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社会変動論──富永健一『近代化の理論』を読む(4) [本]

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 社会構造論と社会変動論は重なりあっている。社会構造論が空間軸に沿った記述だとすれば、社会変動論は時間軸に沿った記述だ、と著者はいう。
 社会変動とは社会構造の変動である。社会変動は長期にわたる変動であり、現在の社会構造を構成する家族・親族(基礎集団)、組織(機能集団)、地域社会(村落、都市)、社会階層、国家と国民社会が、そのなかでどのように変動してきたかをとらえる。

[社会の成長、発展、進歩]
 社会は成長、発展、進歩するといわれる。
 社会成長は健康、栄養、住居、教育、医療、生活の質、社会保障などの指標がどのように改善されているかを示すものだ。残念ながら、経済のGDPのように、社会全体の状況をあらわす単一指標はない。
産業化の進展とともに、上に挙げたような指標は上昇し、しだいに水平に近づいていく。その一方で、産業化が環境汚染やアノミー化、離婚、犯罪などを促進している側面もあるから、社会成長はどこまでもプラス方向に進むとはかぎらない、と著者はいう。
 社会発展は社会システムの質的な変化を指している。著者によれば「社会成長と構造変動とがあいともなっている社会変動を社会発展と呼ぶ」。そして、社会成長と社会発展は社会進歩ととらえることができるという。
 しかし、社会はかならずしも常に成長、発展しつづけるわけではない。社会の停滞はよくみられる現象だ。戦争や天災が生じれば、社会が退行することもある。とはいえ、社会退行がどんどん進んで、文明社会が未開社会に戻ってしまったという事例はかつて歴史上ないという。
 これとは別に社会進化という言い方もある。社会進化とは未開社会から近代産業社会にいたる発展を進化としてとらえる考え方で、これも社会変動理論の一類型だと考えられる。

 そこで、著者はこれまでの近代化理論には、進歩の理論、進化の理論、発展の理論の3つの理論があったとして、これを紹介しながら、最後にこれらを統合して、みずからの考え方として価値中立的な社会変動理論を打ち出すことになる。

[近代化=進歩]
 まず近代化を「進歩」ととらえる考え方。
著者は近代をつくりだしたのは西洋であって、「近代」を明示したのは西洋の思想家だと明言する。
 封建時代の旧守的な態度からは、進歩の考え方はでてこない。儒学やキリスト教も同様じだ。しかし、西洋では宗教改革がおこり、合理主義と実証的な近代科学をよしとする啓蒙主義が広がっていった。そこからは世代的継続を通じての進歩という発想が生まれた。
 フランスのサンシモンとコントは実証主義を唱え、イギリスのロック、バークリー、ヒュームは経験主義哲学をつくりあげた。ともに神学、形而上学を排除する知識哲学だった。重視されたのは、誤りを一歩一歩ただしていく態度であって、進歩はそうした検証から生まれると考えられた。
 コントによれば「人間の進歩という合理的な考え」を最初に定式化したのはパスカルだったという。さらにパスカルの考え方を発展させたのが、コンドルセーだ。コンドルセーは、偏見とか迷信といった非合理的なものを取り除き、理性の力を増大させ、自然科学、社会科学を学び、さまざまな技術を開発していくことこそが、文明を進歩させる原動力だと考えていたという。

[近代化=進化]
 次に近代化を「進化」ととらえる考え方。進化は内容的には進歩と異なるわけではなく、進歩を環境にたいするより高度な適応と考えたところに思想的な意義があるという。最初に社会進化論を唱えたのはスペンサーだ。人間社会は分業によって進化する。スペンサーは、社会は有機体であって、構造分化によって機能を高め、軍事型社会(個人は国家のためにある)から産業型社会(国家は個人のためにある)に向かうという明るい展望をえがいた。
 人類学の分野で社会進化論を唱えたのはモーガンだ。モーガンは人類社会が未開社会から現在の進化した文明にいかに到達したかを明らかにするために、未開人と思われるイロクォイ族の調査研究をおこない、『古代社会』を著した。モーガンは人類の進化を野蛮、未開、文明の3つに分け、原始乱婚から一夫一婦制にいたる6段階の婚姻の進化図式を示した。しかし、いまでは原始乱婚説はマリノフスキらによって否定されているという。
 こうした西洋文明社会を絶対的な基準とする単線的な社会進化論は、現在では支持を失っている、と著者は明言している。

[近代化=発展]
 これにたいし、近代化をより客観的に「発展」としてとらえる考え方がでてくる。価値中立的に近代化を状態Aから状態Bへの移行としてとらえる考え方だ。その場合、社会が質量両面において、より高次なものになっていくことが想定されている。
 社会発展とは、社会が伝統的形態から近代的形態へと移行することを意味する。それは「科学革命・精神革命・技術革命・産業革命・市民革命などのすべてを包含した、多方面にわたる変動の総合的産物」であって、著者はそれを一括して「社会構造の変動としての近代化」と名づけている。
 テンニェスは、こうした社会変動を「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」と言い表した。しかし、著者によれば、それは「ゲマインシャフトとゲゼルシャフトが未分離である状態から、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトが分離している状態へ[家族と組織の分離]」へと言い直すべきだという。いずれにせよ、近代化にあたっては、村落共同体的な社会関係が壊れて、損得と取引とビジネスの世界が誕生したことは疑えないだろう。
 いっぽう、ウェーバーは支配の社会学の観点から、近代化を「伝統的支配から合法的支配へ」の移行としてとらえた。伝統的支配は家父長的支配を典型としていた。それは王を家父長として、王にひたすら仕える社会である(家産制)。これにたいし、封建制はそれぞれの地域を世襲的に領有する領主が中央の王と封臣関係を結んで安全を保障してもらう制度だ。だが、家産制も封建制も伝統的支配であって、ウェーバーは近代社会ではこうした支配のかたちが崩壊して、法による支配が原則となるととらえた。

[構造―機能―変動理論]
 著者はこうしたさまざまな近代化論を紹介したうえで「構造―機能―変動理論」なるものを打ちだしていく。この理論はパーソンズの構造―機能理論を発展させたものだという。そのもととなるのはスペンサーとデュルケームの考え方だ。
 機能の変化は構造の変化と結びついている。たとえば企業が生まれるなどして社会構造が変化すると家族の機能も変化していく。
 人は状況に応じて、社会システムの構造を変化させることができる。それによって古代の専制政治が封建制になり、封建制が近代資本主義になっていく。要するに構造変動が起こることが人間社会の特徴だという。
 機能的要件が満たされなくなると、諸個人はシステムの現行の構造に不満をもつようになり、何らかのアクションを起こす。しかし、そういう動機が生じない場合は社会システムは安定している。すなわち構造―機能―変動の動学は均衡(平衡)状態にある。
 社会変動、すなわち古い社会構造から新しい社会構造への移行過程を理論化して、著者はこう述べている。

〈以上の考察から、次のことが明らかです。すなわち、社会変動は、当該社会システムにおいて、多くの成員が現行の構造のもとで機能的要件が十分充足されていないと思っており、したがってシステム内部に現行の構造を変えるような行為を始動する動機づけが充満するようになると、システムの均衡は崩壊します。システムのそのような現状を認識した成員たちは、新しい均衡を実現することのできる新しい構造を求めて、さまざまな試みをはじめます。それらの試みにはきわめて多くの変異があり、そして最終的にはその中から一つのものが選択されて、新たな構造への収斂が帰結するようになることで、一回の構造変動は収斂するのです。〉

 社会変動を促すのは、個々人の欲求水準であり、ひいては国民規模での欲求水準である。徳川幕府から明治政府への体制転換も、この理論によって説明できるという。
 こうして社会変動の一般理論をかたちづくったうえで、著者はそれを歴史の発展段階にあてはめていくことになる。
 著者によれば、その発展段階は(1)未開社会(紀元前8000年ごろ〜紀元前2000年ごろ)(2)農業社会前期(紀元前2000年ごろ〜紀元1000年ごろ)(3)農業社会後期(1000年ごろ〜1600年ごろ)(4)近代産業社会前期(1600年ごろ〜1900年ごろ)(5)近代産業社会後期(1900年以降)に分類できる。農業社会前期が古代、後期が中世、近代産業社会前期が西洋の近代、後期が現代にあてはまることはいうまでもないだろう。
 次回は発展段階ごとの社会変動を扱う。

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