ピケティの新社会主義論(2) [商品世界論ノート]

引きつづき、ピケティの新社会主義論をみていく。
累進資産税の実施にあたっては国際協力が欠かせない、とピケティはいう。税金逃れが生じる恐れがあるからだ。
しかし、国レベルだけでも、資産の透明性を高めることによって、資産への課税(不動産税と富裕税)が大きな効果をもたらすことはまちがいない。とりわけ、不動産税は、不動産の所有者が個人であっても法人であっても、情報登録を義務づけることによって、確実に課税することができる。
ピケティは、私的所有権を一時的所有権とし、社会的所有に置き換えることをめざしている。そのためには、憲法改正をおこない、企業の議決権共有や累進所得税、累進資産税、資本支給の決まりを憲法の条文に追加するべきだとも述べている。
また、政府は所得や資産の区分ごとに実際の税金支払額を公表しなければならないともいう。公表された情報にもとづいて市民は税制に関する議論を深め、議会も税のパラメーターを調整することができる。
現在、西欧では税収の内訳は、国民所得の10〜15%が所得税、15〜20%が社会保険料、10〜15%が間接税(消費税や付加価値税)となっている。しかし、ピケティによれば、間接税を正当化する理由はなく、間接税は所得税や資産税に置き換えられるべきだという。
こうした置き換えをおこなっても、全税収のうち、圧倒的な部分を占めるのは累進資産税ではなく累進所得税だ。社会保障費は独立財源として守られるが、資産税は若者への資本支給として活用され、所得税はベーシックインカム(最低所得保障)の財源として用いるというのが、ピケティの考え方だといってよい。
ベーシックインカムを拡張しなければならない、とピケティはいう。かれの提案では、ベーシックインカムは平均税引き後所得の60%に設定される。すべての成人がこの最低所得を保障される。ほかの所得が増えると支給額が減らされるのはいうまでもない。
ベーシックインカムは人口の3割ほどに適用され、その総費用は国民所得の5%ほどになるという。ベーシックインカムの目的は、少ない支払いしか受けられない人びとの所得を増やすことにある。
いうまでもなく、国には保健、教育、雇用、賃金、年金、失業手当などにたいする責任もある。さらに重要なのは公正な労働報酬にもとづく社会をつくることだ。累進所得税はそのきっかけになる。
教育システムを改善しなければならないとも書いている。現在のシステムは、エリート主義的な教育に重きを置きすぎており、多くの生徒が教育的に恵まれないまま放置されているという。
経済発展と人間の進歩は教育のおかげであって、神聖化された資本によるのではないというのがピケティのとらえ方だ。1980年代以降、アメリカでもヨーロッパでも教育格差が広がっている。教育投資への公正な分配がおこなわれていない。アメリカでもイギリスでも高名な私立大学にはいるには莫大な費用がかかり、金持ちが優位に立っている。
公平な教育というけれども、実際には偽善がまかり通っているのだ。公共教育投資も実際には一部の集団に片寄っている、とピケティはいう。教師の平均給与を上げるべきだし、初等教育と中等教育への投資をもっと増やすべきだ。高等教育の受益者には、社会的多様性がもっと反映されるべきだとも述べている。
地球温暖化は格差増大と並んで、現在、人類が直面する最大の課題である。その対策として打ち出されているのが、炭素排出削減であり、その方策として、炭素排出に課税すること(いわゆる炭素税)が検討されている。だが、それだけではじゅうぶんではない。自動車やエアコン、建物の断熱についても基準をもうけ、厳格なルールが適用されなければならない。
炭素税は累進所得税に統合することが自然だ。それを再生可能エネルギーへの移行費用に回す。炭素含有量は電気などに関してはすでに計測されている。また、炭素排出が多いとされる財やサービス、たとえばジェット燃料やビジネスクラスの航空券などに高い税率を課すことなども考えられる。
新しい社会主義がめざすのは公平な経済社会だけではない。それは政治レジームの変革とも結びついている。
現在の議会制民主主義のモデルは、格差増大に対応できていない。普通選挙は一人一票の原理にもとづいているが、実際には金銭的、経済的利害が投票を動かしている。政治資金が政党の政策に影響をおよぼしていることは、まぎれもない事実だ。
これにたいし、ピケティは企業の政治献金を禁止して、「民主的平等性バウチャー」の導入を検討せよという。これは国がすべての市民に5ユーロ程度のバウチャー(クーポン券)を渡して、各自がそれを気に入りの政党や運動に寄贈するというものだ。各政党はそれを政治資金とし、完全な透明性のもとで候補者を擁立する。
「民主的平等性バウチャーの中心的な狙いは、平等で参加型の民主主義を促進することだ」と、ピケティは書いている。それにより金権議会制民主主義を打破し、直接民主主義を拡大しようというのだ。
とはいえ、ピケティは直接民主主義を実現しようというわけではない。「直接民主主義が議会制民主主義の熟議に置きかわるとは考えにくい」とも述べているからだ。あくまでも「民主的平等性バウチャーの精神は、議会制民主主義をよりダイナミックな参加型にすることであり」、全市民が政党の政策と選挙公約に関心を向けることなのだという。
さらにピケティは国家の問題にふれる。「現在のシステムで最も明確な矛盾は、財と資本の自由な流通が、各国の税制や社会政策の選択肢を大きく制限する形でまとめられていることだ」
経済社会が国家単位でまとめられていることに、そろそろ限界が露呈しはじめているのではないか。公正の問題は、すでに超国家的な課題になっている。富裕国から貧困国への開発援助の流れも存在している。さらに環境問題や生物多様性、気候変動を考えてもグローバルな公正が求められる時代になっている。にもかかわらず、国家という枠組みは相変わらずだ。
文明国は財やサービス、資本の自由な移動を認めるようになっているが、人の移動はできるかぎり阻止している。「EUの特徴は、内部で自由な移動を実現しつつ、アフリカや中東からやってくる人については、貧困や戦争を逃れてきた人々を含め、制限が強いままだという点にある」。非ヨーロッパ移民にたいする敵意は増すばかりだ。
超国家的な公正にたいする考え方は、いまだに混乱したままだ。それでもピケティは国際間における「社会連邦主義」の推進を掲げる。当面はEU内部で共通の公正性を高める努力をつづけることが重要だ。グローバルな税制やグローバルな環境保護、研究促進、グローバルな人の移動についても、超国家的な議会で議論を深めるべきだろう。
こうした超国家民主主義モデルは、EUだけではなく、たとえばEUとアフリカ連合、EUと米国とのあいだでも確立できるはずだとも述べている。それにより多国籍企業への課税や地球温暖化への対処、移民の原則、開発援助のあり方などについても、いわば超国家議会において論議することが可能なはずだという。
とはいえ、世界社会―連邦制への移行が理想的すぎて、実際にはそう簡単ではないことも、ピケティは認めている。時代はそれに逆行しているからだ。
国際的な緊張を高めることなく、はたして世界社会―連邦制への移行は実現できるのか。当面は何カ国かのグループのあいだで、これを実行し、平和的にそれを国際レベルに広げていく努力を重ねるほかない。
大著『資本とイデオロギー』において、ピケティははっきりと新社会主義の方向を打ちだしている。
それは理想論すぎるようにみえるかもしれない。それでも注目しなければならないのは、ピケティが20世紀の社会民主主義の限界、ソ連型共産主義の抑圧性、ハイパー資本主義の暴走を踏まえながら、新社会主義=参加型社会主義を提唱していることだ。
そのことにふれることで、かれの新社会主義論の根拠がさらに明らかになってくるだろう。
2023-09-29 11:25
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