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二つの国、二つの文化を生きる [本]

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 爽快な本である。人の生き方を示す本でもある。
 著者の金正出氏は1946年に青森で生まれ、県立青森高校を卒業したあと、64年に北海道大学医学部に入学した。卒業後、さまざまな病院に勤務し、36歳のとき茨城県にちいさな外科診療所をつくる。それが小美玉市にある美野里病院の発端となった。
 さらに特別養護老人ホームや介護老人保健施設、グループホームなどをつくり、高齢者介護にも取り組んできた。それだけでは終わらない。教育分野にも乗り出し、保育園からはじまって、何と中学校・高等学校(青丘学院)まで設立したのである。
 こうしたがんばりの背景には、著者たち兄弟の成長を支えた両親の努力があったことがわかる。
 著者のオモニ(母)は韓国の慶尚北道安東の貧しい農家に生まれ、兄を頼って戦前日本に渡ってきた。アボジ(父)は同じ慶尚北道大邱近くの出身で、八幡製鉄所で働いていた。ふたりは流れ着いた青森で1941年に結婚し、4人の男子に恵まれた。著者はその次男である。
 戦後の生活は厳しいものだった。最初、家族は多くの同胞とともに朝鮮人長屋に住んでいた。しかし、いつまでもこういう場所にいては子どもたちによくないと考え、古い倉庫を買ってそこに移った。兄弟は4人とも日本の義務教育を受け、著者もわんぱくな少年生活を送ったという。
 オモニはしっかり者で、朝から晩まではたらき、水飴の行商や養豚、密造酒づくりなどをして、一家を支えていた。次男の著者は一徹な性格で、母親は小学校の先生から「この子は、よくなればとてもよくなるけど、悪くなれば、とても悪くなる可能性がある」と言われたらしい。そんな子どもたちを4人ともまっすぐに育てたのは、まさに息子にたいするオモニの願いと献身があったからだろう。
 自分が朝鮮人であることを意識しはじめたのは中学校のころからだったという。しかし、そのことで卑屈になることはなかった。むしろ金本という日本名に違和感をいだき、いやだなあと思っていた。学校の成績はよく、スポーツもよくできた。差別されたと感じたことは一度もないという。県立青森高校に進学し、がむしゃらに勉強し、北海道大学医学部に合格した。帰化はせず、そのときから本名を名乗るようになった。
 アボジもよく働いたが、もともと身体がじょうぶではなかった。競輪とパチンコが大好きで、オモニとよく口げんかをしていたというのが、ほほえましい。密造酒が売れなくなると、しっかり者のオモニは新宿の焼肉店で短期間修行してから、青森駅前に「明月館」という焼肉店を開いた。その店を懸命に切り盛りし、大学に入った4人の子供たちの学費を滞りなく支えた。
 次々と目標を立て、困難を乗り越え、それを実現していく著者の姿勢が爽やかである。民族に誇りをもち、家族をだいじにするところも、すがすがしい。「自分のルーツや祖先、親のことを誇りに思わないで、社会的に立派な仕事をした人を私は見たことがない」と断言する。
 現代の韓国政府には批判的だ。歴史的事実を直視せず、都合のいい歴史ばかり教えているという。在日同胞の貢献についても、国民に十分知らせていない。韓国の政治家は国内に問題が起こると反日法を持ちだし、論点をずらす方向に国民を誘導する。こうしたやり方は、もうやめたほうがいいという。虚心坦懐に日本から学び、さまざまな分野で日本を追い越してこそ、韓国は世界から尊敬される国になると考えている。
 著者は、両親が逆境にありながらも民族に誇りを持って自分を育ててくれたことに感謝している。そして、自身も日本人に負けないよう勉学に励み、医師となり、多くの事業を展開してきた。そこから育まれた信念が、未来へと向かう一筋の道を切り開いたことを、本書はまさに指し示している。

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