
 人は所得が増えたときに消費を増やすが、その消費の伸びは所得の伸びよりも少ない傾向がある。ふだんの生活や慣習は、所得が増えても一挙に変わらないからである。
 こうして、所得の水準が高くなるにつれ、所得と消費の差はひろがっていく。言い換えれば、所得に対する貯蓄の比率が高くなってくる。
 限界消費性向は0と1のあいだにある。
 このことは、貯蓄に見合う投資がなければ、所得の水準、すなわち生産の水準が維持できなくなることを意味している。
 もし、その投資がじゅうぶんにおこなわれなければ、有効需要が減り、所得水準も下がる(失業が増える)。
 そして、じっさい資本主義が発展すると、資本設備が充実するために、投資が回避されやすくなる。
 ケインズは複雑な議論を展開しているのだが、それをきわめて簡略化していうと、かれは有効需要の不足、とりわけ投資不足(減価償却引当金の大きさもその原因のひとつだが)こそが、大量失業の原因だと考えるようになっていた。
 雇用を増やすためには、投資を増やす必要がある。ケインズはここで投資がどれほど大きな効果をもつかを強調するために乗数理論をもちだすことになる。
 ケインズによれば社会全体の所得(有効需要)は、消費と投資からなる。その時点で大量失業が発生しているなら、投資を増やして有効需要を拡大しないかぎり、失業問題は解決しない。なぜなら、雇用は有効需要の大きさによって決まるからである。
 ここで、ケインズは乗数という重要な概念を導入する。
乗数とは投資の増加がどれだけ所得を増加させるかという、その割合を示したものである。
 乗数kの値は限界消費性向α、裏返せば限界貯蓄性向sから簡単に導きだすことができる。
 その論証は省略するが、

  k=1/1−α あるいはk=1/s

 限界貯蓄性向が低ければ(限界消費性向が高ければ)kの値は大きくなり、逆に限界貯蓄性向が高ければ(限界消費性向が低ければ)kの値は小さくなる。
 限界貯蓄性向が0.1から0.5のあいだと考えるならば(つまり増えた所得を1割貯蓄するか、それとも5割貯蓄するか)、乗数kは0.1の場合は10、0.5の場合は2となる。この原理は貯蓄=投資という定式から導かれるものである。
 概して、限界貯蓄性向が低いのは生活の苦しい時代、高いのは生活の豊かな時代ということができる。乗数の大きさが限界貯蓄性向(あるいは逆に限界消費性向)の大きさによって決まるというところがミソである。
 乗数が10であれば1兆円の投資は10兆円の所得増加を生みだし、乗数が2であれば2兆円の所得増加を生みだす。
 実際の所得増加の割合はともかく、ケインズは追加の投資が乗数効果によって、いかにより多くの所得を生みだすかを理論的に示したといえる。
 そして、所得の増加は雇用の増加と結びつく。「投資をほどほどに増やすだけで完全雇用は実現できる」とケインズはいう。
 とはいえ、ケインズは次のように警告することも忘れていない。

〈完全雇用が実現すると、それ以上投資を増やそうとがんばっても、限界消費性向がどうあれ物価が無限に上昇しがちとなります。つまり真のインフレ状態に到達するわけです。でもその時点までは、物価上昇は総実質所得の上昇と結びついています。〉

 ところで、乗数はあくまでも理論的数値であって、実際とはくいちがう可能性がある。
 伊東光晴はそうした例として、投資がそのまま生産に結びつかず在庫減によってまかなわれ、しかも減った分の在庫が一部しか補充されないといったケースを挙げている。だが、そうしたケースでも想定されたほどではないにせよ、なにがしかの乗数効果ははたらく。
 ケインズはあくまでも乗数効果を強調する。
 たとえば、一定の資本設備のもとで、1000万人の労働人口のうち500万人しか雇用されておらず、限界消費性向が高いとすれば、投資による乗数効果は高く、投資額が減少しても、雇用数はさほど減らない。いっぽう900万人がすでに雇用されているときには、乗数効果は低く、投資してもさほど雇用数は増えないが、逆に投資が減るときには雇用数が一挙に激減してしまう。
 ケインズはたとえ無駄な事業のようにみえても、失業を減らすには投資がどれほど効果があるかを強調するため、次のようなばかげた計画さえもちだしている。

〈もし財務省が古いビンに紙幣を詰めて、適切な深さの廃坑の底に置き、それを都市ゴミで地表まで埋め立て、そして民間企業が実績抜群のレッセフェール原則に沿ってその札束を掘り返すに任せたら、もう失業なんか起こらずにすむし、その波及効果も手伝って、社会の実質所得とその資本的な富も、現状よりずっと高いものになるでしょう。〉

 何をばかなことを言っているかと思うかもしれない。しかし、われわれが宝探しの電子ゲームに夢中になっている姿をみれば、ケインズの計画もあながちばかにできないだろう。
 ケインズはさらに、こういう。

〈古代エジプトには、消費によって人のニーズに応えるのではなく、したがって増えすぎて価値を失うこともない果実を生み出す活動が二つありました。貴金属探求に加えて、ピラミッド建設です。そのような活動を二つも持っていた古代エジプトは二重の意味で幸運だったし、その名高い豊かさは、まちがいなくそうした活動のおかげです。〉

 個人にとっては節約こそが富への道になりうるかもしれない。しかし、資本主義にとってはそうではない。そこでは逆説がはたらいてしまう。節約すればするほど、社会は貧しくなるのだ。
 資本主義社会のなかで、企業が存続し、雇用が維持されるためには、企業は投資に投資を重ね、新商品を開発しつづけねばならない。そして、そうした企業活動と雇用を支えるには、国家の役割が欠かせなくなってくる。ケインズはおそらく、そんなふうに考えていた。
 そんな猛烈な時代がどこに行きついたのか。「一般理論」から80年以上たったいま、ふとそんなことを思ってしまう。

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U3

ケインズの(1)と、だいだらぼっちさんの(2)は、意味合いとしては重複している部分がありますね。
by U3 (2021-10-03 13:53) 

だいだらぼっち

ぼくにとって、ケインズの「一般理論」は超難解で、ついていくのがやっとの本です。ケインズは終わったといわれますが、どうしてどうして、しつこく生き残っています。
by だいだらぼっち (2021-10-15 07:22) 

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