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中産階級の生活と意識──ホブズボーム『帝国の時代』を読む(4) [商品世界論ノート]

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 帝国の時代は中産階級の時代でもある。ここでいう中産階級とは、支配階級(王族や貴族)と労働者階級のあいだに立つ階級で、実業家(ブルジョワ)、専門職(医者や弁護士)、高級官吏などの幅広い層を指す。ブルジョワ的な生活スタイルが生まれたのは19世紀末になってからで、ここから第1次世界大戦までの時代は懐古的にベル・エポックと呼ばれる。ホブズボームはそんなブルジョワ的な生活スタイルをえがいている。
 まず居心地のよい庭園つき郊外住宅。それは貴族やジェントリーのような大邸宅ではなく、プライヴェートな生活を重視する空間で、大ブルジョワの威信と財力を示す邸宅とも異なっていた。もちろんそれは都市周辺の中産階級層の邸宅、そして都市中心部の労働者が住む仮設住宅ともちがっていた。
19世紀中葉の経済成長は中産階級に巨額の富をもたらした。それが私生活優先の生活スタイルを促進した、とホブズボームは指摘する。
 政治の民主化にともない、最強のブルジョワは別として、中産階級の政治的影響力は弱まっていく。いっぽうピューリタン的な価値観は弱まり、快適さと楽しみを求める消費が高まっていた。ブルジョワ家族のなかでは女性の解放が進み、それが家の装飾やスタイルにも影響していく。余暇や観光も日常化していた。こうした中産階級の数は増えていた。
 中産階級の定義は難しい、とホブズボームは嘆いている。ブルジョワといえば、それだけで色眼鏡をかけたイメージでとらえられがちだし、そもそもそういう階級があるのかも疑問だった。イギリスでは貴族とブルジョワ、ブルジョワとその下の階層との境界もあいまいだった。
 貴族階級は出自や世襲の称号、土地所有権(領地)などで定義できるし、労働者階級は賃金にもとづく雇用関係や肉体労働によって定義できる。しかし、中産階級はどう定義すればよいのか。
 それでも19世紀半ばの中産階級の基準はかなり明確だった、とホブズボームはいう。

〈有給の上級公務員を除けば、この階級に属する者は次のいずれかであることが前提されていた。それは、資本もしくは投資による所得を有すること、および(あるいは)、労働者を雇って採算のとれる企業家として活動すること、ないし「フリー」の専門職の一員として活動することだ。〉

 資本家、企業家、経営者、医者、大学教授、法律家、上級公務員などを含む、こうした中産階級は流動的とはいえ、確実に増えていた。それを階級と呼ぶのは、そうした仕事がしばしば世代によって継承されたためである。
 この時代は学校教育が盛んになる。「学校教育は、特に、社会の中流および上流として認められる領域に入るための切符と、新しく上の階級に入った者に自分より下の階層とを区別するような風習を身につける方法を提供した」と、ホブズボームは皮肉な言い方をしている。
 教育がさほど普及しない時代、旧支配階級はごく限られた家族によって政治や経済を支配していた。大学が価値をもったのは、そうした旧支配階級のためではなく、これから階級の階段を上ろうとする人びとのためだった。学校教育が中産階級としての身分を手に入れる手段となったのだ。
 こうして大学で学ぶ学生の数は増え、中産階級の数も増えていく。経済学者グスタフ・シュモラーは、ドイツでは中産階級が人口の4分の1を占めるようになったとみていた。ゾンバルトは3500万人の労働者にたいして、中産階級は1250万人ととらえていた。
 学校のなかでは、さらにランクやグループが形成されていく。そして、そこで形成された同窓会組織のような潜在的ネットワークが、経済的、社会的な人のつながりをつくっていった。高等教育は中産階級下層の子弟が高いレベルに上がるための階段を提供した。だが、それは農民の子弟や労働者の子弟には、ほぼ閉ざされていた、とホブズボームは書いている。
 もともと中産階級は人びとの上に立つ潜在的主人だったといえる。ところが、俸給で働く管理職や重役、技術専門家などが中産階級の仲間入りするようになる。職人や小商店主などの旧来のプチブルに加えて、膨大な新興プチブルも増えてくる。それは都市化にともなう現象だった。こうして、中産階級は上層と下層にわかれることになる。そのギャップはとてつもなく大きかった。
 そうした階層を区分けする基準は、居住場所や住居であったり、教育やスポーツであったりした。もともと貴族のスポーツだった狩猟や射撃、競馬、フェンシングが中産階級に取り入れられ、さらに自動車、ゴルフ、テニスなどが流行するようになった。
 19世紀終わりから20世紀初めにかけては、中産階級末端に属するホワイトカラーが増えてくる。さらに、その上には専門職や管理職、重役や上級公務員などがいた。直接事業にかかわるブルジョワは比較的少数になるいっぽう、とてつもない配当を得る大金持ちや大富豪が存在した。
 大富豪でなくても、ブルジョワの世界に属する人びとの生活は潤沢だった。召使いと女性家庭教師を雇い、豪勢な家に住み、年2回長期休暇をとり、さまざまな趣味やスポーツにふけることができた。それがロックフェラーやモーガン、カーネギーになれば、まさにけたちがいの生活が待っていた。あとは慈善事業のために資金を提供するくらいしかなかっただろう。
 急速な工業化がブルジョワ階級に自信をもたらしていた。労働者を治める力もじゅうぶんにあると感じられた。だが、すでに混迷ははじまっていた、とホブズボームはいう。
 20世紀にはいると自由主義は分裂、衰退し、ナショナリズム、帝国主義、戦争が浮上してくるのだ。

「女性の解放」がはじまるのは19世紀終わりからだ、とホブズボームは書いている。だが、解放は先進国の中産階級と上層階級にかぎられていた。
 先進国は低出生率、低死亡率の社会に移行しようとしていた。乳児死亡率は大きく低下する。女性の晩婚化が進み、計画的な避妊が普及した。それによって、子供の数が制限されていく。
 工業化以前は、大半の男女が家庭の枠内で、それぞれ仕事を分担していた。農民は料理や子育て以外に農作業でも妻を必要とした。手工業の親方や小店主は商いのために妻を必要とした。
 プロト(前段階)工業化のなかで、家内工業や問屋制家内工業が成長すると、女性や児童がそれに加わるようになる。だが、その後の工業化によって、労働の場が家庭から切り離されると、外で働いて稼ぐのは男の役割となり、女は家計のやりくりと家事、育児を引き受けることになった。
 全体として19世紀の工業化は、公の経済から既婚女性を締め出す課程としてとらえることができる、とホブズボームはいう。そして、女性たちは政治の世界からも締め出されていった。
 だが、男の収入だけでじゅうぶんな所得が得られない場合は、女も子供も安い賃労働ではたらかなければならなかった。いっぽう、未婚女性の仕事は増えていた。織布や縫製、食料品製造の仕事もそうである。女中奉公は衰退したが、その代わり商店や事務所の雇用が増えた。初等教育が発展すると、多くの女性が教師としてはたらくようになる。
 大半の労働者階級の女性は厳しい無権利状態のもとで労働していた。しかし、中産階級の女性のあいだから参政権を含め女性解放の動きが出てくる。
 フェビアン協会が結成されたのは1883年である。会員の4分の1が女性だった。
「新しい女性」が出現するこの時代、たしかに女性の経済的重要性が増していた。大量消費を必要とする資本主義経済のもと、広告産業は女性に焦点を合わせなければならなかった。家庭の必需品は種類が増えたものの限られていた。化粧品とかファッションなどの贅沢品は、中産階級の女性たちが相手だった。
 19世紀終わりから20世紀はじめにかけ、女性の地位と願望にめざましい変化があったのはたしかだ、とホブズボームは書いている。女子のための中等、高等教育が発展した。社会活動の自由も広がった。社交ダンスが盛んになり、ファッションが変わり、スポーツが楽しめるようになった。女性向けの小説、女性向けの雑誌や記事も増えてきた。
 フェミニストの運動は戦闘的ではあったが、ごく小規模なものだった、とホブズボームは指摘する。運動に加わるのは、中産階級の女性たちの一部に限られていた。多くの女性たちは婦人参政権、高等教育を受ける権利、専門職に就く権利、男性と同じ法的地位や権利などにさほど関心を示さなかったという。
 解放を願う多くの女性はフェミニズムより教会、あるいは社会主義政党に向かったという。教会は女性の権利を擁護した。そして、一部の有能で前衛的な女性は政党に加わった。だが、圧倒的大多数の女性は、女性らしさと共存できる活動に向かった。医者になる女性も増えていく。
 政府は婦人参政権運動を妨害していた。婦人参政権は、女性の大規模な運動を結集できるような運動ではなかった。それでもイギリスとアメリカでは徐々に大きな支持を得ていく。
 女性解放のもうひとつの柱は性の解放である。上流世界では、プルーストの小説にみられるように、性の選択の自由が認められようとしていた。自由恋愛も奨励されるようになった。だが、それはしばしば問題を引き起こした。
 1880年代にはガス調理器が普及しはじめ、1903年には「真空掃除機」が登場し、1909年には電気アイロンが登場する。クリーニング業も機械化された。幼児学校、保育所、給食も普及していく。だが、それで問題が解決したわけではなかった。
 仕事と家庭の両立はむずかしかった。結婚しない女性も増えてきた。仕事を選んだ女性は大きな代償を払わねばならなかった。
 それでは帝国の時代に、はたして女性の地位はどれほど改善されたのか、とホブズボームは問う。多くの職業や専門職に就く突破口が開かれたのはたしかである。選挙権に象徴される平等の市民権もまもなく手にはいる。だが、賃金の平等という問題では、大きな進展はなく、男性よりはるかに低い賃金に甘んじなければならなかった。
 この時代、解放という点で進展が見られたのは、社会的地位を得た中産階級上層の女性と、結婚前のはたらく若い女性たちにとどまる。新旧のプチブルや中産階級下層の女性、そして労働階級の女性にとっては、解放はほど遠い問題だった。だが、女性の解放とはそもそも何なのか。その答えはまだ出ていない、とホブズボームは述べている。

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