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ピケティの新社会主義論(1) [商品世界論ノート]

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 トマ・ピケティの『資本とイデオロギー』は大著で、全部読み切るには半年以上かかるだろう。それに、ぼくの頭ではたぶんとても理解しきれない。
 ピケティの今回の本が大著になったのには理由がある。古代から現代までの格差の歴史をふり返ろうとしたからである。とりわけ20世紀の大転換を扱った部分はぱっと見しただけでも力がこもっている。資本主義の危機と、ふたつの世界大戦、社会民主主義の展開、その限界、共産主義の解体とポスト共産主義社会、そしてハイパー資本主義の登場と、20世紀は目まぐるしく変遷した。
 それをここで過不足なく紹介するのは骨が折れる。もし元気が残っていたら、挑戦してみることにしよう。
 今回は安直に『資本とイデオロギー』の最終章だけを読んでみることにした。「21世紀の参加型社会主義の要素」と題されている。
 ここでピケティは、新社会主義を提唱している。
「1980年代の保守革命、ソヴィエト共産主義崩壊、新財産主義イデオロギーの発達によって、21世紀初頭の20年間で、所得と資産の集中は全世界で抑えのきかない水準に達した」と述べている。その結果、現在はさまざまなフラストレーションにあふれ、アイデンティティの亀裂と無闇なナショナリズムが世界じゅうをおおっている。
 こうした状況ははたして克服できるのか。それとも、世界はこのまま混沌の時代に向かっていくのだろうか。
 これにたいして、「私は今日の資本主義システムを乗り越えて、21世紀の新しい参加型社会主義の概略を描けると確信している」と、ピケティは言いきる。
 いまどき、社会主義と思うかもしれない。
 しかし、基本となるのは公正な社会だ。つまりだれもが、社会的、文化的、経済的、市民的、政治的な生活に参加できるようでなければならない。
 ピケティが継承すべきだとしているのは、20世紀の西欧における社会民主主義であって、「ソ連などの共産主義国で試された(そしていまだに中国の公共部門で広く実践されている)、ハイパー中央集権型の国家社会主義」ではない。
 ソ連とその影響を受けた国々によって、「社会主義」という用語が毀損されていることをピケティも認めている。しかし、かれがそれでも引き続き、社会主義という用語を用いるべきだというのは、とりわけ20世紀西欧における社会民主主義の経験と伝統を尊重したいと考えているからだ。
 ピケティはみずからの提唱する社会主義を「参加型社会主義」と名づけている。それはどのようなものなのだろうか。
 資本所有者が経済権力を専有するというのが資本主義の原理である。 その資本は私有財産(資産)と結びついている。
 19世紀以来、こうした純粋な資本主義モデルを、各国は法制度や社会制度、税制によって規制してきた。
 ピケティがめざす方向は、資本主義と私有財産を克服し、参加型社会主義(新社会主義)を実現することである。
 それは何も暴力的な革命による必要はない。法律や税制を変えるだけで、かなりのことが実現できるというのである。
 そのひとつとして、かれが挙げるのは、企業内部で徹底した権限共有をおこなうこと(資本の社会所有という原則を確立すること)。
 もうひとつは巨額の財産にたいして累進課税をかけること(資産の一時所有という原則を確立すること)。
 たったこれだけと思うかもしれない。だが、この変革のもたらす波及性は大きい。
 その内容をみていくことにしよう。

 まず企業内部での権限共有について。
 具体的にいうと、これは取締役会だけではなく労働者代表も、企業内の議決権をもつようにする仕組みである。実際、ドイツやスウェーデンでは、こうした労働者参加の仕組みが実施されている。このことによって、すでに株主万能主義や短期利益主義を抑制した社会的・経済的な企業モデルが生まれつつあるという。
 大株主の議決権にも上限が設けられなければならない。この生産的で公平な企業モデルには、これからさまざまな試行錯誤がなされるだろう。とはいえ、その方向は、社会に開かれた企業モデルをつくることによって、利潤追求に縛られた資本主義から生産システムを解放することにある。
 次に累進資産税について。
 ピケティは、際限のない所有権の集中を防ぐ制度的な仕組みを見つけなければならないという。そのためには、まずかつておこなわれていた相続と所得への累進課税を復活する必要がある。だが、それだけでは不十分だ。加えて、累進的な資産税が課されるべきだ。
 現在、金持ちへの課税は、資産にくらべればごくわずかでしかない。多くの資産が免税になっており、金融資産にたいしても定率税しかかけられていないのが現状だ。
 相続税を待つことなく、現時点で総資産(個人所有の不動産、事業資産、金融資産などの正味価値)に累進課税をかけるべきだ、とピケティはいう。金持ちは何十年かにわたり総資産の1〜2%を税として支払うほうが、遺産を遺族に残すときに20〜30%支払うよりも楽だとも述べている。
 累進資産税の目的は、資産の循環を高め、財産の分散を促すためだ。現在、アメリカでは豊かな人びと(トップの10分の1)が総資産の70%以上を所有している。こうした状況が下層50%の人びとの経済機会を奪っていることはまちがいない。
 ここで、ピケティは、これまで世界でおこなわれてきた農地改革を例に挙げる。農地改革はいまではほとんど誰もが正しかったと認める改革だ。農地改革によって、貧しい農民は自分の土地をもつようになり、田畑を耕して収穫を自分のものにすることができた。それ以前は、少数の地主の手に経済力が集中し、社会全体に貧困と対立を巻き起こしていたのだ。
 しかし、ピケティにいわせれば、資産は農地だけとはかぎらない。かつての農業社会では、農地こそが資産だった。これにたいし現代では工業資産、金融資産、不動産が資産の中心となっている。いわば、現在の金持ちはかつての大地主と同じなのだ。そうだとするなら、累進資産税はいわば新時代の農地改革だというわけだ。
 ピケティによれば、資産への年次累進課税、累進相続税、累進所得税の3つが、公正な社会の基本的税制となる。累進所得税には社会保障税と累進炭素税が含まれる。そして、だいじなのは、この税収によって、ベーシックインカムと公共支出のすべて(保険、教育、年金、その他)がまかなわれることだ。
 ここでピケティはユニークな提言をしている。それは25歳になったすべての若者に、国がたとえば1500万円の資金を提供するというものだ。これをかれは「公的相続システム」と名づけている。この資金はどう使ってもいい。起業してもいいし、家を買ってもいいし、好きなようにつかえる。いずれにせよ、この「公的相続システム」は職業生活のスタート台になる。
 その財源は、相続税と年次資産税だ。「公的相続システム」による資産の分散と若返りは、経済に新たな力をもたらすだろうという。
 累進所得税について、ピケティはレーガン政権以前と同じ税率に戻すことを主張している。それは平均所得の10倍超には60〜70%、100倍超には80〜90%というものだ。
 累進資産税は新しい税といえるが、重要なのは累進性だ。ピケティは、たとえばとして、全国平均より低い資産については税率0.1%、平均の2倍の資産には1%、100倍だと10%、1000倍なら60%、1万倍だと90%の累進性を提案している。これによると、億万長者の資産はただちに10分の1になる。
 以上をまとめて、ピケティはこう述べている。

〈ここで提案した参加型社会主義のモデルは二つの大きな柱を持つ。まず社会的所有権と企業内の議決権共有、そして第二に一時的所有権と資本循環だ。これらは現在の私的所有権の仕組みを超克するために不可欠なツールだ。これらを組み合わせることで、今日の私有資本主義とは似ても似つかない所有権の仕組みが実現できる。これは本当の意味で資本主義の超克となる。〉

 はたして、それは実現可能なのか。可能だとしても、そこには大きな落とし穴がひそんでいないか。ピケティの新社会主義論はまだまだつづく。引きつづき、考えてみることにしたい。

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