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第1次天皇機関説論争──美濃部達吉遠望(31) [美濃部達吉遠望]

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 1912年(明治45年)3月に美濃部達吉の『憲法講話』が出版されたあと、東大で憲法学講座を担当する上杉慎吉は雑誌『太陽』に美濃部の考え方を猛烈に批判する論考を発表した。それは文語での慨嘆調のきわめて感情的な批判だった。いまはそのままの引用では読みにくいと思われるので、以下は口語に直して、上杉の発言を紹介することにする。
 上杉はおよそこんなふうに筆をおこしている。
 美濃部達吉君が近ごろ『憲法講話』なる本を出版した。以前から美濃部博士が国体論について、私が常々論じているのとはまるで異なる主義見解をもっていることは薄々聞いていた。憲法に示されているとおり、万世一系の天皇が国を統治することは、決まり切ったことで、いかなる人も疑うはずもないところだ。ところが『憲法講話』の序文をみて、美濃部君が特殊な説をもっていることに気づいた。
 こんなふうに達吉の考え方がいかにも特殊であるかをにおわせながら、上杉は美濃部の考え方を糾弾していく。

〈統治権の主体が日本国民の団体だとするなら、天皇はいかなるものとして存在するのか。美濃部博士は、天皇は団体の機関だという。また機関とは「団体のために働くところの人」だという。……すると、天皇は国家の機関であり、団体の役員であることになる。その団体は人民全体であって、天皇はこの団体のためにはたらく使用人として存在するという。これが、じつに美濃部博士の考え方なのである。ああ、これがはたしてわが建国の体制といえるのか、はたして国民はそんなふうに確信しているのか。〉

 上杉は美濃部が天皇を人民に奉仕する存在のようにとらえていると決めつけ、それを嘆きながら、さらにでっちあげの論陣を張る。天皇はおそれおおい神のごとき君主なのであって、そこらの大統領のような存在ではないというのが上杉の基本的な考え方だ。

〈[美濃部]博士が天皇は国家なるものの使用人ではない、人民団体の「役員」ではない、すなわち他人[国家法人]に属する権利を行使する任にあたるものではないとするのならば、天皇は国家の機関である、統治権の主体は天皇ではなく国家という法人であるという博士の根本原理を改めなければならない。天皇が統治権の主体であれば、国家の使用人ではない。みずから統治権を有するものでなければ、人民団体の使用人である。どちらかひとつをもって、論理を一貫する必要がある。[美濃部は]前には天皇は統治権の主体ではないと断言し、後には他人[国家法人]の権利をおこなうものではないとする。だれがこの明白な矛盾にあざむかれようか。〉

 上杉は天皇機関説を自己流に解釈したうえで、勝手な自問自答をつくりあげ、美濃部の主張は矛盾していると決めつける。その目的は、天皇は統治権の主体なのだから、天皇が統治権の主体ではないという美濃部の考え方は、ぜったいにおかしいと印象づけることだ。
 さらに上杉は「尊皇心」をもちだして、からめてからも達吉を攻撃する。

〈美濃部博士は、しばしば自分の尊皇心は人後に落ちるものではないと公言し、これを疑われることを恐れているかのようだ。しかし、これはまったく杞憂(きゆう)からする弁解である。だれが博士の尊皇心を疑うだろうか。だが、尊皇心があるなしと学理とはまったく別問題だ。……どんな学理を唱えようと、尊皇心においてやましいところがなければ、深く心を労するに足りないだろう。〉

 これもなかなか巧妙なわなである。学理と尊皇心をからめながら、美濃部の尊皇心は口先だけのもので、その学理は尊皇心とはほど遠いものだと暗に示唆しているのだ。
 上杉はさらに「国家法人説なるものは民主の思想を法学の篩(ふるい)にかけて圧搾したるもの」だといい、その本義は民主共和にあると断言する。だからこそ、『憲法講話』にみられる国体論はまったくの誤謬で、ぜったいに排撃すべきものだという。

〈美濃部博士がみずからしばしば言われるように、帝国が万世一系の天皇によって統治されるのは、わが建国の体制であって、天地とともに変わらぬところ、憲法の基礎であり、国民の確信である。……博士の衷心(ちゅうしん)がわれわれと異ならないことは、しばしば博士が宣言するところである。尊皇心が人後に落ちぬとは、君がみずから誇るところである。しかし、発表された学説で、天皇は統治者ではない、国民全体が統治権の主体であるというときは、これを誤謬として排斥しないわけにはいかない。〉

 上杉は達吉にもし尊皇心があるなら、天皇機関説などという謬説を撤回せよと迫っている。天皇機関説は「民主共和」の説であり、「国体に対する異説」であるというのが上杉の主張だった。

 穂積八束を引き継いだ上杉慎吉の憲法思想に早くから反発していた美濃部達吉は、さっそく同じ雑誌『太陽』に反論を書いた。
 そもそも、上杉がいうように「君主は人民のためにはたらく使用人」などといった不謹慎な言い方を、達吉はどこにもしていない。それをあたかもそう言ったかのように指摘して、批判するのはよこしまな憶説である。
 さらに達吉はほぼ次のようにいう(原文を多少わかりやすくした)。

〈私は「憲法講話」のいかなる場所においても、帝国をもって民主国なりとしたことはなく、また天皇が国を統治するという大義を無視するような発言をしたこともない。それどころか、帝国が古来から常に君主国であり、天皇が国を統治する原則はどんな時代でも動かすべきではない、とくり返し論じている。〉

 自分は常に一貫して、日本は君主制の国だといっているのに、上杉が美濃部は日本が民主国だといっていると述べるのは、あきらかな虚言であって、学問上の論説を別にして、きわめて迷惑な発言だ、と達吉は言明した。
 そのうえで、国家法人説と天皇機関説をあらためて説明する。

〈私は穂積博士その他の学者と同じように、国家をひとつの団体ととらえ、この団体が法律上の人格を有し、統治権の主体であることを主張している。しかし、その意味は上杉博士がいうように、人民が統治権の主体だとするものではない。団体の性質については『憲法講話』で大要を説明したとおり「目的を同じうする多数人の組織する結合体」をいうのであって、これを国家について言うならば、国家がひとつの団体であるというのは、君主も国会も一般臣民もみな共同目的をもって相結合し、その全体をもって組織的な統一体をなしていることで、君主が統治権をふるうのも、君主ご一身のためになされるのではなく、全団体のためになされるのであるという思想を言い表すものにほかならないのである。〉

 達吉にとって、国家が団体としての意志と行動をもつ法人であることは、近代国家であるかぎり自明のことと思われた。また国家が立憲君主制をとる以上、そこには君主だけではなく、国会もあり、権利と義務をもつ国民が存在することも自明のことだった。
 その近代国家のなかで、君主が統治権を有するとすれば、その統治権が君主自身の利益のためにではなく、国全体の利益のために発揮されなければならないこともいうまでもなかった。
 天皇機関説とは、近代国家においては天皇の統治権が憲法によって定められているということ以外のなにものでもなかったのである。
 それなのに上杉は、天皇機関説を民主国、すなわち共和制の考え方だと、こじつけようとする。
 天皇を機関と呼ぶのは不穏当であり、それは天皇を「人民の使用人」とみなすのと同じだという上杉の批判にたいして、達吉はそれは誤解だと反論した。

〈私は君主を国家の最高機関とする立場をとるが、けっして上杉博士のように君主を人民の使用人とする者ではない。博士が機関説論者をもって「人民の使用人」とする者とされるのは、じつに三重の誤解(曲解)にもとづいている。
 博士が私の国家団体説を取りあげて、国家すなわち人民ととらえ、国家の機関といえば、すなわち人民の機関の意味だとするのは、第一の誤解である。君主と国家とを別人とし、君主が国家の機関であるといえば、すなわち国家という別人のためにはたらく者だとしているのは、その第二の誤解である。別人のためにはたらく者は、すなわちその使用人であるとし、君主が国家の機関であるというのは、すなわち君主は人民の使用人だとしてしまうのは、その第三の誤解である。
 上杉博士はじつにこの三重の誤解によって、むりやり私を朝憲を紊乱(ぶんらん)し建国の体制を破壊する言説をなす者とされているのである。私としては、その誤解があまりに意表をつくものであり、筆をとる者の筆禍がどこに潜んでいるかわからないことを嘆くのみである。〉

 上杉は国家は即天皇でなくてはならないのに、美濃部は国家即人民だととらえている、国家の機関は即人民の機関だと考えていると糾弾する。もちろん、達吉はそんなことは言っていない。これが第一の誤解。
 上杉は天皇を国家の内部にではなく国家の上にある存在と考え、天皇が機関として国家のために働くのはおかしいと考えていた。達吉からすれば、とても立憲君主制を理解しているものとはいえない。それが第二の誤解。
 さらに、天皇が国家機関になれば、天皇は人民の使用人になってしまうと上杉がいうのも誤解である。達吉にいわせれば、天皇は近代国家において立憲君主としての役割をはたすのである。
 達吉はそのように述べて、上杉の無理解と曲解を批判した。
 だが、上杉の憤懣(ふんまん)は収まらない。再度、『太陽』に反論を発表し、大日本帝国は万世一系の天皇これを統治すという帝国憲法の条文をくり返した。
 時代は明治から大正へと移っていく。
 天皇は立憲天皇かそれとも神聖天皇か、このころはまだ天皇とは何かをおおやけに論じられることができた。だが、それもやがてできなくなる。
 第1次天皇機関説論争の波紋は、しだいに外部へと広がっていった。

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