テレルジ国立公園──モンゴルのんびりツアー(3) [旅]
6月25日(火)
チンギスハーン騎馬像を見学したあと、ウランバートルの東60キロにあるテレルジ国立公園にやってきました。
そのキャンプ場のゲルで昼食です。メニューは羊肉のボーズ(包子)とホーショール、それにサラダとスープです。羊肉が苦手な人は食べませんでしたが、われわれはありがたくいただきました。
テレルジ国立公園の高度は1600メートル。さわやかです。
お花畑が広がっているので、植物好きの人にはたまらない場所ですね。写真撮影をするつれあいの動きがとまりません。
中腹にはアリアバル寺院というチベット仏教寺院がありました。参拝させてもらいます。
なかには金色の仏像が安置されていました。
お寺の周囲には、マニ車が並んでいます。これを回せば、実際にお経を読まなくても読んだことになるというので、一心に回させていただきました。お花畑に囲まれたお寺を参拝し、マニ車を回したので、これで安心して極楽に行けそうですね。
モンゴルにチベット仏教がはいったのは16世紀末。その後、17世紀半ばに王族の血を引く転生活仏ザナバザルが登場し、華麗で妖艶なチベット仏教美術が花開きます。
1691年にモンゴルは清朝の支配下にはいりますが、チベット仏教への信仰はつづき、代々の活仏(ダライラマ)が衆生を導く象徴となります。
社会主義の時代、1930年代には、激しい宗教弾圧がはじまり、1万人以上の僧侶が処刑され、700以上の寺院が破壊されたといいます。それでも、信仰は生き残り、民主化以後、ふたたび信教の自由が認められるようになったのです。
モンゴル人のほとんどがチベット仏教を信仰しています。とはいえ、ガイドさんによると、シャーマニズムも残っており、東部ではイスラム教が盛んで、最近はキリスト教も増えているといいます。
お花畑に囲まれたアリアバル寺院をあとにしたわれわれは、亀石を見にいきます。たしかにカメのかたちをしていますね。何となく霊力を感じさせます。
夕方、ウランバートルに戻ってきました。市内を一望できるザイサンの丘にのぼります。丘には1971年につくられたという戦勝記念碑が立っています。第2次世界大戦に勝利したモンゴル人民義勇軍とソ連兵の功績をたたえるものです。
かつてはてっぺんまで、階段でのぼったようですが、いまでは丘の手前に立派な商業施設が建ち、途中までエレベーターで行くことができます。トール川の川端には柳絮が舞っていました。
ぜいぜいいいながら、戦勝記念碑の場所まで上ります。そこからはウランバートルの町が一望できました。
ウランバートルの標高は約1300メートル。モンゴル高原の町です。しかし、町として発展するのは、17世紀にふたつのお寺が建てられてからだといいます。それも最初はゲルの集まった町でした。
人びとが家を建てて住みはじめるようになってから100年ほどしかたっていません。それまで人びとの中心は遊牧生活でした。
社会主義時代に4階建てと12階建ての建物がつくられました。高層化が進むのは、民主化時代になってからです。
いまや大都会ですね。
チンギスハーン騎馬像を見学したあと、ウランバートルの東60キロにあるテレルジ国立公園にやってきました。
そのキャンプ場のゲルで昼食です。メニューは羊肉のボーズ(包子)とホーショール、それにサラダとスープです。羊肉が苦手な人は食べませんでしたが、われわれはありがたくいただきました。
テレルジ国立公園の高度は1600メートル。さわやかです。
お花畑が広がっているので、植物好きの人にはたまらない場所ですね。写真撮影をするつれあいの動きがとまりません。
中腹にはアリアバル寺院というチベット仏教寺院がありました。参拝させてもらいます。
なかには金色の仏像が安置されていました。
お寺の周囲には、マニ車が並んでいます。これを回せば、実際にお経を読まなくても読んだことになるというので、一心に回させていただきました。お花畑に囲まれたお寺を参拝し、マニ車を回したので、これで安心して極楽に行けそうですね。
モンゴルにチベット仏教がはいったのは16世紀末。その後、17世紀半ばに王族の血を引く転生活仏ザナバザルが登場し、華麗で妖艶なチベット仏教美術が花開きます。
1691年にモンゴルは清朝の支配下にはいりますが、チベット仏教への信仰はつづき、代々の活仏(ダライラマ)が衆生を導く象徴となります。
社会主義の時代、1930年代には、激しい宗教弾圧がはじまり、1万人以上の僧侶が処刑され、700以上の寺院が破壊されたといいます。それでも、信仰は生き残り、民主化以後、ふたたび信教の自由が認められるようになったのです。
モンゴル人のほとんどがチベット仏教を信仰しています。とはいえ、ガイドさんによると、シャーマニズムも残っており、東部ではイスラム教が盛んで、最近はキリスト教も増えているといいます。
お花畑に囲まれたアリアバル寺院をあとにしたわれわれは、亀石を見にいきます。たしかにカメのかたちをしていますね。何となく霊力を感じさせます。
夕方、ウランバートルに戻ってきました。市内を一望できるザイサンの丘にのぼります。丘には1971年につくられたという戦勝記念碑が立っています。第2次世界大戦に勝利したモンゴル人民義勇軍とソ連兵の功績をたたえるものです。
かつてはてっぺんまで、階段でのぼったようですが、いまでは丘の手前に立派な商業施設が建ち、途中までエレベーターで行くことができます。トール川の川端には柳絮が舞っていました。
ぜいぜいいいながら、戦勝記念碑の場所まで上ります。そこからはウランバートルの町が一望できました。
ウランバートルの標高は約1300メートル。モンゴル高原の町です。しかし、町として発展するのは、17世紀にふたつのお寺が建てられてからだといいます。それも最初はゲルの集まった町でした。
人びとが家を建てて住みはじめるようになってから100年ほどしかたっていません。それまで人びとの中心は遊牧生活でした。
社会主義時代に4階建てと12階建ての建物がつくられました。高層化が進むのは、民主化時代になってからです。
いまや大都会ですね。
2024-07-20 17:12
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