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貨幣論(1)──メンガー『一般理論経済学』を読む(8) [商品世界論ノート]

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 いまや貨幣といえば金貨や銀貨でなく、紙幣と少額コインが中心で、しかもカード決済が広がり、だれもが銀行口座をもち、為替相場が日々変動し、株の上がり下がりに一喜一憂する人が増えている時代である。
 メンガーが『一般理論経済学』を残した100年以上前とは、すっかり貨幣をめぐる状況がさまがわりしている。さらに、これからも貨幣の世界は変わりつづけるだろう。
 にもかかわらず、人が貨幣に振り回されていることは、100年前もいまも変わらない。20世紀のはじめにメンガーが貨幣をどのようにとらえていたかを確認しておくのは、それなりに意味がある。
 最初にメンガーは、貨幣の本質と起源を論じている。
 貨幣の歴史は長い。金や銀が交換媒体(流通手段)になるのは、経済がある程度発展した段階である。鋳造された金貨や銀貨が登場し、紙幣や銀行券が一般的になるのは、さらにその後だ。
 人間は貨幣を手に入れることに血道を上げてきた。市場以外の日常の領域でも、人の生活を縛るこの「紙切れ」の本性はいったい何なのか。それは古くからの制度や取り決めのひとつなのか、それとも経済と交易の発展がもたらした所産なのか。メンガーはそんなふうに問うところから貨幣の考察をはじめている。
 人類の歴史をさかのぼると、自己充足的な自然経済のなかでは貨幣など必要ではなかった。また物々交換が容易にできるなら、貨幣はいらなかった。何らかの交換媒体が必要になるのは、交換や交易がさかんになってからである。
 当初は定期的に開かれる市場で物々交換がなされていたとしよう。だが、物々交換は、ただちに困難にぶつかる。たとえば奴隷や牛、象牙などの大型財は、それらと交換しうる財を容易にみつけることができない。
 物々交換の市場では、たがいに商品を交換しようという当事者の組み合わせがまったく成立しないか、成立してもごくわずかにとどまってしまう。したがって、商品の需要があっても、商品がほとんど動かないことになる。物々交換を実現するには、よほどの骨折りと努力を必要とする、とメンガーはいう。
 そこで、物々交換の困難を除去する補助手段が生まれてくる。ほしい商品を手に入れるためには、まず自分の商品を市場性の高い商品と交換することが求められる。そして、その市場性の高い商品を、ほんとうに自分がほしい商品と次に交換するわけだ。
 市場性の高い商品としては、無限に需要のある商品(たとえば奴隷や指輪、銅など)、さらには地元産品(武器、装飾品、穀物、カカオ豆など)、輸出品(塩板、鉄、延べ棒、木綿など)、その他、だれもがほしがる財が挙げられる。
 こうして市場性の高い商品との交換が日常化すると、そのうちに「残りのあらゆる商品と比較してより販売可能性があり、したがって通例それだけが一般的に使用される交換手段」が生まれるようになる。
 一般的に使用される交換手段が成立するのは、習慣の影響が大きい、とメンガーは書いている。それは経済的利益に沿うものとして積極的に需要され、また蓄積や持ち運びに便利な財でなくてはならない。こうした交換財は高価であると同時に分割可能であり、同時にできるかぎり空間的・時間的な制約を受けないものでなければならないという。
 こうして交換媒介手段としては、次第に家畜や貝殻、カカオ豆、固形塩などより金属のほうが便利だということになっていく。
 こうした説明を通じて、メンガーが強調したいのは「交換手段はもともと法律や社会的契約によって成立したのではなく、『慣習』によって成立した」ということである。ただし、メンガーはのちに国家が社会の慣習に手を加える可能性を排除していない。
 最終的に一商品が一般通用交換手段になると、その商品(つまり貨幣)と残りのあらゆる商品とのあいだでは本質的な区別が生じてくる。

〈特定の財がすでに交換媒介物となり、交換媒介物としての一般的使用が確立している国民のもとでは、財を他の財と取引するために市場に行く者は、いまやこの目的を達成しようとすれば、自分の財をまず貨幣にたいして譲渡することに経済的利害関心を抱くようになるだけではない──彼は今後はまさにそれを強制されるのであり、また市場で財を得ようとする者は、たいていはまさしく、この目的のためにあらかじめ「貨幣」を調達せざるをえないのである。〉

 こうして貨幣は商品のなかでも一般の商品と画然と区別された「例外的な地位」を得ることになる。
貨幣の登場は市場の様相を一気に変化させる。貨幣によって商品の価格が示されると、商品の販売はより容易かつ継続的になり、市場は「はるかに厳密で経済的なもの」となっていく。
 貨幣はそれ自体無価値なもので、単なる表章にすぎないという考え方はまちがっている、とメンガーはいう。独自の商品として交易価値を保証されてこそ、貨幣ははじめて機能する。国家は布告だけで貨幣を思うままに規制できるわけではない。
 メンガーは貨幣を財交換を媒介する商品ととらえる。ただし、一般の商品が消費の場に移行するのにたいし、貨幣はたいてい市場にとどまりつづけるという独自性をもつ。
 歴史的にみると、さまざまな財のなかでも場所的にも時間的にも最も通用する財が、交換手段としての役割をはたすようになってきた。そのなかでも金属、とりわけ貴金属が貨幣として用いられるようになった。
 貴金属への需求は、空間的にも時間的にも大きく、恒常的だ。しかも、貴金属は分割しやすく運びやすいという特性をもっている。さらに保存しやすいこと、ほかの財とくらべて価値が安定していること、また長持ちして判別しやすいことも、貴金属が貨幣として用いられる理由だった、とメンガーはいう。
 貴金属はもともと未加工の状態や半製品のままでも交易に用いられていたが、それは次第にかたまりに分けられるようになった。だが、市場でそのかたまりが本物かどうかを判定し、いちいち秤で重さを計るのはわずらわしい作業にはちがいなかった。
 そこで金属の延べ棒や小片に小さな刻印がつけられ、その純分量が保証されるようになる。やがて、それは鋳貨に発展していく。
 やがて鋳貨はその重量や純度を含め、画一かつ大量に製造されるようになる。そして、その枚数を数えるだけで、その価値を簡単に計算できる道具となった。
 さらに、複数の鋳貨がつくられ、各種鋳貨の交換比率が定められ、鋳貨体系が確立されると、交易はより容易で厳密なものになっていく。
 とはいえ、「貨幣制度は自生的な発展にまかせるだけでは、発展した国民経済のそれにたいする諸欲求を満足させることができない」と、メンガーはいう。

〈貨幣は法律によって成立したものではなく、その起源からして、国家的な現象というよりは、社会的な現象である。貨幣が国家の権威によって裁可をうけるかどうかは、貨幣の一般概念とは無関係である。けれども、貨幣制度や、その交換媒介物としての機能、またそれから生じる結果的諸機能は、国家によって承認され規定されることによって完成され、交易の発展とともに生じる多様にして変化の多い要求に適合させられるのである。〉

 国民経済全体で貨幣が必要になってくると、貨幣の鋳造は民間にまかせるわけにはいかず、国家が介入しないわけにはいかなかった。
 国家が貨幣鋳造の専権を濫用する事例には事欠かないが、それでも変造や偽造から貨幣を守り、交易に応じて必要な貨幣を提供するのは、国家にしかできない役割だった、とメンガーは書いている。
 さらに国家は国内はもちろん、国外にたいしても、自国の統一的な貨幣制度を維持するという役割をはたしている。それによって交易の支障は取り除かれ、債務の履行なども確実なものとなるのだ。
 とはいえ、さまざまな種類の鋳貨には異なる金属を用いる必要があり、金属市場が変動することを考えれば、統一的な鋳貨体系を維持するのはなかなか困難なことだった。
 そこで、国家は金属の品位や価値に多少の偏差が生じたとしても、法令によって貨幣の名目価値を定め、その支払い能力と交換比率を保証するようになる。
「秩序だった鋳貨制度を有する一国では誰もが、すべての賃金稼得者、いやすべての子供でさえも、一つの統一的な、あらゆる価格段階を容易かつ厳密に表示し、きびしい危機においてすら正常に機能する貨幣制度の利点にあずかることができる」と、メンガーは書いている。
 経済が安定し、盛んな交易がおこなわれるには、「十分整備された統一的な国定法貨」が求められるのである。
 以上は前置きにすぎない。問題はこうしてつくられた貨幣が、実際にどのような機能をはたすかである。そのことが次に論じられる。

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