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近代の社会構造──富永健一『近代化の理論』を読む(3) [本]

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 著者は近代産業社会の社会構造を家族、組織、地域社会、国家の順に並べて論じている。この順は小さな(ミクロ)レベルから大きな(マクロ)レベルへと並べたものだといってよい。さらに、社会階層は全体社会からみた人間の階層(階級)分類である。社会構造はいわば縦軸と横軸からみた社会集団の組み合わせによって形成されている、というのが著者の理解である。
 近代産業社会の構造は、しかし、いきなり生じたわけではない。それには未開社会から古代、中世、近代にいたる長い歴史があるのだから、それを無視するわけにはいかない。むしろ、これまでの経緯を踏まえることによって、近代の社会構造の特質が明確になってくる。そこで、著者は社会集団の分類にしたがって、個別に分析を加えていく。

[家族と親族]
 まず取りあげられるのが、いわば現代社会の「基礎集団」というべき核家族である。核家族は夫婦(あるいはどちらか)と未婚の子どもからなる家族を指すが、こうした家族形態は近代特有のものである。
 古くから家族にはいろいろな形態があった。しかし、いつの時代も家族が親族の一部として成り立っていることはまちがいない。夫婦にはそれぞれ親や兄弟がいて、その親にも親や子がいてという親族関係は、その当人を起点として、集団としての大きな広がりをもっている。
 未開社会においては、共通の祖先をもつ家族が、族外婚を通じて氏族社会を形成していた。しかし、農業社会になると、氏族ではなく家父長制家族が中心になる。
 大家族、小家族、複婚家族、複合家族、未分家族、家父長家族、直系家族など、家族の形態は実に多様である。だが、重要なのは近代産業社会では、家族が核家族と呼ばれる形態に収斂されてきたことだ、と著者はいう。
 家族が核家族の形態をとるようになった理由は、近代産業社会では、家計と企業が分離されたからだ。近代以前においては、農業だけではなく、商業や工業も家族で営まれていた。しかし、家計と経営が分離されると、家族の経済機能はおもに消費になっていく。さらに幼稚園と学校などでの教育が普及すると、家族の教育的機能も補助的なものとなっていく。氏族のもつ政治的権力や祭祀的機能も失われていった。さらに農村共同体が解体すると、親族の相互扶助機能も失われた。
 しかし、核家族が中心となった家族そのものが解体することはない。夫婦の愛情、家計、子育てといった家族の役割はほかに代替できないし、核家族は共同性の中心として、これからも持続していくと著者は断言する。

[組織(企業など)]
 近代産業社会を切り開いたのは組織、とりわけ企業だといってよい。企業をはじめとする組織は「特定の機能を達成することを目的として」つくられた社会集団である。こうした組織は近代化・産業化によって誕生した。
 機能集団としての組織は、支配関係と分業によって成り立っている。分業とは労働の分割と配置にほかならず、その目的は組織の効率を高めることにある。さらに組織は支配関係を組みこむことによって、命令により目的達成を促進する機能を有している。
 組織の役割は「合理性すなわち目的達成における効率性を追求すること」にある。こうした合理性は、組織(企業)と家族(家計)が分離されることによって生まれた。社会学的にいえば、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトが独立したということになる。
 近代産業社会においては、組織は常に競争関係におかれている。そのため組織は外からの刺激によって、たえず合理性を追求する努力を強いられているといってよい。
 企業は刻々と変化する市場に対応しなければならず、そのために組織をどうつくりあげていくのが合理的かを問われている。
 もう一度まとめてみよう。近代産業社会の構造は「一方で家族(ゲマインシャフト)と企業(ゲゼルシャフト)が分離し、他方で企業が市場の中の無数の小島として大海の中に浮かび、しかもこの市場が家族と企業をつないでいる」という図式によって理解することができる。これが著者のとらえ方である。

[地域社会]
地域社会は社会集団ではなく、政治的に分けられた一定範囲の領域を指している。村落と都市が地域社会を形成している。
 村落の特徴は社会関係が封鎖的に集積していることだ、と著者はいう。村落の産業は農業だけとはかぎらない。林業や漁業もあり、まれに工業がある。産業化と近代化が進むと、村落の封鎖性は解体され、次第に村落らしさは失われていく。
 歴史的にみれば、村落がつくられたのは中世の農業社会においてである。村落は自給自足が原則であり、そのかぎりにおいて、村民にとって村落は全体社会だった。
 日本では1930年代でも村落共同体が残っていた。農業機械や化学肥料、テレビ、自動車などが農村にはいるのは、1955年以降の高度成長期である。それ以降、村落の封鎖性は次第に崩れていった。
 いっぽう、都市の特徴は社会関係が開放的だという点にある。都市は結節点だ。人は都市に流入し、都市から流出する。都市の産業は非一次産業、つまり二次産業ないし三次産業である。これは市場があってはじめて成り立つ産業だ。さらに人口規模と人口密度が大きいこともが都市の特徴といえるだろう。
 都市は古くから存在した。古代において、都市は政治都市であり、消費都市でもあった。中世では商人や手工業者が都市を形成した。しかし、そのころ巨大都市はできず、社会全体は村落的な性格を色濃く残していた。日本でも徳川時代に江戸や大坂のような大都市が出現したが、それ以外の町はちいさく、人口数万程度にとどまっていた。
 だが、産業化と近代化が次第に都市の「都市度」を高めていく。企業や官庁、学校、その他のサービス機関が、都市に人口を吸引する役割をはたしていった。その結果、現在、先進国では、人口の8割以上が都市に住むようになっている、と著者は指摘する。

[社会階層]
 人間の社会はこれまでずっと不平等社会だった。ここで著者は社会構造論にいわば垂直的な軸を導入しようとしている。
 政治権力や経済力、文化力などの社会資源は、いつの時代も共同体の成員に均等に与えられているわけではなかった。不平等の度合いが高まったのは農業社会にはいってからである。古代ローマなどでは、大土地所有者である地主が奴隷を使役しながら農場を経営していた。中世においては、土地所有権をもつ荘園領主が農奴と呼ばれる農民を支配していた。これにたいし、近代産業社会では資本をもつ資本家が労働者を雇用するようになる。
 農業社会における領主と農民の区別は身分と呼ばれ、産業社会における資本と労働者の関係は階級と呼ばれる。
 しかし、近代産業社会が進展するにつれて、階級に代わって社会階層という新たな概念が登場すると著者はいう。固定的な身分や階級とちがい、社会階層は流動的で、その地位は世代間で移動する傾向をもつ。
 近代産業社会が進むにつれて、人が他者と競争しながら、職業や所得などの社会的地位を求めるという経歴パターンが生まれるようになった。こうした地位達成過程が開かれたことが、これまでの階級とは異なる社会階層概念が生まれるようになった理由だ、と著者はいう。

[国家と国民社会]
 最後に登場するのが、国家という概念である。国家は社会を包摂する。国民社会というのは国家のもとで国民的な広がりをもつ全体社会を指しているという。
 日本において国民社会が形成されたのは明治以降だ、と著者は書いている。それまでは封建制のもとで領国が形成され、日本全体が国だという意識は希薄だった。国民社会のもとで、はじめて村落共同体の封鎖性が解体され、全国的な規模での資本主義市場が形成されていく。近代化、産業化とともに都市化が進展する。
 国民社会が成り立つのは、国家が存在してこそである。しかし、国家と社会は相互依存関係にあり、国民国家は国民社会があってこそ成り立つ、と著者はいう。
 国家の形態は多様である。古代エジプト、古代ギリシア、ローマ帝国、秦漢帝国以来、国家は人間に欠くことのできないものとして存在してきた。
 著者によれば、国家とは「一定領域の土地を領有しそこに居住している人びとを支配している統治機構である」。そして、国民とは「一定領域の土地の上に居住して、原則として同一の民族に属し、言語と文化を共有し、立法・行政・司法の統一組織を有する人びと」のことである。
 近代の国民社会の上に形成されるのが国民国家である。しかも、現代においては、この国民国家が福祉政策を実施することがとうぜんとみなされるようになった。
 この国民国家がグローバルな国際関係のなかに置かれていることはいうまでもない。しかし、いまのところ、国民社会に対応する世界社会という社会システムがすでに構築されているわけではない、と著者は指摘している。

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