親族制とビッグマン──サーリンズ『石器時代の経済学』を読む(3) [商品世界ファイル]
家族制生産様式にはひそかな混沌が待ち受けている、と著者はいいます。それはいつどうなってしまうかもわからない。そこで、「生産活動をこえた文化的な上部構造」、ざっくばらんにいえば政治の保証が必要になるというわけです。
前回、家族制生産様式には過少生産の気味があると書きました。必要以上のものを生産・収集しなくてもよいからです。そのため生活の危機に見舞われる家族もでてきます。
しかし、家族はじっさいには親族社会に属しているわけで、そこから「剰余」が生じます。家族集団のなかで、働く人間の比率が高い世帯が剰余を生みだすわけです。トンガ渓谷のマズルー族では、そうした剰余によって、過少生産気味の村落をかろうじて維持していました。
パプアニューギニアのカパウク族(クカクカ族)は、世帯ごとにサツマイモを栽培しており、ビッグマン(頭領)をいだいています。そこでも多くの世帯が家族が必要とする以上の剰余を生産して、比較的豊かに村を維持していました。
マズルー族の村が親族制をとっているのにたいし、カパウク族の村はビッグマンをいだいているのが特徴です。そこからはどのようなちがいがでてくるのでしょう。
まず親族制をとる村をみていきましょう。
親族網はとうぜん経済行動に影響をもたらします。家族制生産様式には遠心力がはたらきますが、親族制はそれを抑える方向に作用します。直系にとどまらず傍系まで含めて、親族の結束と連帯が強ければ強いほど、過少生産におちいりがちな家族制生産様式は、その傾向をはばまれ、より多くの生産をめざすようになる、と著者は指摘します。
親族と家族はちがいます。生産の中心はあくまでも家族であって、親族ではありません。それでも親族はあたかも同じ一家であるかのような幻想をもたらすのです。親族は助けあわなければならない。困っている親族には手を差し伸べなければならない。そのことはどの家族もわかっていて、じっさい助けあいがおこなわれるのですが、そうした関係性はいつもジレンマにさらされていることを、著者はさまざまな民族誌からあきらかにしています。
〈こうした[親族制をとる]未開社会のなかで、世帯はつねにジレンマから逃れられない立場におかれており、家族制福祉と親族の者にたいするよりひろい義務……とのあいだをつねにゆれうごいて、不断に策略を弄していなければならない。〉
親族制のもとでは、互酬はとうぜんの伝統です。しかし、その互酬関係はしばしばバランスがとれておらず、一方的になりがちです。贈与には返礼をともなければなりませんが、その贈与が贈与だけで終わってしまうことが多いのです。ここに親族制のジレンマがあるわけです。それでも未開社会では、親族制は解体されることなく、だいたいは、なあなあの関係でつづいていきます。
南太平洋のティコピア島は1952年1月と翌年3月に大きなハリケーンに見舞われ、収穫前の作物が大きな被害を受けました。そのときのことを、たまたま島に滞在した人類学者が記録しています。
島の住民は飢饉に見舞われましたが、何とか生きのびました。危機に際して、人びとがめざしたのは、まず自分の家族を守ることです。最初、助けあっていた親類どうしですが、次第に対立するようになり、食物の分与が減り、そのいっぽうで盗みが増えていきます。人びとはようやく生き残ったものの、親族制システムだけでは、ティコピアの共同性を維持するのはむずかしかったのです。
そこで、未開社会は次の段階に移っていくことになります。
〈未開社会が進化してゆくと、その過程で、それまで家族制経済を主として統制していたのが、親族制構造にもとづく形式的な連帯性であったのが、政治的な側面に統制権が移行してゆくものと思われる。構造が政治化されるにつれ、とりわけ、首長の支配に集中化されるにつれて、世帯経済は、より大きな社会的大義のために動員されてくるわけである。〉
著者は、首長制への移行が、閉鎖的な家族制システムを蚕食して、共同性のもとで、その生産性をときはなつというような言い方をしています。
権力の欠如した状態が貧困を招き、政治的な首長の存在が家族の生産性を高めるというのは一種の逆説のようにみえます。しかし、それが逆説でなく事実だとすれば、そこにはどんな理路がはたらいているのでしょう。
親族制と首長制は権威システムとして、さほどちがわないようにみえます。じっさい首長の経済的役割は、親族制の道徳と似かよったものです。首長は人に気前よく振る舞うという義務をもっています。レヴィストロースがいうように「気前のよさは、人々が新しい首長に期待する最も重要な資格となる」というわけです。
親族制は建前上、互酬性、相互扶助の上に成り立っています。しかし、それはあくまでも建前で、実際には親族の関係は不均衡で、そこには忌避できればそれに越したことはないというホンネの部分も隠れているわけです。
そうした限界を突破するのが首長制というわけですが、首長から民衆への財の分配は、逆に民衆の従属を強めることにもつながります。そのいっぽう、首長が財を集めるためには、家族的生計の枠を超えて、生産を刺激しなくてはならなくなります。
さまざまな民族誌がビッグマン(頭領)や首長の実態を記録しています。
ニューギニアのブサマ族のリーダーは、懸命に働き、自らの畑からより大きな収穫を得ようとしていました。その目的は大きな祭を催して、みなから信頼を集めるためです。
メラネシアのビッグマンは複婚によって、多くの妻をはたらかせることよって、富を増やし、その富を利用して自分の配下をつくり、政治的野心を満たそうとしていました。ビッグマンは祭や分配でスポンサーとなり、村に貢献することによって、名をあげていくわけです。
それはアメリカ北西岸の先住民がポトラッチによって、みずからの威信を高めるのと同じですが、北西岸の場合は、すでに首長の地位は確立されています。南スーダンのヌア族の場合も出自によって、その地位は固定されています。
しかし、メラネシアの場合は、ビッグマンはその地位を獲得しなければならないのです。その出発点はいわば自己搾取にもとづく気前のよい分配にあり、原点には家族労働がありました。とはいえ、家族労働の剰余はかぎられ、たいした権威をもたらすわけではありません。
ポリネシアや内陸アジア、中央アフリカ、南部アフリカでは、ビッグマン・システムより進んだ首長制が存在していました。なかには、群小共同体を束ねた最高首長が君臨し、首長自体が権力を振るっている場合もあります。
〈権力はいまや、それを下でささえる民衆の財とサービスにたいする、特定の統制権を必然的にともなっている。人々ははじめから、その労働と生産物を首長にさしださねばならない。そして、この権力のファンドでもって、首長は、個人的な援助から、共同祭儀や経済的事業の広汎な支援にいたるまで、もったいぶったしぐさで気前のよさを思いのまま楽しむのである。首長たちと人々とのあいだの財の流れが、こうして、連続的に循環しはじめるのであった。〉
首長は富を気前よくばらまくことによって、みずからの威信を保つとともに部族全体を鼓舞する役割をはたしています。首長制のもとでは集められた財が再分配されます。とはいえ、首長のもとには財の一部が残るわけですが、それがこの制度の眼目ではない、と著者はいいます。
〈首長が人々にふりまく富から、彼の手にのこる権力こそが、その眼目なのだ。そして、より大きな利点として、このように共同体の福祉をささえ、共同の活動を組織することで、首長は、この社会の家族制集団がばらばらに構想していてはとても不可能な、集団的な財を創出するにいたるのである。彼は、社会を構成する各世帯という部分を総計したよりも、いっそう大きな公共経済を制度化しているのである。〉
首長制こそが家族制の剰余を生みだすというわけです。前にも述べたように、単純な家族制生産様式は剰余を生むことはなく、むしろ過少生産におちいりやすい。しかし、首長制のもとでは、家族は剰余をつくることを義務づけられており、それによって生産力は上に引っ張りあげられるのです。
首長と世帯経済とのあいだに対立がないわけではありません。ハワイの首長たちは庶民への過酷なとりたてによって、しばしば反乱を招いています。首長は庶民から徴収する権利をもっているとはいえ、そこには限度があって、それを超えると高圧的とみなされてしまうのです。
ハワイには最高首長がいましたが、それはまだ王と呼べる段階には達していませんでした。親族制の道義はまだ根強く残っていて、それをないがしろにすると、大衆の離反を招きやすかったのです。
〈比較的な視座にたつと、ハワイの組織は、その未開性という点で大きな弱点をもっていたといえる。それは、国家ではなかったのである。〉
著者はそう書いていますが、はたしてどうでしょう。ハワイもりっぱに王国だったことはたしかです。とはいえ、著者の言いたいことは、家族制生産様式を土台とする首長制には、どうしても超えられない限界があり、たとえ強力な部族国家が生まれたとしても、それはより強大な国家によってのみこまれてしまう流れに逆らえなかったということでしょう。
2024-09-04 11:25
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