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竹下政権とリクルート事件(2)──大世紀末パレード(21) [大世紀末パレード]

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 竹下政権のおもな課題は、地価対策、税制改革、日米関係の調整だったといってよい。地価対策は中途半端に終わったが、税制改革と日米関係の調整については成果を残した、と政治学者の若月秀和は記している。
 この時期、日米関係では引きつづき貿易不均衡が大きな問題となっていた。アメリカはGATT理事会に提訴し、日本にたいし農産物の自由化を求めた。その結果、プロセスチーズやアイスクリームなどの乳製品、飼料、トマトジュースなどの輸入規制が撤廃ないし軽減されることになった。
 このあとさらにアメリカは牛肉とオレンジの完全自由化を求める。交渉は難航するが、最終的に竹下政権は一定の条件をつけながら、牛肉・オレンジ自由化の方向に踏み切る。
 アメリカ側は大規模公共事業への参入も求めていた。日本側は外国企業が参加しやすい特例措置を設けるなどして、対応にあたった。
 こうして日米間の経済摩擦問題も少しは落ちついてくる。
 もうひとつの大きな課題が税制改革だった。竹下は大平、中曽根政権もできなかった消費税導入を実現したいと思っていた。大型間接税の導入によって戦後の直接税中心の税体系から脱却し、財政基盤を強化することがねらいだった。
 消費税については、さまざまな懸念があった。実質的な増税になるのではないか、低所得層に負担がかかる逆進的な税体系だ、事業者にも負担がかかる。さらに、将来、安易な税率引き上げがなされるのではないかという心配もあった。とうぜん、多くの反対が予想された。
 竹下はそうした問題点があることも認めながら、日本の将来の財政基盤を安定させるため、消費税導入に向けて、着々と布石を打っていく。
 1988年4月には政府税制調査会が、消費税の導入は必要やむを得ないとの中間答申を発表した。6月には自民党税制調査会が、税制調査会の中間答申にもとづいて税制改革大綱を決定する。
 公明党、民社党へのはたらきかけもおこなわれた。社会、共産の両党が反対を貫くのは目に見えていた。竹下のねらいは、公明、民社をだきこんで、自公民で法案を通すことだった。そのいっぽう、日本チェーンストア協会をはじめとして、反対の根強い業界への説得もつづけられた。
 7月に召集された臨時国会で、政府は税制改革関連6法案を提出した。竹下は「辻立ち」も辞さないと、法案成立への並々ならぬ決意を議会で表明した。
 消費税導入を中心とする税制改革法案は、難航のすえ、11月16日に衆議院、12月24日に参議院を通過し、可決成立した。
 だが、そのさなかにリクルート事件が浮上する。国会は大疑獄となったこの事件で揺れに揺れる。
 リクルート事件とは、いったいどういう事件だったのだろうか。 単純にいえば、それは政治と企業とカネがからむおなじみの事件のひとつだった。
 88年6月18日に朝日新聞が、川崎市の助役にまつわる贈収賄疑惑を報じたのがはじまりだった。
リクルート社はJR川崎駅周辺の再開発地域にからんで、川崎市の助役に関連不動産会社「リクルートコスモス」の未公開株を譲渡していた。公開されれば、とうぜん値上がりすることが予想された。
 じっさい、その株は公開後上昇して、それを売却した助役は1億円以上の売却益を得た。これは事実上の賄賂ではないか、と朝日の記事は告発したわけである。
 事件はそれだけでは終わらなかった。取材が進むにつれ、リクルート社が同じ手口で、政界や官界、その他にコスモスの未公開株を約200万株譲渡しているのがわかってきた。
その人数は延べ150人以上にのぼった。コスモス株は86年10月に店頭公開され、未公開株の所有者は売り抜けて多額の利益を得ていた。
 リクルート事件が発覚したのは、まさに消費税の導入が論議されている臨時国会のさなかである。秘書名義を含めると、10人以上の国会議員がリクルート社から未公開株を譲渡されていた。
 最初に名前が挙がったのは、自民党では中曽根康弘前首相、竹下登現首相、安倍晋太郎幹事長、宮沢喜一蔵相、森喜朗元文相。野党でも民社党の塚本三郎委員長、社会党の上田卓三議員の名前が飛びだした。
 リクルート社はほかにも献金やパーティー券の購入などで、政治家に多額の資金を提供していたことが判明した。
 88年12月24日に消費税法案が衆参両院で可決成立するまで、国会はこのリクルート問題でもめにもめる。宮沢喜一蔵相が証言の食い違いによって辞任する一幕もあった。
 自民党はリクルート社の江副浩正社長と未公開株を受けとった元労働事務次官の加藤孝、前文部事務次官の高石邦男を国会喚問するとともに、衆議院にリクルート問題調査委員会を設け、譲渡先リストを公開することを約束した。これによって、年末にようやく税制改革関連6法案(消費税法案)を通すことができたのだった。
 公表された譲渡先リストのなかには、前に挙げた名前に加えて、池田克也、伊吹文明、加藤紘一、加藤六月、田中慶秋、浜田卓二郎、藤波孝生、渡辺秀央、渡辺美智雄の名前が挙がっていた。
竹下は12月27日に内閣改造をおこない、4月の消費税実施に備える体制を整えた。だが、新しく任命された閣僚にたいしてもリクルート社による献金が次々と発覚すると、世間の怒りは収まらなくなった。
89年1月7日に昭和天皇が亡くなり、平成時代がはじまる。
 2月24日の「大喪の礼」をはさんで、しばらくは弔問外交がつづいた。北朝鮮への対決姿勢も緩和され、対ソ関係の改善もはかられた。だが、日米関係はアメリカが日本にさらにさまざまな要求を突きつけたため、いまだに緊張状態にあって、同盟漂流などと称される事態がつづいていた。
 そのかんもリクルート事件をめぐる政治不信は高まるいっぽうだった。
 竹下は総裁直属の諮問機関として政治改革委員会を発足させ、会長に中曽根内閣時代の官房長官、後藤田正晴をあてることにした。政治改革委員会では1月18日の初会合以来、長々と議論が重ねられ、ようやく5月になって自民党の「政治改革大綱」がまとめる。
 政治改革の目標は、カネのかからない政治を実現することにほかならない。そのためには政治資金の規制を強化すること、自民党内の派閥を解消すること、さらには小選挙区制を実現することなどが「大綱」に盛りこまれていた。
 だが、すでに竹下は追いつめられていた。2月にはじまった通常国会で、社会党の土井たかこ委員長は内閣総辞職による衆議院解散を求める。
 さらに3月末から4月にかけて、新しい事実が判明する。かつてリクルート社が竹下の資金集めパーティーのために多額のパーティー券を購入していたこと、加えて2500万円の寄付をしていたこと、さらには竹下の秘書、青木伊平が江副浩正から5000万円を借りていたこと。これらのことが次々とあきらかになったのだ。
 4月半ばに実施された共同通信の世論調査では、竹下内閣の支持率は3.9%、不支持率は87.6%という信じがたい数字がでていた。
 このままでは予算案の成立もままならない。竹下は4月25日に退陣を表明し、国民のために予算を通過させるよう呼びかけた。
 翌26日、秘書の青木伊平が自殺した。
それから3年後、竹下は佐川急便問題で国会で喚問されるが、青木の自死について問われて、「私自身顧みて、罪万死に値する」と沈痛な面持ちで語ることになる。
 竹下の辞任表明によって、予算はようやく成立した。それを見届けたうえで、竹下内閣は6月2日に総辞職する。後継総裁には竹下に近い宇野宗佑が指名された。
 リクルート事件では、社長の江副浩正をはじめ、NTT会長、労働、文部事務次官など13人が贈収賄容疑で逮捕された。
 政治家は逮捕されなかったが、自民党の藤波孝生元官房長官と公明党の池田克也が在宅起訴された。
 長期間にわたる裁判の結果、起訴された者すべてに執行猶予つきの有罪判決が下された。
 リクルート事件は、その後、日本の政治に大きな影響をおよぼした。小選挙区制が導入されるようになったのも、この事件がきっかけである。
 だが、政治とカネの問題はこれで終わったわけではなかった。リクルート事件は、ほんの氷山の一角にすぎなかったのだ。いまの政治資金パーティー収入裏金問題をみても、そのことがわかる。
 政治学者の滝村隆一は、よく政官財はじゃんけんの関係にあると言っていた。
たとえば政治家がグーだとすれば、役所はチョキ、経済界はパー。
 政治家は役所に勝つ(強い)が、経済界に負ける(弱い)。経済界は役所に負ける(弱い)が、政治家に勝つ(強い)。役所は経済界に勝つ(強い)が、政治家には負ける(弱い)。
 権力とカネの関係はどこまでもつづき、途切れることがない。
 この三位一体構造を崩す方法はひとつしかない。カネと権力の動きを常に透明化できる仕組みをつくる以外にないのだ。はたして、それは可能なのだろうか。

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