SSブログ

宇沢弘文の1968年 [われらの時代]

img20200117_10272145.jpg
 佐々木実の『資本主義と闘った男──宇沢弘文と経済学の世界』を読むと、世界的な経済学者、宇沢弘文にとっても1968年は大きな曲がり角だったことがわかる。
 この年、宇沢は40歳で、経済学教授を務めていたシカゴ大学をあとにし、東京大学に戻ってきた。いきなり激しい学園闘争に巻き込まれている。宇沢は学生側に同情的だったものの、けっして学生を支持したわけではなかったが、それでも日本の高等教育のあり方に疑問を感じていた。
 日本に戻ってきたとき、宇沢はみずから多くの業績を成し遂げた近代経済学(新古典派経済学)を批判する方向に舵を切ろうとしていた。それを促した一因がベトナム戦争だったことはまちがいない。全能なるアメリカに疑問をいだいていたのだ。
 12年ぶりに日本に帰ってきて、最初に感じたのは公害のひどさだった。大気や河川は汚染され、工場からは煙がもくもくと出て、自動車がわがもの顔に街を疾駆している。水俣を何度も訪れている。
 1969年11月17日付日本経済新聞の論説では、「生活環境を構成する社会に共通な資本が、私的な経済活動によって破壊されつつある」と論じている。
 のちに宇沢が積極的に打ちだす「社会的共通資本」概念の、最初の表明とみてよいだろう。
 そのころ、ぼくは大学の授業にも出ず、サークルでマルクスやレーニンのかじり読みをはじめていた。資本とは資本家の所有する財産であって、資本は労働者を雇用し、搾取し、剰余価値を生みだすために用いられる装置だ、などと考えていた。
 しかし、その先がわからなかった。土地や資本を国有化すれば、正しい経済社会が生まれるとも思えなかった。ソ連や中国の惨状をみても、そのことは理解できた。
 宇沢弘文の名をはじめて知ったのは1974年に岩波新書として出版される『自動車の社会的費用』によってである。いなかに戻らず、結婚し、東京で仕事をしていて、まもなく転職しようかというころだ。
 悪い癖で、本を買ったもののすぐには読まなかった。しかし、自動車が便利な交通手段である反面、生活環境に巨額の社会的費用(損害)をもたらしていることを、具体的な数字で示したこの本の切り口は斬新だと感じていた。
 しかし、1969年段階で、宇沢がすでに社会的共通資本の概念を打ちだしていたことは、まったく知らなかった。その後、かれの構想は次第に固まっていく。
 宇沢は社会主義にも資本主義にも疑問をいだいていた。そもそも主義が人をしばるという考え方が気に食わなかったのだ。
 教皇ヨハネ・パウロ2世は、1991年に「社会主義の弊害と資本主義の幻想」と題する歴史的回勅を発表する。佐々木の評伝を読むと、じつは教皇に依頼されて、この回勅の原案を起草したのが宇沢だったことがわかる。
 抑圧的で硬直したソ連社会主義はすでに崩壊していた。
「社会主義のもと、市民の基本的権利は無視され、個人の自由は完全に剥奪され、人間的尊厳は跡形もなく失われてしまった」というのが、社会主義にたいする宇沢の認識だった。
 だが、資本主義に問題がないわけではない。どこまでも資本主義を追求しようとする新自由主義の果てなき欲望が、世界を破滅の淵に追いこもうとしていると感じていた。
 回勅の原案で「宇沢は、資本主義が解決できないでいる問題の具体例として、取り組みはじめたばかりの地球温暖化問題を挙げ、あわせて宇沢が唱えている社会的共通資本の考えを丁寧に紹介した」と、佐々木実は書いている。
 社会的共通資本とは、いったい何か。
 岩波新書には、こう書かれている。

〈社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。〉

 そのとおりかもしれないが、これではあまりにお題目にすぎて、具体的なイメージがつかみにくい。
 そこで、別のテキストで、宇沢によるもうひとつの記述を紹介してみよう。

〈社会的共通資本は、土地を始めとする、大気、土壌、水、森林、河川、海洋などの自然資本だけではなく、道路、上・下水道、公共的な交通機関、電力、通信施設、司法、教育、医療などの文化的制度、さらに金融・財政制度を含む。
 社会的共通資本のネットワークは、広い意味での環境を意味し、このネットワークのなかで、各経済主体が自由に行動し、生産を営むことになるわけである。市場経済制度のパフォーマンスも、どのような社会的共通資本のネットワークのなかで機能しているかということによって、規定される。さまざまな社会的資本の組織運営に年々、どれだけの資源が経常的に投下されるかということによって、政府の経常支出の大きさが決まってくる。他方、社会的共通資本の建設に対して、どれだけの希少資源の投下がなされたかということによって、政府の固定資本形成の大きさが決まってくる。このような意味で、社会的共通資本の性格、その建設、運営、維持は、広い意味での政府、公共部門の果たしている機能を経済学的にとらえたものとなる。〉

 長々と引用したが、要するに社会的共通資本は、制度的には政府・自治体の公共部門を指しており、それを持続的な共生経済のために運営する仕組みに替えていこうという発想のうえに成り立っている。ケインズの考え方を発展させたものだととらえることもできる。
 社会的共通資本は人びとの生活基盤であり、私的な資本によって蚕食されてはならない部分である。社会全体の財産(コモンズ)という意味で、それは社会的共通資本なのだ。
 この社会装置を運営するのは、政府や官庁ではなく、あくまでも社会的に認められた専門家集団であり、その業務実態は常に開示されなければならない、と宇沢は考えていた。
 環境、教育、医療を含め、人びとの生活基盤全体にかかわる社会的共通資本は、受益者の負担と税金によって維持される。政府の予算規模は、社会的共通資本としての公共部門を、どれだけの大きさや内容で維持していくかによって決まってくる。
 宇沢は民間資本の役割を否定するわけではない。もし民間資本が人びとの生活基盤を脅かすのであれば、それは法によって規制されなければならないが、生産、消費を含め、経済活動の自由は認められるべきだ。社会的生活基盤としての共通資本のうえに立って、民間の経済活動が自律的かつ持続的におこなわれるというのが、宇沢の経済ビジョンである。
 それは、あきらかに市場原理主義の考え方とは異なっていた。もちろん、中央集権主義的な社会主義経済とも一線を画している。
 宇沢が社会主義に違和感をもつのは、人間を社会的諸関係の総体としてとらえる人間観に、一種のあやうさを感じていたからである。それは人を、社会に、あるいは革命に奉仕しなければならない存在として規定しかねない。
 宇沢はジョン・ステュアート・ミルやジョン・デューイのリベラリズムの考え方を尊重していたという。それはムード的な政治的リベラルとは異なる。
 ミルは人間が与えられた能力を可能なかぎり調和的に発展させることのできる自由を唱えていた。
 ジョン・デューイに関しても、宇沢はこんなふうに述べている。

〈決して政治的権力、経済的富、宗教的権威に屈することなく、一人一人が、人間的尊厳を失うことなく、それぞれがもっている先天的、後天的な資質を充分に生かし、夢とアスピレーションとが実現できるような社会をつくりだそうというのがリベラリズムの立場である。〉

 ここにも、われらの時代の願いが込められている。
 しかし、世の中はいまも新自由主義の風潮におおわれている。新自由主義の本質は、国家が市場万能の市場原理主義を後押しするところにある。これにたいし、社会的共通資本の立場から政府の公共部門を市民のものに変えていくという宇沢の考え方は片隅においやられている。
 だが、いったん灯された思想の火が消え去ることはないだろう。

nice!(4)  コメント(0)