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仲正昌樹『統一教会と私』を読む(1) [本]

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 仲正昌樹は政治哲学や政治思想の研究者としてよく知られている。
 マキャベリ、ルソー、カント、ヘーゲル、マルクス、ウェーバー、ニーチェ、ハイデガー、カール・シュミット、ベンヤミン、アーレント、フロム、デリダ、ハイエク、ロールズ、ドゥルーズ、ガタリ、フーコーなどなど、あまたにわたる思想家のテキストを読み解き解説する膨大な著書がある。
 ぼくも何冊かもっているが、手がつかないまま、ほとんどが本棚に眠る。かれのすさまじいパワーは、いったいどこからくるのか。
 1963年に広島県呉市で生まれ、81年に東京大学(理Ⅰ)に入学している。入学早々、原理研究会(原理研)にはいり、92年11月に脱会するまで、11年半、統一教会の信者だった。
 本書は著者の統一教会での体験を率直につづったものである。
 読みはじめて最初に感じるのは、統一教会がカルトというより、いわばサークルやセクトに近い存在だということだ。全共闘時代の大学を経験したぼくは、革命に疑問をもっていたためセクトにははいらなかったが、まわりにはセクト(共産党や新左翼を含め)に所属する人たちが大勢いた。
 その伝からいえば、統一教会はキリスト教系の──そう決めつけると反発する人もいるだろうが──新宗教団体、いや新宗教セクトといってもいいのではないか。
 そのコングロマリットは、統一教会を母体として、原理研、国際勝共連合、世界平和教授アカデミー、世界日報などのメディア、その他もろもろの企業からなりたっている。
 なお、本書にはいわゆる暴露はない。あくまでも著者個人の体験だけがつづられている。統一教会の資金がどのように使われたのか。自民党とのつながりはどうだったのか。あるいは、統一教会の活動がどれだけ多くの家族を不幸にしたのか。また、現在名称を変えた統一教会のことも描かれていない。それを知るにはジャーナリズムの力が必要である。
 それでも、本書からは統一教会がどんな団体か(だったか)が伝わってくる。
 ぼく自身は相変わらず愚鈍で、読書もはかどらない。ぼうっとしていることが多い。それはいたしかたないとして、少しずつ読んでみることにした。

 統一教会は1954年に韓国で文鮮明(ムンソンミョン)を教祖として設立された宗教団体である。日本に支部ができるのは1959年で、64年に宗教法人として認可されている。
 その教義はキリスト教の聖書をもとにした『原理講論』に集約される。
 話はアダムとエバ(イブ)の堕落論(楽園追放)からはじまる。
 統一教会はこの物語を次のように理解する。
 天使長ルーシェル(ルキフェル、ルーシェル)は、神が人間をかわいがるのを嫉妬して、エバを誘惑して関係をもち、それを悔やんだエバは夫となるべきアダムと積極的に交わってしまう。そのことを知った神はアダムとエバを楽園から追放する。ルーシェルは悪魔サタンと化す。
 神から見捨てられたアダムとエバは、サタンがとりつきやすい体質になっている。原罪を負ってしまったからである。
 しかし、神は人類を見捨てはしない。いつか再臨のメシアが人類の罪をあがない、ふたたび地上に神の国を実現する。統一教会では、その再臨のメシアこそ文鮮明だと考えられている。
 統一教会の特徴は、その宗教活動が反共を中心とする政治活動とつながっていることだという。共産主義、すなわちマルクス主義はサタンの思想であって、それに対抗する真の理想社会像を示すことが求められる。
 そうした「勝共理論」にもとづいて、勝共連合が結成される。勝共連合には、信者にかぎらず、信者以外の政治家や知識人、ジャーナリストも加わる。
 呉市に生まれた著者が統一教会にはいったきっかけは、東大に入学した早々、原理研究会というサークルに勧誘されたためだ。勉強は得意だが、スポーツは苦手、人づきあいも好きではなく、「ドンな奴」とコンプレックスをいだいていた。日教組や労働組合のスト、左翼的なものには反感をもっていた。自己変革を迫る共産主義の雰囲気が嫌いだった。キリスト教にもとくに興味をもっていなかったという。
 そんな著者がなぜ原理研(著者の言い方では原研)にひかれたのだろう。勧誘した人が自分の話をよく聞いてくれたというあたりがはじまりだった。原理研にはいれば、自分の不安や劣等感、さみしさが解消されるような気がした。
 サークルのホームでは「統一原理」を教えられた。それは聖書の物語を解釈した一種の人間学で、自分のようなうらみがましい、だめな人間にも救いが待っているという壮大な体系から成り立っていた。
 ホームにかよいだしてから1週間後、著者は「ツーデイズ」と呼ばれる2泊の研修合宿に参加した。そこで、さらにくわしく「統一原理」を学ぶと、統一教会を信じるという自覚をもつようになったという。聖書にもとづくその教えがじゅうぶん納得できるものと感じられた。
 共産党系の民青からの嫌がらせを受けた著者は、いづらくなった東大駒場寮を出て、原理研のホームに住み込むようになった。それからしばらくして、「セブンデイズ」と呼ばれる七日間の研修に参加し、正式に統一教会の会員となった。
 東大の原理研は世田谷区代沢に一軒家を借り上げ、ホームとして使っていた。そこでは20人くらいが暮らしていたが、手狭になったので、さらに近所のアパートの一室を借りた。信仰生活にもとづく合宿生活がはじまった。
 原理研は学区ごとにつくられ、その上にブロックがあり、さらに全国大学原理研究会という組織があって、会長がいる。学区の下に支部がある。韓国語風に食口(しっく)と呼ばれる信者は伝道活動を実践し、礼拝に参加し、共産主義を否定するための勝共理論を学ぶ。みずからの罪を神に告白し、夜を徹して祈禱することもおこなわれていた。
 原理研は基本的に統一教会、勝共連合の学生組織である。原理研では、女性会員をエバさん、男性会員をアダムと呼んでいた。男女関係を含め、堕落した人間は、「非原理的」とされ、批判された。
 東大の原理研はどちらかというと特別扱いされていた。学区長には元新左翼の人もいた。東大生への伝道は大きな目標で、ときに女子学生からなる「エバ部隊」が投入されることもあったという。しかし、色仕掛けは御法度だった。
 統一教会をセックス教団ととらえるのはまちがいだ、と著者はいう。合同結婚式もどちらかというと婚約に近く、家庭生活をはじめる許可を本部からもらうまでは、たがいに清い関係を保たなければならない。
 原理研では物品販売の仕事もあった。人は、おカネに執着しながら、「堕落世界」、「サタン世界」で暮らしている。神の元に復帰するには、まずおカネを献金しなければならない。これが万物復帰の考え方である。
 信者が物品を売るのは、ひとつの伝道であり、たとえ苦しくても伝道でおカネを集めることが、神の御旨(みむね)にかなうことになる。そして、物品を買ってくれる人も、それによって霊界が晴れ、先祖の罪が許されるのだから、これにより、たとえ霊感商法と呼ばれても、物品販売は正当化されることになる。
 もっとも、そう高い物品がいきなり売れるわけではない。著者が入信する前はよく、お茶が売られていた。それが珍味に変わり、さらにメタライト(金属絵画)に変わっていったという。
 夏休みには仙台で21日修練会があった。ここではさらにレベルの高い学習の場があり、信者どうしの結婚に関する話もされ、伝道(勧誘)や万物復帰(物売り)の実践もあった。ワゴン車に6、7人が乗って、珍味を売りにいく。50軒、60軒と回ってもなかなか売れなかった。徹夜祈禱も何度かおこなわれたという。
 東大に帰ると、左翼との戦いが待っていた。民青からは口げんかをふっかけられ、新左翼のセクトからは暴力をふるわれた。共産主義研究会という研究会を立ち上げて、マルクス主義のテキストを取りあげ、論破する講座を開いた。巨大な立て看板をつくって、統一原理や勝共理論にもとづき、左翼批判をくり広げたりもした。
 こうした活動を通じて、原理研の仲間どうしの結束がかたまっていく。左翼からいやがらせを受けるたびに「やはり左翼はサタンなんだ」という確信が強まっていく。
 左翼からの批判は、著者にいわせれば荒唐無稽なものが多かったという。「根拠もなく、無茶な話を信じて暴力をふるっているくせに、自分たちは『科学的社会主義』と称する態度は、私たちよりはるかに狂信的な宗教であるとしか思えなかった」
 著者も左翼から暴力を受けて、何度か病院に行ったという。
 こうして著者はますます原理研の活動にのめり込んでいった。
 誤解を恐れずにいうと、なんだかぼくの短い左翼体験とも似ている部分もあって、おもしろいし、なつかしくもある。
 長くなったので、今回はこれくらいで。つづきは次回ということにしよう。
 著者はますます統一教会にのめり込んでいくが、そこからどのようにして脱会していったのだろうか。

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