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ヨーロッパ留学の日々──美濃部達吉遠望(17) [美濃部達吉遠望]

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 日本政府は1875年(明治8年)以降、明治時代に683人の文部省留学生を海外に派遣した。留学生の数が増えるのは、日清戦争勝利後の1896年(明治29年)以降である。
 文部省留学生は近代の遣唐使ともいえるだろう。西洋諸国から先進的な文物と知識を日本に持ち帰るのが目的だった。
 その専攻は多岐にわたる。明治期全体をみると、文科系では意外なことに文学(語学)がトップで、ついで法学、教育、商学、美術工芸、経済、音楽、体育の順。いっぽう理科系では、工学を筆頭に医学が多く、ついで理学、農学、薬学、水産、獣医学、歯学とつづく。留学生の数としては、理科系のほうがずっと多い。実用本位である。
 その留学先は初期こそイギリス、フランス、アメリカが多いが、1880年代以降はドイツが中心となった。ドイツ以外にも何カ国かを兼ねる場合もあったが、明治後期の留学先は圧倒的にドイツに片寄っていた。

 1899年(明治32年)5月、達吉は比較法制史研究のため、3年間、英独仏に留学するよう命じられた。出発したのは8月である。
 この年の文部省留学生は58人で、文科系では達吉のほか、箕作元八(みつくり・げんぱち)、和田英作、浅井忠、加藤正治、高野岩三郎、姉崎正治らがいた。
箕作元八は歴史家(達吉とはのちに親戚となる)、和田英作と浅井忠(ともにフランスに留学)は画家、加藤正治は民事法や破産法の専門家、高野岩三郎は統計学者で社会運動家、姉崎正治は宗教学者となった。
 達吉本人はヨーロッパ滞在中の記録を残していない。断片的な思い出を記したにとどまる。
 その一つ、「退官雑筆」では、こう書いている(表記は読みやすくした)。

〈三年間の在欧中は、かなり一所懸命になって、ドイツ、フランスおよびイギリスの法律歴史を勉強した。歴史の素養がはなはだ乏しいので直接古文書に就いて資料の研究をするなどは、とうてい力の及ばないところであったが、ともかくも、知名の先進学者の著述に就いて、一通りの知識を習得することに努めた。〉

 こんな記述もある。

〈明治三十二年から三十四年までドイツに留学していたにもかかわらず、その時の留学は比較法制史の研究のためであったので、イエリネック教授の形骸に接せず、その講座に列する機会すら得ないでやんだのは、今も遺憾とするところである。あたかもそのころ教授の畢生(ひっせい)大著『一般国家学』の第一版が公にされたので、甚大の興味をもってこれを精読し、教えられることすこぶる多かった。〉

 これだけではよくわからない。3年間、達吉がどこで何を学び、どんな生活をしていたのかも、はっきりとはわからない。
 それでも1900年(明治33年)はベルリンにいたことが、のちの本人のエッセイから浮かびあがってくる。
 ベルリンには日本公使館があって、ここに大学の同窓の友人、水野幸吉が外交官補として務めていた。当時、日本はまだ一等国として認められておらず、大使館は置けなかったのだ、と達吉は述懐している。
 そのベルリンに、おとぎ話で有名な巌谷小波(いわや・さざなみ、本名季雄[すえお]1870〜1933)が、ベルリン大学東洋語学校の日本語教師としてやってくる。
 第一高等中学校時代から文学青年だった水野は、俳人でもある巌谷がくると聞いて、みんなで俳句会をつくろうと張り切り、達吉にも呼びかけたらしい。
 俳句会をつくるからには、会の名前がなくてはならない。巌谷の提案で、「白人会」と名づけることが決まった。白人とはうぶの素人という意味である。同時に、ベルリンの会ということから、伯林(ベルリン)の伯をかけている。
 達吉はこう述懐する。

〈私もそのころベルリンに在留していたので、水野に誘惑せられて、発会の時から、会員の一人に加わり、生まれてはじめて俳句を作ることを習った。最初に巌谷から「こりゃ、タチがいい」などとお世辞をいわれたので、つい乗り気になって、ベルリンにいたあいだは、最も熱心な会員であったが、どうも理屈と詩とは両立しがたいものらしく、遂にものにならないで終わった。〉

 白人会に加わったのは、巌谷小波を筆頭に、達吉(俳号、古泉)、水野幸吉[外交官](酔香)、宮本叔[医学博士](鼠禅)、藤代禎助[文学博士](素人)などで、画家の和田英作、浅井忠も会員だった。ほかにも教育家や理学士、技術者、軍人などが会に加わっていたという。
 白人会で達吉が詠んだ句をふたつ紹介する。

  ここに二年梅なき春のうらみかな
  この海やみくにの海にかよふ海

 望郷の念がただようが、句としてはたしかにうまくなさそうである。

 達吉の息子、亮吉は父のヨーロッパ留学について、こう書いている。

〈明治三十二年にヨーロッパに留学し、ほとんど大部分をドイツでくらした。留学中の行動はあまり明白でない。ドイツ語をおぼえるためには、日本人の全くいないところに行くのがよいと考えて、フライブルグの大学を選んだという話をきいたことがある。そのほかには、ハイデルベルグおよびベルリンにいたようである。しかし、どこかの大学に入ってまじめに講義をきくというような勉強はしなかったようである。ベルリンにいた時には、お伽話の巌谷小波さんや画家の和田英作さん、浅井忠さんらと白人会というものを作り、古泉と号しホトトギスばりの俳句などを作ってくらしていた。〉

 達吉のヨーロッパ留学の痕跡をたどった宮先一勝さんによると、ベルリンで文部省の留学費を飲みしろに使い果たしてしまった達吉は、有斐閣の創業者、江草斧太郎(えぐさ・おのたろう)に頼みこんで、大枚のカネを融通してもらったこともあるという。
 文部省から出る留学費は、派遣交通費を別として、年間で1800円程度だったと思われる。現在の感覚では900万円といったあたりだろう。これで授業料や資料購入費、下宿代、移動費もまかなわなければならなかったから、物価を考えれば、できるだけ生活費を切り詰めねばならなかったはずである。
 そのころ、パリでは「パンテオン会」という留学生の交友会もできていたが、達吉はこの会にも参加し、会の雑誌に文章を寄せていた。その会員には、芸術、法学、政治学、文学、歴史、建築など、さまざまな分野にわたる若い知性が加わっていた。法学や政治学の関係では、達吉のほか、小野塚喜平次(おのづか・きへいじ)、白鳥庫吉(しらとり・くらきち)、箕作元八(みつくり・げんぱち)、山田三良(やまだ・さぶろう)などの名前が見られるという。
 さらに、達吉は1900年(明治33年)10月に、ロンドンに留学した夏目金之助(漱石)とも会い、いっしょに市中を散策、ロンドン塔を見学したり、ヘイマーケットのハー・マジェスティ劇場でシェリダンの『悪口学校』を観劇したりしている記録もある。
 漱石は達吉から1年遅れで文部省留学生となった。英語研究のため2年間のイギリス留学を命じられていた。ロンドンに到着したのは1900年10月28日である。
 達吉は翌日、さっそく漱石のホテルに現れている。漱石の29日の日記には「夜、美野部氏ト市中雑踏ノ中ヲ散歩ス」と書かれている。
 美濃部を美野部とまちがって書いているところからみても、漱石が達吉とはさほど親しくなかったことがわかる。そのときロンドンにいた達吉は、おそらくだれかから漱石にロンドン案内をするよう依頼されていたのにちがいない。
 漱石の翌々日の日記はこうだ。

〈十月三十一日(水) Tower Bridge London Bridge, Tower, Monument ヲ見ル。夜、美野部氏ト Haymarket Theatre ヲ見ル。Sheridan ノ The School for Scandal ナリ〉

 この日、達吉が漱石にタワーブリッジやロンドンブリッジ、ロンドン塔などの名所を案内し、夜、ヘイマーケットの劇場でいっしょにシェリダンの『悪口学校』を見たことがわかる。だが、このときを除いて、達吉と漱石が出会った形跡はない。達吉は満27歳、漱石は33歳だった。
 順序不同に並べたこうした達吉のエピソードからは、何が浮かびあがってくるだろう。ロンドンやパリ、ベルリンで比較法制学を懸命に学んでいたのはたしかである。
 日本人のまったくいないフライブルクの大学で、ドイツ語を学んだというのはほんとうだろうか。だが、ハイデルベルクに滞在したことはまちがいないだろう。
 ハイデルベルクは大学の町である。ここには多くの日本人がいて、大学の周辺で耳慣れないドイツ語を教わっていた。大学では国家学の権威、ゲオルク・イェリネックが教鞭をとっていた。達吉はイェリネクから直接教わる機会に恵まれなかったが、留学中に刊行されたかれの『一般国家学』をむさぼるように読んだと書いている。
 達吉の留学目的は、帰国後東大で教えることになっている比較法制史を研究することであって、そのための勉強は欠かせなかった。しかし、気持ちはどうしても国家学や行政学に傾いていった。
 そのことは、達吉がドイツ留学の成果として、帰国後、オットー・マイヤーの『独逸[ドイツ]行政法』(全4巻)やゲオルグ・イェリネック[ゲオルク・イェリネク]の『人権宣言論』を相次いで(イェリネックの『公権論』は監修)、出版したことからみても、じゅうぶんに推測できる。
 3年間のドイツを中心とした英仏独の留学の日々を、達吉は詳しく記録していない。しかし、漱石のように下宿にこもってノイローゼになるようなことはなかった。
 達吉は勉学に励みながらも、ロンドン、パリ、ベルリン、ハイデルベルクなどをめぐっていた。そして、日本が恋しくなりながらも、人を訪ね歩いて、談論し、つい深酒にふけってしまう日々を送っていたのである。

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