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サマルカンドに到着──ウズベキスタンの旅(10) [旅]

 5月14日(火)
 夕方5時ごろ、サマルカンドに到着します。
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 バスはそのままグル・アミール廟へ。ここにはティムールの孫、ムハンマド・スルタンのメドレセ(神学校)がありました。その孫がトルコ戦役で戦死したのをしのんで建てられたのが、グル・アミール廟です。
 のちにティムールやその息子や孫も、この廟に祀られることになります。ティムール自身は、サマルカンドでなく、シャフリサブスで眠りたいと漏らしていたようですが、その希望はかなわなかったようです。
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 ソ連時代の1920年代にこの廟は塔もろとも破壊されましたが、復元されたといいます。その門をくぐってみます。
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 礎石しか残っていない場所に、かつてはメドレセが建っていました。
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 廟のなかにはティムールの肖像とその版図がえがかれています。ティムールが支配下においたのは、現在の中央アジア諸国だけでなく、イラン、イラク、アフガニスタン、パキスタン、インドの一部、トルコの一部、ロシアの一部を含む広大な地域でした。
_DSC0570 2ティムールの肖像グル・アミール廟/サマルカンド.JPG
 ティムールの一生は戦争に明け暮れたといえます。亡くなったのは68歳のときで、1405年に中国遠征を試みる矢先でした。
 めざしたのは新モンゴル帝国の建設だったのかもしれません。そのティムール帝国も、かれの死後100年ほどしかつづきません。しかし、のちにその王族のひとりバーブルがインドにはいって、ムガール帝国を築くことになります。ちなみにムガールとはモンゴルのこと。
 墓室にはいります。いくつも墓が並んでいますが、黒い玉でつくられているのが、ティムールの墓です。
_DSC0576ティムールの墓(黒).JPG
 もう少し近づいてみましょう。柩の正面には何やら文字が刻まれています。これがかの有名な「私が死の眠りからさめたとき、世界は恐怖に見舞われるだろう」という文言でしょうか。アラビア語が読めないので、ほんとうのところ、よくわかりませんが、たしかにりっぱな柩にはちがいありません。
_DSC0574 2ティムールの墓(黒).JPG
 グル・アミール廟の北側にはルハバッド廟というシンプルな廟もあります。神秘主義者のシェイヒ・ブルハヌッディン・サガルジが祀られているとか。イスラム神秘主義というと井筒俊彦さんを思いだしますね。
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 いったんホテルにチェックインし、それからレストランで夕食。
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 おいしそうですが、例によってぼくの胃はすでにくたびれています。
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 ふたたび、ライトアップされたグル・アミール廟へ。
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 月が空高くのぼっているのが幻想的。
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ライトアップされたレギスタン広場も訪れました。大勢の観光客が集まっていました。時刻は夜9時ごろです。
_DSC0596 2レギスタン広場サマルカンド.JPG

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