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グリコ・森永事件(2)(岩瀬達哉『キツネ目』から)──大世紀末パレード(24) [大世紀末パレード]

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 グリコ・森永事件というと、江崎グリコと森永製菓をめぐる事件だと思われがちだが、そうではない。多くの食品会社、製菓会社が犯人から脅迫を受けていた。グリコと森永はその代表にすぎなかった。
 じっさい、警察が犯人らしき男を目にし、追いつめるのは、丸大食品とハウス食品が脅迫されたときだった。丸大の事件では、警察の捜査員が1984年6月28日に犯人らしきキツネ目の男を電車内で目撃したものの引っぱるところまではいたらなかった。ハウスの事件では、11月14日に車で逃走する犯人をパトカーが追ったものの逃げられてしまっている。
 企業が要求に応じるかにみせて、そのとき警察の動く気配を少しでも感じれば、犯人はすぐ取引をやめている。犯人はじつに用意周到で、しかも慎重だった。
 そのいっぽう、めだつ関西弁の脅迫文を、企業だけでなくマスコミにも送りつけて、巧妙に世間の恐怖心をあおっている。脅迫先の食品企業が警察に通報したことがわかると、犯人はスーパーやコンビニに青酸ソーダ入りの製品をばらまき、そのことをマスコミに通報した。店頭から製品回収の憂き目に遭った企業は、巨額の損害をこうむった。
 犯人はそれにつけこむ。警察に連絡せず裏取引に応じないと巨額の損失をこうむると示唆しながら、企業を脅迫し、ひそかに金銭を奪いとった。はたしてどれくらいの企業が犯人の脅迫に屈して、どれだけのカネを渡したか、その全容ははっきりとわかっていない。
 派手な立ち回りとは裏腹に、犯人のほんとうのねらいは、マスコミを利用して社会の恐怖心をあおりながら、裏でこっそりと企業から金銭をせびりとることにあった。これは暴力団の手口である。
 しかし、犯人は暴力団ではなかった。というのも、約1年半にわたる犯行の手口から、構成メンバーの姿がおぼろげに浮かびあがってきたからである。その仲間は6人と推測された。
 岩瀬達哉はこう書いている。

〈かい人21面相のメンバーでは、キツネ目の男とビデオの男が広く知られている。ファミリーマート甲子園口店に青酸ソーダ入り「森永缶入りドロップ」を置く男の姿を、店内の4台の防犯カメラが捉えているが、それがビデオの男である。
(中略)
このふたり以外では、脅迫企業への指示書を読み上げる声が録音された35歳前後の女と、同じく声が録音された10歳前後の男児、そして言語障害のある10歳前後の男児に加え、江崎社長を拉致したときの運転手役の男の、4人が確認されている。従って、かい人21面相のメンバーは、少なくとも6人はいたことになる。〉

 こうしてみると、この事件は暴力団による犯行というよりは、むしろ一家を総動員した犯行のように思えてくる。中心となったのは「キツネ目」の男である。この男がすべてを計画し、すべての脅迫文や挑戦状を書いた。
 グリコ・森永事件は消費社会全盛期の劇場型犯罪だった。その手口はまだアナログである(脅迫状、公衆電話、カセットテープ、指示メモ、現金、車、電車等々)。
 1985年のバレンタインデーを前にした2月12日に、犯人は「かし会社の えらいさん え」と題する挑戦状をマスコミ宛てに送っている。

〈わしらと おまえらと どっちが わるや おもう/わしら わるや わしらが ゆうとるんや まちがい ない/おまえら おまえらの こと わる おもおとらんやろ/ええもんの よおな 顔して 世の中 だましとるや ないか/かしさえ うれおったら 世の中の もん むしばに なっても/とおにょうに なって も かまへんのやろ/あこぎな 商売 やで/バレンタイン なんの こっちゃ
(中略)
0.4グラム いれたの 全国に ばらまいたる/チョコレート おくるあいてに ほけんかけ/バレンタイン ふたりそろって あの世ゆき/めをむいて ペコちゃんポコちゃん はかのなか〉

 犯人は、自分たちの犯行の正統性を唱えるとともに、バレンタイン・デーをつくった菓子会社と消費社会に反発する姿勢をあらわにしている。戯れ歌などもつくって、かなり躁状態で、愉快犯の傾向がみてとれる。だが、このころはすでに不安な状態にあった。
 ここで、森永製菓への脅迫事件をふり返っておこう。
 森永製菓脅迫事件は江崎グリコ社長拉致事件から半年後の1984年9月12日にはじまり、犯人が終結宣言をだす85年2月27日までつづいた。
 大阪にある森永製菓関西販売本部の郵便箱に脅迫状が直接投げこまれていたことが発端だった。
1億円ださなければ、青酸ソーダいりの森永製品をばらまく。そうしてもらいたくなければ、9月18日にカネを用意して待つようにと書かれていた。最後に「かい人21面相」の署名があった。
 裏取引しようとする犯人側にたいし、森永側は警察に届けて、犯人の逮捕をめざすという方針で臨んだ。安全第一を基本とし、どんなことがあっても会社を守るという意志を固めていた。
 9月18日午後8時半すぎ、電話がかかってきた。流れてきたのは、カセットテープに録音された子どもの声だった。
 1億円をいれたバッグを用意し、待ち合わせに指定したファミリーレストランから車を移動させて、次の場所に向かえ。そして、そこに置いてある空き缶の中をみろというものだ。
森永の社員に化けた捜査員が現場に向かうと、空き缶の中に指示書があり、そこには、次の指定場所においてあるポリ容器の中をみろと書かれていた。
 捜査員はできるだけ時間稼ぎをして、ゆっくりと次の現場に向かう。そこにはたしかにポリ容器があり、この箱にバッグをいれるようにという指示書が置かれていた。
 捜査員はバッグをいれて、すぐに立ち去り、犯人が現れるのを待った。だが、いくら待っても犯人は現れない。警察の動きは察知されていた。犯人は到着までの時間を計りながら、森永が警察に連絡したかどうかをたしかめていたのだ。取引は中止となった。
 それから5日後、犯人は新聞社に「森永のどあほ」と記した挑戦状を送り、青酸ソーダを混入させた森永製品をスーパーやコンビニに並べはじめた。そこには「どくいり きけん たべたら 死ぬで」というシールが貼られていた。
 犯人がマスコミに送ったあらたな挑戦状で、この事実をあかすと、日本じゅうがパニックとなった。スーパー各社コンビニチェーンは、ただちに全国の店舗から森永製品を撤去することを決定した。
 それでも森永は屈しなかった。社員を総動員して、全国のデパートやスーパーを回り、森永製品をビニール袋に詰めた「千円パック」セールを始めている。しかし、その売り上げはわずかなものだった。事件から5カ月半のあいだで、森永の損害額は約400億円にのぼったという。
 その後も犯人は森永に脅迫状を送り、2億円を要求してくる。だが、なぜか具体的な指示のないまま、その年がすぎていく。
 1985年2月25日、NHKは「企業の選択─脅迫された森永製菓─」と題するドキュメンタリーを放送した。森永はどんなことがあっても、かい人21面相と対決するという姿勢がえがかれていて、世間の大きな反響を呼んだ。
 犯人からとつぜん終結宣言がだされるのは、その2日後である。大阪・茨木市の派出所入り口の前に「森永 ゆるしたろ」と書かれた文書がひっそりと置かれていた。
 森永の屈しない姿勢をみて、犯人側がついにあきらめたかのようにみえた。だが、じっさいは、かれらのほうが、そうとう追いつめられていたのである。
 じつは森永事件がまだ終結していない前年84年11月14日に、ハウス食品から現金をせしめようとして、犯人があやうく警察に逮捕されそうになるできごとが起きていたのだ。
 さらに1月10日には「キツネ目の男」の似顔絵が公開された。犯人側がそろそろ引き時と感じていたことはまちがいないだろう。じっさい、1985年にはいってから、犯人はますます愉快犯の傾向を強めるものの、本気で犯行を重ねようとする気配はなくなっていた。
 11月14日の逮捕失敗劇は、犯人側、警察側、双方の判断ミスから生じたものだったといえる。犯人側はハウス食品が裏取引に応じたと思いこんでいた。警察は犯人を逮捕する万全の態勢をとっていたが、思わぬミスから犯人を取り逃した。
 滋賀県警本部長は、その責任をとって8月7日に自殺することになる。そして、犯人はマスコミ宛てに「まだ なんぼでも やること ある 悪党人生 おもろいで」との犯行終結メッセージを送って、姿を消すのである。
 岩瀬達哉はグリコ・森永事件のルポをこうしめくくっている。

〈身代金目的誘拐や連続企業恐喝のような悪質事件での迷宮入りは、レアケースと言われている。キツネ目の男は、運に助けられ、このレアケースの中に紛れ込むことができたのである。しかし、いまや機動力と鑑定能力の向上がはかられ、同様の事件が起きても未解決に終わる可能性はまずないと言ってよい。〉

 時代が変わったのである。

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