SSブログ

迫力の名演説──美濃部達吉遠望(4) [美濃部達吉遠望]

img20211107_09211607.jpg
 貴族院の本会議場では、美濃部達吉による弁明、いや正確にいえば菊池武夫の言いがかりにたいする反論がつづいている。
 天皇ははたして万能無制限の権力を有しているのか。そうではない、と達吉は断言する。

〈わが国体を論じまするものは、ややもすれば絶対無制限なる万能の権力が天皇に属していることが、わが国体の存するところなるというものがあるのでありまするが、私はこれをもってわが国体の認識において大いなる誤りであると信じているものであります。
 君主が万能の権力を有するというようなのは、これは純然たる西洋の思想である、ローマ法や17〜8世紀のフランスなどの思想でありまして、わが歴史上におきましてはいかなる時代においても、天皇の無制限なる万能の権力をもって臣民に命令したまうというようなことはかつてなかったことであります。
 天の下しろしめすということは、決して無限の権力を行わせられるという意味ではありませぬ。〉

 日本の歴史上、かつて天皇が無限の権力をふるったことはない。
 まして帝国憲法第4条には、「天皇は国の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規に依りこれを行う」と明記されている。
 つまり、天皇の統治の大権は、憲法の規定にしたがって発揮されるものだ、と達吉はいう。
 はっきりと口に出してはいないが、達吉は現代の日本の天皇が立憲君主であることを明言している。
 菊池はまた先週の議会で、美濃部の著書をこんなふうに批判していた。美濃部は議会は天皇の命令に服従しなくてもよいと書いており、それなら解散の命令があっても議会はそれに従わなくてもよいことになるではないか。
 そんなふうに、あやしげな美濃部批判をくり広げていたのだ。
 達吉はその言いがかりを一蹴する。
 こうした議論を持ちだすのは「同君がかつて私の著書を通読せられないか、または読んでもこれを理解せられない明白な証拠であります」。
 議会が天皇の大命によって召集され、またそれによって開会・閉会・停会および衆議院の解散を命ぜられることは、憲法第7条にはっきり規定されている。
 だが、憲法の規定にもとづかないまま、天皇が議会に命令することはない。自分が言いたいのはそのことだ、と達吉はいう。
 現に、菊池がしばしば内閣を批判できるのも(内閣に悪態をつけるのも)、議会の独立性を前提としているからだという皮肉も加えている。
 それでも、なかには議会が天皇の機関だという者もいる。
 それにたいし、達吉は、この考えはまちがっており、議会人は議会の独立性に誇りをもつとともに、みずからの立場を自覚するべきだ、と訴えた。

〈しかし、議会が天皇のご任命にかかわる官府ではなく、国民代表の機関として設けられていることは一般に疑われないところであり、それが議会が旧制度の元老院や今日の枢密院と法律上の地位を異にするゆえんであります。
 元老院や枢密院は、天皇の官吏から成り立っているもので、元老院議官といい、枢密院顧問官というのでありまして、官という文字は天皇の機関たることを示す文字であります。
 天皇がこれをご任命あそばされまするのは、すなわちそれにその権限を授与せらるる行為であります。
 帝国議会を構成しまするものは、これに反して議員と申し、議官とは申しませぬ。それは天皇の機関として設けられているものでない証拠であります。〉

 帝国憲法にもとづき、議会は貴紳を集めた貴族院と、庶民から選ばれた衆議院によって構成されるが、その設立目的は、両院あわせて、全国の公儀を代表することにある。そのことは伊藤博文公の『憲法義解』にもはっきりと書かれている。
 すなわち、議会はあくまでも国民を代表する重要な機関なのだ、と達吉はくり返し説明した。
 そして、自分に「学匪」、はては謀反人、反逆者と激しいことばを投げつける菊池に、こう反論した。

〈私の切に希望いたしまするのは、もし私の学説について批評せられまするならば処々から拾い集めた断片的な片言隻句(へんげんせきく)を捉えて、いたずらに讒誣(ざんぶ)中傷の言を放たれるのではなく、真に私の著書の全体を通読して、前後の脈絡を明らかにし、真の意味を理解してしかる後に批評せられたいことであります。〉

 自分の学説を批判するのであれば、言葉尻をとらえるのではなく、著書全体を読んで、その意味を理解してからにしてほしい。
 達吉はそう訴えたあと、「これをもって弁明の辞といたします」と述べ、1時間近くにわたる演説を終えた。
 異例なことに、議場からは拍手がおこった。
 この日、傍聴席で父の演説する姿をみていた長男の亮吉(のち東京都知事)は、この日の思い出を次のように書いている。

〈私も、父のこの弁明の演説をききに行った。貴族院は議席も傍聴席も超満員だった。坐る席がない所(どころ)か手すりによじ上(のぼ)らなければ、父の顔を見ることもできないほどの騒ぎだった。父は、東大の講義の時とはちがい、前夜おそくまでかかって作った原稿を手に、二時間[実際は1時間]に及ぶ弁明の演説を行った。それは、やや学者風にすぎ、大学における講義じみていたが、なかなか迫力のある名演説であった。〉

 達吉のこの弁明によって、菊池による論難には根拠がないことがあきらかになった。これですべてが決着したように思えた。
 だが、そうではなかった。それまでほとんどだれもが知らなかった天皇機関説が波紋をおこすにつれて、日本はますますファシズム体制にのめりこんでいくことになるのである。

nice!(10)  コメント(1) 

nice! 10

コメント 1

U3

 達吉の理路整然とした弁明に比べ、今の国会の与党も野党も併せて、質疑の何と低俗なことか。しかし歴史を鑑みるに、人は川の流れと同様、低き方に流れると思うと何ともやるせない。
 つまり昔も今も日本の議会制民主主義はちっとも発展も進歩もないのだといえるのかも知れない。
by U3 (2021-11-07 15:43) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント