シャフリサブス──ウズベキスタンの旅(10) [旅]
5月14日(火)
ティムール(1336〜1405)の生まれたシャフリサブスに到着したのは11時。最初に訪れたのが、ドルッティロヴァット建築群と呼ばれる場所で、ここにはティムールの父親が眠っています。だから、「瞑想の家」とも呼ばれるのでしょうか。りっぱなモスクと廟があります。
その奥にはいってみます。
中庭にはりっぱなスズカケの古木が。
ずっと奥にはいっていきます。ドルッサオダット建築群が見えてきます。
礎石だけが残っているのは、かつてここには広大な建築群があったことを示しています。右に見えるのはティムールが22歳で戦死した長男のために建てたジャハンギール廟です。
その裏手にはティムールの廟もあり、柩もつくられていますが、実際にはティムールは予定していたこの場所ではなく、サマルカンドに葬られました。
地元の人たちの信仰を集めるハズラティ・イマーム・モスクです。
最初にみたドルッティロヴァット建築群のなかにはいっていきます。
中庭はこんな感じ。みやげ物屋が並んでいます。
奥にあるグンバズィ・サイーダン廟には4つの柩があります。ここはティムールの孫、ウルグベクが自分の子孫のために建てた廟です。
その隣、ティムールが建てたシャムスッディン・クラル廟には、ティムールの父が眠っています。
その天井は美しく飾られていました。
大きな青いドームのあるコクグンバス・モスクのなかにもはいりました。
そのあと4、5分バスに乗って、アク・サライ宮殿跡に。遠くにザラフシャン山脈がみえます。
巨大なティムールの銅像が立っています。
このあたりで、記念撮影を1枚。右の人、弱っちそうです。
ここには、かつて広大な宮殿が建てられていたようですが、いまではアーチの一部しか残されていません。しかし、これをみるだけでも、それがいかに巨大であったかがしのばれます。
アーチの壁面にはその当時のタイルが残されています。
シャフリサブスの見学を終えたあと、バスで3時間、いよいよサマルカンドへ。途中はすばらしい高原が広がっていました。
ロバに乗る老人と少年の姿をカメラに収めます。
ブドウ畑です。後ろの山はザラフション山地。まもなくサマルカンドです。
ティムール(1336〜1405)の生まれたシャフリサブスに到着したのは11時。最初に訪れたのが、ドルッティロヴァット建築群と呼ばれる場所で、ここにはティムールの父親が眠っています。だから、「瞑想の家」とも呼ばれるのでしょうか。りっぱなモスクと廟があります。
その奥にはいってみます。
中庭にはりっぱなスズカケの古木が。
ずっと奥にはいっていきます。ドルッサオダット建築群が見えてきます。
礎石だけが残っているのは、かつてここには広大な建築群があったことを示しています。右に見えるのはティムールが22歳で戦死した長男のために建てたジャハンギール廟です。
その裏手にはティムールの廟もあり、柩もつくられていますが、実際にはティムールは予定していたこの場所ではなく、サマルカンドに葬られました。
地元の人たちの信仰を集めるハズラティ・イマーム・モスクです。
最初にみたドルッティロヴァット建築群のなかにはいっていきます。
中庭はこんな感じ。みやげ物屋が並んでいます。
奥にあるグンバズィ・サイーダン廟には4つの柩があります。ここはティムールの孫、ウルグベクが自分の子孫のために建てた廟です。
その隣、ティムールが建てたシャムスッディン・クラル廟には、ティムールの父が眠っています。
その天井は美しく飾られていました。
大きな青いドームのあるコクグンバス・モスクのなかにもはいりました。
そのあと4、5分バスに乗って、アク・サライ宮殿跡に。遠くにザラフシャン山脈がみえます。
巨大なティムールの銅像が立っています。
このあたりで、記念撮影を1枚。右の人、弱っちそうです。
ここには、かつて広大な宮殿が建てられていたようですが、いまではアーチの一部しか残されていません。しかし、これをみるだけでも、それがいかに巨大であったかがしのばれます。
アーチの壁面にはその当時のタイルが残されています。
シャフリサブスの見学を終えたあと、バスで3時間、いよいよサマルカンドへ。途中はすばらしい高原が広がっていました。
ロバに乗る老人と少年の姿をカメラに収めます。
ブドウ畑です。後ろの山はザラフション山地。まもなくサマルカンドです。