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グリコ・森永事件(岩瀬達哉『キツネ目』から )──大世紀末パレード(23) [大世紀末パレード]

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 躁っぽい時代だった。
 事件がおきたのは1984年3月18日夜のこと、江崎グリコの江崎勝久社長が西宮の自宅で入浴中に誘拐された。
 以来、85年8月11日にマスコミ宛てに犯行終結宣言が送られるまで、約1年半にわたりグリコ・森永事件は世間を騒がせた。
 犯人は江戸川乱歩の少年探偵小説シリーズ「怪人二十面相」をもじって、「かい人21面相」を名乗っていた。
 犯人はつかまらず、事件はけっきょく迷宮入りとなった。
 特異だったのは、ふざけた調子の脅迫状や挑戦状が、関連企業だけでなくマスコミに向けて147通も送られていたことである。それにより、事件は世間の注目を浴び、劇場型犯罪に警察は翻弄され、メンツを失った。
 脅迫されたのは江崎グリコと森永製菓だけではない。丸大食品やハウス食品工業、明治製菓、山崎製パン、雪印乳業、不二家、駿河屋などにおよぶ。有名な食品企業が軒並みに脅されていた。ロッテは模倣犯にだまされて、カネをせしめられている。
 責任をとって焼身自殺した滋賀県警本部長を除いて、事件で死者はでなかった。警察幹部の自殺を知ると、犯人は犯行終結宣言をだしている。これ以上騒ぎをおこすと、さすがにあぶない(いまどきのことばでいうと「やばい」)と思ったのかもしれない。
 とはいえ、事件は暴力的である。だが、それは制御され、手慣れていて、大胆で、狡猾で、人を震え上がらせる暴力だ。そのくせ犯人は冷静で、逆にふざけているところもあり、とても素人とは思えない。
 警察は犯人をギリギリまで追い詰めた。だが、最後のところで逃げられる。犯人とおぼしき「キツネ目」の男の似顔絵だけが残された。
 岩瀬達哉の『キツネ目──グリコ森永事件全真相』には、当時発表されていなかった内容を含め、事件の全体像をえがいている。
 江崎グリコ社長の誘拐は大胆きわまりなかった。3月18日日曜の夜9時ごろ、西宮市の閑静な住宅街にある江崎邸にふたりの男が忍びこみ、入浴中の江崎社長に改造したライフル銃を突きつけて、外に連れだし、停めてあった車に乗せて走り去ったのだ。
 江崎社長は淀川とほぼ平行して流れる安威川(あいがわ)左岸の水防倉庫に監禁された。「なんでこんなことするんや」と言った社長に、目出し帽の犯人は「当たり前やないか、カネや」と答えている。
 それから約5時間後の深夜1時すぎ、グリコの人事労務担当取締役の自宅に犯人から電話がかかってきた。取締役はこのときすでに社長が誘拐されたことを知らされていた。犯人は高槻市のある公衆電話ボックスを指定、そこに置いてある電話帳をみろといって、電話を切った。
 取締役は警察に連絡し、パトカーでその電話ボックスに向かい、電話帳にはさんであった脅迫状を見つけた。そこには明日の夕方までに現金10億円と金100㎏を用意しろと書かれていた。
 それにしても法外な要求だった。とてもすぐに用意できる内容ではない。その後、犯人からは二度電話がかかってきた。犯人にしたがうようにという江崎社長の切羽詰まった録音の声が流れてきた。
 だが、二度目の新たな録音の声が送られてきたとき、江崎社長は監禁されていた水防倉庫からすでに自力で脱出していたのだ。犯人はもともと江崎社長を早めに解放するつもりでいた。しかし、予定より早く社長が脱出してしまったために、間抜けた脅迫電話になってしまったのだ。
 ところが事件はこれで終わったわけではなかった。ほんとうの脅迫がはじまるのは、それからだった。実体のない恐怖が迫ってくる。
 江崎社長が水防倉庫から脱出して2週間後の4月2日、犯人から江崎家に速達郵便で長文の脅迫状が送られてくる。
「いのちと 金と どちらが たいせつや/いのちがおしければ 金を よおいしろ/死にたければ けいさつえ れんらく しろ」などといった文面とともに、一家6人分6000万円を用意して4月8日に甲子園学園東の喫茶店マミーにもってくるよう指示されていた。
 警察は捜査員をグリコ社員に扮して、犯人逮捕をねらったが、その動きはマスコミに漏れていて、喫茶店のドアを開けたところ、店内はすでにカメラを構えた警察担当の記者であふれていた。それを見た捜査員はなかにすらはいれなかったという。警察無線がダダ漏れになっていたのだ。
 もちろん犯人側は警察の動きを察知していた。その様子を観察していた犯人が指定の場所にのこのこ現れるわけもなかった。
 4月10日にはグリコ本社とグリコ栄養食品にガソリンを浸した布団や布に火がつけられて投げ込まれる放火事件がおきている。マミーでの待ち伏せにたいする報復だった。
 それから5日後の4月15日、今度はグリコ本社あてに新たな脅迫状が送られてくる。2倍の1億2000万円が要求されていただけではない。カネを払わなければ、スーパーに青酸入りのアーモンドチョコレートを20個置くという脅しが書かれていた。これにはグリコ側が震えあがる。
 グリコは裏取引に応じるような姿勢を見せながら、犯人をおびきだそうとした。だが、このときも警察の動きが察知されて、捜査は失敗。
 怒った犯人は、こんどは新聞各社に、青酸ソーダ入りのグリコ製品をばらまくと通告する挑戦状を送った。
 新聞やテレビ、ラジオはこの情報を公開しないわけにはいかなかった。大手スーパーは即日、グリコ製品の販売中止を決定する。その結果、グリコと関連会社は10日間で約25億円の損害をこうむったという。
 犯人はこれだけ脅せばグリコも裏取引に応じてくるだろうと踏んでいた。こんどは取引先企業を通じて、グリコに接触してくる。
 このときグリコは警察に知らせず、3億円を用意して、犯人との裏取引に応じるつもりだった。だが、かかってきた電話の音声がよく聞き取れなかったため、取引は中止となった。
 そして、最後が6月2日の取引である。このときグリコは一転して、警察に連絡していた。次が本番とみた大阪府警は入念な捜査網を敷いた。
 だが、犯人のほうが一枚上手だった。
 この日、犯人が3億円の受け取り場所として指定した焼肉店に現れたのは、淀川の堤防でデート中に襲われて恋人を人質にとられた元自衛隊員の男性の車だった。
 恋人を取り戻したいのなら、焼肉店に行って、白いブレザーを着た男と接触し、車とキーを受けとって、堤防まで戻ってくるよう指示されていた。待ち構えていた警察はこの男性を犯人として確保する。
 だが、犯人ではないとわかると、警察は現金をつんだと見せかけた白のカローラの後部座席に、ふたりの警察官をこっそり乗りこませて、この男性を犯人の待つ淀川堤防に向かわせた。
 しかし、段取りに手間取ったため、すんでのところで、犯人に逃げられている。
 それから約1カ月後の6月26日、犯人から新聞各社にグリコへの「犯行終結宣言」が送られてくる。
「わしら もう あきてきた/社長が あたま さげて まわっとる/男が あたま さげとんのや ゆるして やっても ええやろ/……江崎グリコ ゆるしたる/スーパーも グリコ うってええ」
 これでグリコへの犯行は終わる。何かの裏取引があったのではないかといううわさは絶えなかった。だが、ともかくも事件が終わったことはたしかだった。あとの課題は犯人を見つけて逮捕することだけである。
 ところが、じつはこのとき、すでに丸大食品への脅迫がはじまっていたのだ。警察はそれまで犯人は江崎グリコ内部にいると考えていた。それが、一挙にくつがえる。さらに森永製菓をはじめ、いくつもの食品メーカーに脅迫状が送られてくる。
 あのころぼくは何をしていたのだろう。遅くはじめたサラリーマン生活の9年目で、毎日、本の編集作業をしていたことを覚えている。上原謙の本、アジア・ルポ、共同通信の紹介本、斎藤茂男さんの「日本の幸福」シリーズ、世界年鑑、記者ハンドブック、レバノン戦争の本、その他もろもろ。
 忙しかった。グリコ・森永事件は、そんなサラリーマンの日常をせせら笑うように、通り過ぎていったのだ。

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