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若槻内閣のスキャンダル──美濃部達吉遠望(51) [美濃部達吉遠望]

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 1926年(大正15年)1月に加藤高明の急死を受けて成立した若槻礼次郎内閣は、少数与党の悲しさで不安定な政局運営を強いられた。
 若槻はとかく政友会との合同(再統一)をうわさされている政友本党に接近し、加藤の残した税制改革案と予算案を何とか成立させた。
 これがのちに憲政会と政友本党との合同を生み、1927年(昭和2年)6月の立憲民政党(略称民政党)の結成につながる。だが、それまでには、まだ紆余曲折がある。
 政党政治は何かとスキャンダル合戦を招きやすい。
 最初に暴露されたのは、政友会の田中義一総裁にからむ政治資金問題だった。それは田中が陸軍大臣だった当時の公金横領の疑いにまで発展していくが、けっきょくうやむやのままに幕を閉じた。
 これに対抗するように、第51議会閉会後、浮上したのが、松島遊郭疑獄と朴烈事件である。
 松島遊郭は西の吉原とも呼ばれた大阪の歓楽地で、その場所があまりに町の真ん中にあったため、これを郊外に移そうという計画があった。その移転にからんで、与野党の議員が複数の不動産業者から賄賂をもらったという疑惑が浮上した。与党で標的となったのが、憲政会総務の箕浦勝人(みのうら・かつんど)である。
 箕浦は加藤内閣時代に内務大臣をしていた若槻のもとを訪れ、若槻に松島遊郭の移転を認めるよう求めたとされる。若槻はこれに応じたわけではなかったが、このとき箕浦が不動産業者から謝礼をもらっているなどとは想像もしていなかった、とのちに語っている。
 与野党のからんだこのスキャンダルは、大阪地裁検事局が動いて、長く政界をゆるがすことになる。若槻首相自身も大阪地裁検事局の予審訊問を受けている。
 若槻自身は事件にからんでいないことが判明するが、箕浦はじめ6人が起訴され、箕浦は有罪となった。しかし、最終的には無罪となり、箕浦は政界を引退することで、事件は闇から闇へほうむられた。
 松島遊郭スキャンダルと並んで騒がれていたのが朴烈事件である。
 朝鮮独立運動家の朴烈が、内妻の金子文子とともに拘束されたのは、関東大震災直後のことで、それからずっと拘束されたまま3年後の1926年3月25日に、ふたりとも大逆罪により死刑判決を受けた。
 具体的な天皇暗殺計画などは存在しなかった。しかし、拘束された朴烈と金子文子が大言壮語し、朝鮮独立と皇太子暗殺を唱えるので、高等法院は刑法第73条の規定により、ふたりに死刑判決を下さざるをえなかった。
 だが、判決後、検事総長が司法大臣に特赦による減刑を申し立てるなど、減刑を求める声は強く、それらを受けて、若槻も特赦に傾いた。
 4月5日、恩赦により、ふたりは無期懲役に減刑された。しかし、金子文子は7月23日に刑務所内で自殺する。朴烈は獄中で生き延び、太平洋戦争後に出獄して、戦後、在日本朝鮮居留民団の初代団長となった。
 だが、国会では若槻が特赦を上奏したことが問題になった。野党政友会が特赦はまちがっていると政府を攻撃したのである。
 このとき美濃部達吉は、若槻による特赦上奏を擁護し、「恩赦の意義について」という論評で、こう述べている。

〈朴烈らが改悛の情なきにかかわらず減刑を申請したのは不当であるとするのは全く非難の当を失するものである。問題は彼らが改悛したか否かにあるのではなく、彼らの犯行が減刑に該当すべき事情ありや否やにある。〉

 朴烈らの犯罪事情が秘密に付されているため、実際の事情はわからないが、大逆罪を定めた「刑法第七十三条の罪こそ、かえって減刑の理由の最も生じやすい犯罪である」と達吉は断言する。
 さらに「皇室に対する犯罪について、至尊の慈仁によりこれを恩赦したまうことは、こと皇室に関するだけに、国民をして皇恩の篤(あつ)きを感ぜしむること、一層大なるものがある」と、いかにも尊皇主義者らしい弁護論を展開している。
 若槻が朴烈の減刑を決定したのは、死刑にした場合の朝鮮での反応を恐れたためである。だが、これにたいしても、政友会側はむしろ苛烈に臨んだほうが朝鮮統治のためにはよかったと主張し、若槻による特赦の上奏を国体にかかわる大問題とばかりに重要視した。
 朴烈問題が大問題になったのは、じつは金子文子が自殺した直後の7月29日に怪写真のはいった1枚の文書が新聞社などにばらまかれたためである。それは朴烈と金子文子が予審調べ室で抱きあっている写真で、これをばらまいたのは、北一輝だった。朴烈とは旧知の仲だった。政府をゆさぶり、さらには政党政治に打撃を与えるのが目的だったと思われる。
 怪写真事件は国体問題にまで発展し、政界では感情論と煽動主義が荒れ狂い、若槻内閣はなすすべもなく波間をただよっていた。そのさなか、9月になって、これまで新聞紙法で長く報道を禁じられていたある事件が封印を解かれる。
 いわゆる京都学連事件である。事件は前年12月にさかのぼる。ことの発端は同志社大学の構内掲示板に軍事教練反対のビラが貼られたことだった。
 この反対運動をおこしたのは、京都帝国大学と同志社大学の社会科学連合会に属するグループで、マルクス主義を信奉していた。
 警察は一斉捜索をおこない、多くの学生を検挙したが、さしたる証拠も出ず、激しい抗議を受けたこともあって、いったんはかれらを釈放した。
 しかし、この年1月から4月にかけ、警察は全国で38人の左翼学生を逮捕し、治安維持法で起訴した。そのなかには京大の石田英一郎、岩田義道、鈴木安蔵、東大の是枝恭二、村尾薩男、後藤寿夫(林房雄)、慶応大学の野呂栄太郎などが含まれていた。東大のグループはいずれも新人会に属していた。
 事件が報道されると、達吉は官憲による学生の検挙を激しく批判し、今回の事態を招いた原因は大学の教育にあるのではなく、治安維持法という悪法そのものにあると指摘した。

〈治安維持法は要するに現在に政治上の勢力をもっている階級の人々の信念を絶対の真理と看做(みな)し、これに反対する思想を異端視して、刑罰をもってその思想を抑圧せんとするものである。それは一つの信念の他の信念に対する戦いであって、その一方の信念を有する者が、たまたま現在の権力者であるために、その権力を施用して反対の信念を圧迫せんとするものである。信念と信念との戦い、主義と主義の争いにおいて、言論と教化との力によらず、法律と刑罰との力をもって、反対の主義信念を殲滅しようとするものなることにおいて、あたかも往年の切支丹(キリシタン)禁制とその軌を一(いつ)にしている。治安維持法の悪法なる所以(ゆえん)は実にこの点にある。〉

 治安維持法は、現在の政治勢力を守るために「法律と刑罰との力をもって、反対の信念を圧迫せんとするもの」であり、いわば近代以前の考え方にもとづいている。
 治安維持法は国体の変革と私有財産制度の否認を目的として結社をつくること、およびそれに加入する者を10年以下の懲役または禁固とする法律だった。端的にいって、それは「共産党鎮圧法」といってよい。
 暴力によって現在の秩序を破壊しようとする者にたいしては、権力でこれを圧するのはとうぜんだ。しかし、信念として現在の秩序に反対する者があったとしても、それは思想の自由として認めるのが、立憲政治の立憲政治たるゆえんだ、と達吉は明言する。

〈社会文化の健全なる発達は、種々の異なった主義、思想が、相並立して互いに相争い相研磨することによってのみ庶幾(しょき[こいねがう])しうべきもので、これらの種々の思想の争いのあることは、決して患うべきではなく、かえって文化の発達のために望ましいところである。ただ、その争いは常に公明正大でなければならぬ。権力を有する者が権力をもって反対の主義思想を圧迫するところの非なるは、なお権力を有しない者が暴力をもって自己の主義を実現せんとするの非なると同様である。二者ともに断じて排斥しなければならぬ。しかも治安維持法は実にこの非をあえてするものである。〉

 ここには達吉の理念が明白にあらわされている。思想の自由こそが社会発達の原理であり、種々の異なった主義、思想があって、はじめて文化は発達する。権力者が権力によって主義思想を弾圧し、反権力者が暴力によって自己の主義を実現しようとするのは、前近代的な発想である。
 こう述べたうえで、達吉は学生が共産主義を実現するために実際運動をおこなうことには反対だという。
 学生は勉強するのが本分で、実際運動などしてはならないというのではない。学生が社会を改善するために実際運動に関係することを禁止すべき理由はない。
 問題は、学生の社会運動、ことに共産主義運動が、実際運動であるだけではなく、社会革命を目的とする運動であることだ。
 達吉は社会主義ないし共産主義のもつ独善性に疑念をいだいていた。革命によって、これを急速に実現しようとすれば、社会は大混乱におちいり、あげくのはてにロシアのような独裁政治を招きかねない。ファシズムを採用したイタリアも同様である(この時点でヒトラーはまだドイツの政権を掌握していなかった)。

〈学生は現在なお学習の半途にある者である。現に学習中にあるにもかかわらず、早く既に社会科学の真理を握持し得たりとなし、社会の秩序をかく乱することをも顧みずして、急速にこれを実現せんとする運動に従事せんとするのは、その早計いうを待たざるところで、それは学生として断じて許すべき事柄ではない。〉

 達吉は官憲による「治安維持法」を批判するいっぽうで、学生に自重を求めていた。前途有望の青年たちを失いたくなかったのである。
 だが、権力の側はひたすら圧迫の度合いを強めようとしていた。

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