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マルクス解体──シュンペーターをめぐって(2) [経済学]

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 シュンペーターによるマルクス解体がつづく。
 今回取り上げるのは、経済学者、教師としてのマルクスだ。
 マルクスの経済学の概要を、シュンペーターは次のようにまとめる。
(1)労働価値説
 マルクスはリカード流の価値論を自己の理論の礎石とした。それはあらゆる商品の価値が、その商品に含まれた(一定の生産効率水準をもつ)労働量に一致するというものだ。いわゆる労働価値説である。
 だが、労働価値説は完全競争の場合にしかはたらかないし、労働が唯一の生産要因でなかったり、均質でなかったりする場合は実証されない、とシュンペーターはいう。現在では限界利用価値論のほうが妥当性がある。労働価値説はすでに死滅し、葬り去られたものだ。
(2)リカード批判
 リカードは資本(工場、機械、材料のような資本財)が利潤を生むのはとうぜんのことだとみなしていた。それは、土地の質に応じて差額地代が存在するのと同じことだ。しかし、マルクスはそれをとうぜんとせず、利潤が発生する根拠をさぐろうとしていた。
(3)搾取理論
 マルクスはリカードの概念装置を改良した。固定資本と流動資本の区別を不変資本と可変資本の区別に置きかえ、資本の有機的構成という概念をつくりだした。
 マルクスの搾取理論には欠点がある、とシュンペーターはいう。大衆はかならずしも自分たちが搾取されているとは感じていなかった。
 だが、マルクスによれば、自由な労働者は、資本家によって自由に使用される商品にほかならない。労働者はみずからの労働力を商品として売ることによって、一定の価値(賃金)を受けとる。それは衣食住の確保に費やす労働時間の総量に匹敵する。しかし、資本家は労働力という潜在的用役を手に入れると、支払った価値以上に労働者をはたらかせ、それによって剰余価値を獲得する。これにより労働者は搾取されるというのがマルクスの考え方だ。
 シュンペーターはマルクスの考え方に疑問を呈する。労働力の価値は、労働者がみずからの力をつくりだすための労働時間によって測れるわけではない。労働者は機械ではないのだ。労働者は機械のように仕事をするわけではないし、資本のもとでいやいや仕事をしているとはかぎらない。労働者も自分のやりたい仕事を選ぶものだ。
 またすべての資本家が利潤を得て生産を拡大していけば、賃金率が上昇し、こんどは利潤が下がっていくことになる。剰余価値は完全均衡のもとでは不可能だが、経済が均衡しないかぎりにおいては、つねに存在しうる。だからといって、そこに搾取が成り立っているわけではない。剰余理論のなかからマルクス的な意味合いを取り去ること(言い換えれば利潤の発生を搾取とは別の概念で説明すること)がだいじだ、とシュンペーターはいう。
(4)資本蓄積論
 労働価値説によれば、不変資本は商品になんらの価値をも付加せず、可変資本(賃金資本)のみが価値を創造することになるが、これは明らかに現実に反している、とシュンペーターはいう。
 マルクスによれば、資本家は搾取によって得た不正利得を資本(生産手段)に転化させる。それは投資にほかならないが、その投資は当初、機械にではなく追加雇用に向かうだろう、とシュンペーターはいう。その結果、生産は拡大するが、賃金率は上昇し、剰余価値率は減少することになる。これは資本主義の内部矛盾でもあり、マルクスの矛盾でもある。
 資本主義は静態的ではなく、また着実な歩みで拡大しているわけでもない、とシュンペーターはいう。

〈それは、新しい企業により、すなわち、新商品や新生産方法や新商業機会をその時々に存在する産業構造へ導入することにより、内部からたえず革新されている。すべての現存の産業構造や実業取引をおこなういっさいの条件は、つねに変化の過程にある。あらゆる事態は自己を成就しつくすのに十分な時をまたずしてくつがえされる。かくて資本主義社会での経済進歩は動乱を意味する。〉

 動乱(戦国)のなかで生き残るために、企業は投資をつづけなければならない。このことをマルクスはどの経済学者よりもはっきり認識していた。マルクスは企業者を資本家と区別できなかったことにより多くの誤謬をおかしたが、それでも資本蓄積論という新たな領域を切り開いた点をとシュンペーターは評価する。
 マルクスはまた資本の集中についても述べ、大きな資本が小さな資本に打ち勝つという。かれは独占や寡占の理論を練りあげることがなかった。それでも大企業の出現を予言したのは、マルクスの功績だった。巧みに資本集中を蓄積過程に結びつけたのだ。
 シュンペーターは資本のダイナミズムをとらえた点に、マルクスの意義を認めている。
(5)窮乏化理論
 マルクスは資本主義の発展にともなって労働者の実質賃金と生活水準はますます低下していくと論じた。だが、この予言はあたらなかった。
 その後、マルクス主義者のあいだでは、マルクスは国民総所得における労働所得の相対的分け前が徐々に低下することを論じたのだ、という解釈もあらわれる。しかし、総所得における賃金の分配率は、長期的にみるとほとんど変わらず、低下の傾向はみられない、とシュンペーターはいう。要するに窮乏化論はまちがっていたのだ。
 マルクスの窮乏化論は、産業予備軍、すなわち失業の理論にもとづいている。マルクスは企業への機械の導入が、賃金の低下と失業の増加を招くと論じた。
 搾取理論と窮乏化論はいわば『資本論』のミソだった。労働者階級は搾取と窮乏化によって反逆の火の手を挙げ、資本家を打ち倒すと考えたからである。だが、その見通しは実現しなかった、とシュンペーターはいう。
(6)景気循環論
 景気循環について、マルクスは断片的に論じたにとどまる。マルクスは資本主義の巨大な力をほめたたえるいっぽうで、大衆の貧困の増大をたえず強調した。恐慌がおこるのは、資本が生み出す巨大な商品の総量を大衆が購買しえなくなるからである。いわゆる過小消費説である。
 しかし、マルクスには簡明な景気循環論はなかったとみるのが妥当だ、とシュンペーターはいう。繁栄と不況の内在的交替を説明する理論はなかったというべきだろう。
 マルクスは貨幣や金融市場に注目し、信用の膨張や耐久資本財への活発な投資にも着目している。しかし、それを完全に理論化することはなかった。
 それでもシュンペーターは、マルクスが景気の循環を認識しただけでも、当時としては画期的だったという。マルクスは資本主義の崩壊を予言したけれども、実際の崩壊がおこる前に、資本主義が致命的な兆候を示すと考えていた。その点にシュンペーターは注目する。
(7)唯物史観
 マルクスは大衆が貧困や抑圧に耐えかねて反乱をおこし、それによって資本主義が社会主義に移行すると考えていた。しかし、窮乏化理論が成立しないことを思えば、こうした見通しはあたりそうがないし、これからもあたらないだろう。
 それでも、資本主義の発展が資本主義社会の基礎を破壊するというマルクスのビジョンは真理だ、とシュンペーターはいう。
 マルクスには、「各瞬間に自ら後続のものを規定するような状態を生みつつ、自力で歴史的時間のなかを進行するがごとき経済過程の理論という考え方」があり、それこそが形而上的な唯物史観を超える理論として尊重さるべきだ、とシュンペーターはみている。

 シュンペーターは最後に教師、あるいは教導家としてのマルクスにふれる。
 マルクスの経済学が社会学と一体化していることはいうまでもない。それは社会を揺り動かす経済理論である。
 しかし、賃金労働者をプロレタリアートと規定する理論は、悪しき経済学と悪しき社会学の結合をもたらし、非寛容な政治活動を導きかねない、とシュンペーターはいう。
 マルクスの体系は経済学にとどまらず、戦争、革命などの歴史的事件、経済変動や経済政策などの社会経済現象にまでおよび、それを説明し、問題解決への筋道を提示する。政治はもはや独立の要因ではなく、経済の構造や状態によって規定されていると解釈される。
 マルクスが多くの人を引きつけるのは「そこにはいっさいのもっとも奥深き秘密に対する鍵、すなわち大小の事件を処理する魔法の杖が秘められている」かのようにみえるからだ。
 だが、このマルクス的総合はきわめてあやしい。マルクスはゆがめられた理論、すなわち階級闘争理論に固執することで、あらゆる問題を理解しようとする。だが、「現在の情勢や問題を理解するのに、全体としてのマルクス的総合に信をおく人は、ひどいまちがいに陥りやすい」と、シュンペーターはいう。
 その一例としてシュンペーターは帝国主義にたいする理解を挙げる。
 マルクス主義者は帝国主義をおよそ次のように理解する。資本主義の発達した国においては利潤率が次第に低下し、そのため資本家はまだ資本主義があまり発達していない国にはけ口を求める。当初は消費財の輸出、それが資本の輸出へとつながり、さらに植民地化へと転ずる。
 国家は現地の敵対的反発から資本を守るため、あるいは他の資本主義諸国にたいして自国の利権を守るため、軍事力によって地域を支配する。
マルクス主義者は、こうした帝国主義は資本主義の高度発達段階において生ずると説明した。そのいっぽうで、独占資本主義の進展にともなって、国内では保護主義的な傾向が強まるものと理解された。
 だが、未開発国が発展を遂げた場合はどうなるだろう。植民地の競争力が本国と対抗するようになり、それを抑えようとすると衝突や摩擦が生じる。すると植民地のドアは閉ざされ、本国ははけ口を失って、過剰生産力と停滞、破産に見舞われるかもしれない。
 いっぽう、海外の勢力圏の争奪をめぐって、各国間の競争が激しくなり、ついには戦争にいたる可能性もある。資本の進出は、ほとんど例外なく、現地の住民に圧迫を加え、軍事的な制圧をもたらし、また他の西洋列強との対立へとつながっていった。マルクス主義がえがくのは、そうした図式である。
 しかし、とシュンペーターはいう。国家の膨張政策は資本主義の発展にともなうものとはかぎらない。利潤の誘惑が植民地の獲得を引き起こしたという証拠はむしろ少ない。初期の植民地的冒険は、未熟な資本主義時代の産物だった。植民地主義と帝国主義については、少なくともレーニン主義的な解釈を避け、もっと歴史的事実に即して検討しなければならない、とシュンペーターは考えているようだ。
 さらに、マルクスの階級闘争理論も、現実を理解するには的外れのことが多い、とシュンペーターは指摘する。植民地化や帝国主義を階級闘争に付随するものととらえるのも無理がある。
 巨大企業の保護主義的利益についても、昔から古典派経済学が批判していたいたことで、何もマルクスがはじめて指摘したわけではない。保護関税についても、古典派は適切な見解をもっていた。だが、マルクス主義者のように、保護主義を独占資本主義のもたらす弊害だとして、政治的に大企業を攻撃する材料とするのは、むしろ行き過ぎだ、とシュンペーターはいう。
 こうも書いている。

〈事実と常識とに反して、資本輸出や植民地化の理論を国際政治の基本的説明にまで高め、国際政治をば、一方独占資本家集団相互間の闘争と、他方各資本家とプロレタリアートとの闘争に還元してしまうならば、事態はかぎりなく悪化する。……この点においてマルクス主義は通俗的迷信の公式化に堕する。〉

 シュンペーターはマルクス主義にみられる政治的総合を厳しく批判したといえるだろう。
 マルクスは「空想的社会主義」を批判し、「科学的社会主義」を唱えた。人類の願望や意志とは無関係に社会主義の到来が不可避であることを立証すること。それが科学的社会主義の目的だとマルクスは考えていた。それは、資本主義がそれ自体の論理によって、資本主義を破壊し、社会主義的秩序を生みだすことを示唆していた。
 シュンペーターもまた、資本主義秩序であれ、ほかの何らかの秩序であれ、社会的な発展によって、それが崩壊、ないしは脱皮を強いられることはまちがいない、と書いている。
「しかしなおその廃墟のなかから社会主義の不死鳥が飛び立つのに失敗することがないともかぎらない」。ソ連がその失敗例になることをシュンペーターは予測していたのだろうか。
 シュンペーターにとって、多くの混沌をもたらしたボリシェヴィズムは、資本主義に代わる社会主義のひとつの可能性にすぎなかった。
 そして、マルクス自身も社会主義を詳細に論じることはなかった。もしマルクスの社会主義がプロレタリア独裁と官僚化と国有化の国家社会主義をめざしていたとしたら、「その失敗は当然のこと」だったろう、とシュンペーターはいう。
 資本主義秩序から社会主義秩序にいたる道が、革命か進化かと問われれば、マルクス自体、それは進化、あるいは「満期における革命」と考えていただろう。マルクスと対抗しながらも、シュンペーターはその考えを引き継ぐ。「資本主義に対する非混沌的代替物」。それがシュンペーターにとっての「社会主義」だった。

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