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中国型資本主義──ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』を読む(3) [商品世界論ノート]

 著者のミラノヴィッチは中国型資本主義のことを政治的資本主義、あるいは権威主義的資本主義と名づけている。
 はじめに現在の中国は資本主義社会かという問題がある。著者はそのとおりだという。著者によれば(1)生産の大半が民間所有の生産手段によっておこなわれていること、(2)労働者の大半が賃金労働者であること、(3)生産や価格の決定が(中央の決定によってではなく)分散されたかたちでおこなわれていることが資本主義の条件とするなら、中国はこの3つの条件を満たしてから、明らかに資本主義社会だということになる。
 ただし、中国の特異性は、社会主義革命を経たのちに、資本主義に達したことにある。つまり、社会主義を経ることによって、共産党一党独裁のもとで資本主義が誕生した。これが著者のいう政治的資本主義である。政治的とは共産党主導であることを意味する。
 このあたり、ことばに振り回されそうだ。国家資本主義といわないのは、中国ではあくまでも党が国家を指導するかたちをとっているからである。
 中国が社会主義を脱するのは、1970年代後半である。
 1978年以前、中国の工業生産は、ほぼ100%国営企業が担っていた。しかし、1998年にその割合は50%に減り、2015年段階では20%程度になっている。以前は都市部の労働者の80%が国営企業に雇用されていた。2015年時点でその割合は16%を下回っているという。
 農業については、さらに明白で、改革以前は人民公社が生産の主体だった。1978年以降は人民公社がなくなり、すべての生産が民間によっておこなわれている。ただし、郷や村の共同事業もある。
 以前は国が農産物の93%、工業製品の100%、小売商品の97%の価格を決めていた。だが、1990年代半ばになると、小売商品の93%、農産物の79%、生産財の81%の価格は市場で決定されるようになり、現在はほぼすべての価格が市場で決定されている、と著者はいう。
 こうした実態をみると、中国は共産党が支配しているにもかかわらず、明らかに資本主義体制下にある。
 中国型の政治的資本主義の特徴はどこにあるのだろうか。
 著者によれば、それは国家の事業を企業が請け負うところにある。経済の目標を立てるのは官僚のテクノクラートであり、共産党の指示が絶対的に優先される。こうした「民間部門の活力と官僚による能率的支配と一党政治体制を結びつけた取り組み」をはじめたのが鄧小平だった。
 資本家が政治的な力をもつことは認められない。著者はジョヴァンニ・アリギの『北京のアダム・スミス』を紹介しながら、政治的資本主義のもうひとつの特徴を次のようにとらえる。それは、党は国益を促進するために民間部門の活動を積極的に認め、必要とあらば民間を抑制できるというものだ。
国家の上に立つ党は、いわば超法規的な存在だといってよい。
 そこから、政治的資本主義にはふたつの矛盾が生じてくる、と著者はいう。
 ひとつは政治的資本主義の運営にはテクノクラートのエリートが必要になるが、法のルールにしたがわなければならないはずのエリートがしばしば法を恣意的に運用することだ。
 もうひとつは汚職と腐敗である。官僚に与えられた自由裁量権が、みずからの経済的利益確保に利用される。その規模は地位が高ければ高いほど大きくなる。
 腐敗が手に負えなくなると、不平等が拡大し、システム全体が崩壊する可能性がある。習近平が常に腐敗と戦う姿勢を打ちだすのは、そのためだ。だからといって、それによって官僚の自由裁量権がなくなるわけではない。政治的資本主義において、腐敗の問題は根深い、と著者は指摘する。
 中国の富と所得に関する統計は限られており、しかも信頼性に欠けるきらいがある。
 しかし、その不十分な統計からも、1980年代以降、中国では農村部でも都市部でも不平等が拡大し、また都市部と農村部の所得格差が広がっていることがわかるという。
 著者はいう。

〈中国の不平等はおおむね「構造的」でもある。都市部は農村部よりも急速に発展し、同様に、成功をおさめている沿岸部の省は西部の省を追い越している。……中国の爆発的な成長もまた、不平等の爆発的な拡大の主たる原因になった。したがってパイをいかに切り分けようと、つまり地域間、都市部と農村部、都市労働者と農村労働者、民間と国営部門、高スキル労働者と低スキル労働者、あるいは男女に分けて観察したところで、どの区分においても不平等は拡大した。〉

 著者は中国でも資本所得の割合が伸び、資本所得が金持ちに集中していると指摘する。ある調査によると、中国の都市部では2005年に資本家(企業家)が都市人口の1.5%を占めるようになった。同時に公共・民間部門の専門職、小規模事業主などの新旧中間層も10%に増えた。
 中国では、新たな資本家のエリート層が台頭しつつある、と著者はいう。かれらはいわばたたき上げで、その父親は農民か肉体労働者だった。
 だが、中国の資本家は政治的な力をもたない。あくまでも党や国家の官僚に従属する存在だ。
 問題は腐敗である。政治的資本主義においては、地位を利用して利益を得る行動が後を絶たない。腐敗撲滅運動がスタートしてから100万人以上の共産党員(総党員数の1%弱)が処罰された。だが、それは氷山の一角にすぎない。撲滅運動は定例の引き締めにすぎず、腐敗は政治的資本主義につきものだ、と著者はいう。
 省、県、地区での地位が上がれば上がるほど、汚職の規模は大きくなる。とりわけ共産党員であれば、その影響力は大きい。「党職員自体の給料はたいして高くないが、影響力ある立場に就くことができ、その立場を利用して所得を補おうと汚職に手を染めることもありうる」という。
 こんな政治的資本主義がはたして生き残ることができるのか。
 ここで著者は、ジョヴァンニ・アリギの論議を持ちだす。
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 アリギは中国こそアダム・スミス流の正統な経済発展の路線を歩んでいると論じる。正統な経済発展のもとでは、経済が農業から工業へと自生的に発展し、資本家は一定の社会的役割を果たすにしても、けっして横暴に振る舞うことがない。
 中国の資本家は中国共産党の路線に合致するかぎりにおいて、その存続を認められている。その意味ではマルクス的ではなく、スミス的な存在なのだという。
 さらにいうと、中国では国有か私有かの所有権はあいまいで、民間企業のなかに共産党の組織が存在したりする。郷や村の企業のなかには、その所有権があいまいなまま、めざましい業績を挙げているものもある。
 著者は、この所有権のあいまいさこそが、政治的資本主義の特徴なのだと述べている。
 そして、中国の資本家階級が代議制民主主義によって、この国を支配するようになるのが民主主義だと理解するなら、著者は中国ではそのような民主化はありえないだろうという。長い歴史的伝統からすれば、中国で認められるのは、あくまでも政治によって統制される資本主義なのだ。
 政治的資本主義のメリットは、政府が有能で、腐敗もまずまず我慢できる程度であれば、民主主義の体制よりも、ずっと効率的かつ迅速に事業を実行できることだ、と著者はいう。国の指導者を選ぶさいにも、長々と面倒な選挙をおこなう必要もない。指導者が有能でありさえすれば、市民はわざわざ政治にかかわる必要もないのだ。
 政治的資本主義に腐敗がつきものなのはまちがいない。だが、中国では賄賂や縁故が経済をスムーズに動かしている面もある、と著者はいう。
 さらに、こんなふうにも書いている。

〈政治的資本主義に内在する利点には、支配者が自由裁量権を持つこと、お役所仕事を省き迅速な経済成長を可能にすること、そして一部ひょっとしたら多くの人間の選好に見合ったそこそこの腐敗が広まっていることがあげられる。だが政治的資本主義の魅力を左右する最も重要な点は、その経済的成功にある。〉

 中国は自国中心主義なので、他国には関心がない。中国の政治的資本主義が成功したのは「政治的な一党独裁の中央集権化と、地方の経済政策についての相当な自由裁量が奇しくも組み合わさった」ためだ。そうしたモデルを他国で実行するのはむずかしいし、中国はそれを海外の国に移植しようとも思っていない、と著者はいう。
 現在、中国が世界経済に組みこまれているのは事実である。そのため、中国は世界にたいし無関心な態度を装うことができなくなっており、それなりの積極的な役割を果たすようになっている。
 そのひとつがアフリカ開発戦略とのかかわりであり、中国は現在アフリカとの経済的絆を強めている。さらに野心的なのは「一帯一路構想」で、ヨーロッパとイギリスに向けて、中国の商品を大規模輸送する計画がすでにはじまっている。さらにはアジアインフラ投資銀行の設立によって、中国の経済力をアジアの近隣諸国に波及させようとしている。
 中国が国外にたいして、こうした積極策をとるのは「国内での政治的な生き残りをかけた問題であり、国内に潜在する弱みから生じたものである」ことを著者も認めている。それでも、中国のグローバル大国化は、これまでの西洋中心の国際秩序のあり方を変えていく可能性をもっている、と著者は論じている。
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アセモグルとロビンソンは『国家はなぜ衰退するか』のなかで、非民主主義的な制度のもとでは、経済が持続的に成長するのは不可能だと論じ、中国がいずれ壁にぶつかると指摘した。本書のミラノヴィッチはこれとは反対に中国の政治的資本主義がまだ拡大する可能性を示しているといえよう。
 そのどちらが正しいかを決定するには時の流れを待つほかないだろう。安直に答えは出せない。だが、少なくとも、中国の経済発展を可能にした条件をさらに探ってみる必要がある。

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