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近代資本主義の精神──ウェーバー『一般社会経済史要論』を読む(9) [商品世界論ノート]

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 長々と書いてきたが、いよいよ今回が最終回である。
 ウェーバーは合理的国家という意味での「国家」が存在するのは西洋だけだと話すところから今回の講義をはじめている。もっともそれは1920年時点の話である。
 中国では氏族や商人ギルド、職人ツンフトが根を張っていて、その上に官僚(マンダリン)が薄い覆いのように乗っているだけだ。官僚は教養ある読書人として封土を与えられているが、行政も法律も知らず、実際の行政は小役人にまかされている。「官僚は別に統治するわけではない。ただ不穏な出来事や好ましからぬ偶然事件の場合に嘴(くちばし)をいれるにすぎない」
 西洋の国家はこれとは異なる。専門的官僚と合理的な法律を基礎とする合理的国家だ、とウェーバーは強調する。
 西洋においては、都市とキリスト教によって、氏族社会が解体され、その結果、専門的に教育された官僚が生まれた。
 それを支えているのが合理的な法律だ。合理的な法律はローマ法に由来する。しかし、近代資本主義の制度は、ローマ法ではなく、中世の法律から生まれたというべきだ。ローマ法の意義は、形式法的思惟をつくりだした点にかぎられるとウェーバーはいう。
 形式的合理性とは何か。たとえば、どんな殺人事件もその実情を探れば、それぞれの事情があり、それを勘案すれば一律には裁けないことになってしまう。それをあくまでも形式(この場合は殺人)において一律に裁くことを理にかなっているとするのが、近代の法律なのである。
 近代国家はこうした形式的法律と結合することで成り立っている。そして、こうした法律に習熟した官僚が行政技術者として国の統治をおこなうところに合理的国家が生まれる。近代資本主義の発達には、こうした合理的国家の存在が欠かせなかった、とウェーバーは述べる。
 首尾一貫した国家の経済政策は、近代になってはじめて登場した。
 中国でもインドでも経済政策はその都度、右から左へと極端に変転した。
 西洋でも14世紀までは計画的な経済政策はほとんど見られない。カロリング朝では、カール大帝の貨幣改革、度量衡制度だけが注目に値する。いっぽう、教会は経済生活にしばしば立ち入り、生活の場に正義や誠実や教会倫理をもちこもうとした。公安の維持にも努めている。そして、修道院はそれ自体が合理的な経済共同体だった、とウェーバーはいう。
 ドイツでは12世紀の神聖ローマ帝国皇帝、フリードリヒ1世(バルバロッサ)のときに、イギリスと関税条約を結ぶなど、多少商業政策の萌芽がみられた。ドイツ諸国王の経済闘争は、ライン関税とかかわっているが、だいたいにおいて不首尾に終わった。関税政策は領邦君主の手に握られており、計画的な経済振興政策はほとんどおこなわれていなかった。
 王侯が合理的な経済政策に着手するのは、14世紀のイギリスからで、いわゆる重商主義と呼ばれる。
「重商主義とは、資本主義的営利経営の観点をひろく政治にまで押しひろげることを意味する」とウェーバーは話している。端的に言ってしまえば、対外交易と国内開発によって王の収入を増加させることが、重商主義の最大目的だった。
 重商主義政策は国内においては人民の租税負担力を増進させることに向けられた。そのために、王は貨幣が国外に流出するのを防ごうとした。さらに国内の人口を増やすことをめざした。
 このふたつの目的を達するために、できるだけ多くの商品(原料ではなく完成品)を海外に売ることが奨励された。しかも、その取引をおこなうのは自国の商人でなければならなかった。こうして「一国の輸入額が輸出額を超過すれば、その国はそれだけ貧しくなる」という重商主義のセオリーが生まれた、とウェーバーはいう。
 イギリスは早くも14世紀末のリチャード2世の時代に、輸入を禁止し輸出を奨励する重商主義政策をとりはじめている。その後、1440年にイギリスにおける外国商人の規制、外国で商売をする自国商人の規制がなされ、重商主義の色彩が強まる。そして1651年の航海条例にいたるまで、重商主義政策が徐々に推し進められていくことになった。
 スチュアート朝の重商主義は、国庫収入の増加を主眼としていた。すべての新規産業は国王の独占特許がなければ認められず、王の財政をうるおすことが義務づけられていた。これは身分的独占的重商主義だった、とウェーバーはいう。
 こうした国王の独占経済は清教徒革命によって崩れ去る。そして、重商主義の第二の形態である国民的重商主義が誕生する。この政策のもとで、国民的産業が体系的・組織的に保護されることになった。
 しかし、重商主義によって保護された産業が生き残ることはなかった、とウェーバーはいう。残ったのは1694年に設立されたイングランド銀行くらいである。重商主義は自由貿易の台頭とともに滅んだ。

 西洋に近代資本主義をもたらしたのは、18世紀から19世紀にかけての人口増加が原因でもなければ、16世紀以降の貴金属流入でもない、とウェーバーは断言する。地中海という地理的要因、さらには戦争や奢侈による需要もそれ自体、資本主義を促進したわけではない。

〈しからば結局において資本主義を産み出したものは何であるか。それは合理的なる持続的企業、合理的簿記、合理的技術、合理的法律なのであるが、しかしそれにつきるわけではない。以上に付加してこれを補完すべきものがある。すなわち、合理的精神、生活態度の合理化、合理的なる経済倫理が、これである。〉

 西洋において、なぜこのような「合理的精神、生活態度の合理化、合理的なる経済倫理」が生まれたのだろうか。
 もちろん、合理的精神と倫理は伝統という壁を乗り越えることによって生まれたのだ。
 伝統を支えるのが伝統主義だ。
「伝統主義とは、伝統を神聖不可侵視すること、祖先より伝承せる行為および経済行為のみを墨守して、すこしも改めないことを意味するが、人間生活の発端において、つねに支配的なのはこの伝統主義である」
 そうした伝統主義ははるかに根をひいて、深く今日までおよんでいる、とウェーバーはいう。
 伝統は抜きがたい。呪術のように人びとを縛っている。ここから合理的精神が生まれるには、相当の飛躍を必要とする。しかし、中南米を征服したピサロやコルテスに見られるような営利衝動が、合理的な経済倫理を生みだしたわけではない、とウェーバーは断言する。
 もともと営利活動は家族や氏族の共同体のなかでは禁じられていた。共同体は肉親的同胞愛で結ばれ、そこでは共産主義的ともいえる対内道徳が支配しており、営利活動がはいりこむ余地がなかった。
 営利活動がおこなわれたのは、もっぱら共同体の外部にたいしてである。仲間以外の外部との交渉では、信仰や良心の拘束から離れて、営利衝動が無制限に発動された。
 最初の状態はこの二元対立だ。それがいつしか勘定と計算の要素が伝統的な共同体の内部に浸透し、共産主義的な共同体を解体していった。しかし、それと並行して、外部にたいしても(いわば外部の社会化が生じて)営利衝動をある程度抑えた自制的な経済が生まれてくる。
 ウェーバーはそんな図式をえがく。
 だが、それにしてもなぜ近代資本主義は西洋においてのみ発展することができたのだろうか、とウェーバーは問う。
 キリスト教の教会は、もともと商人の活動は神の思し召しにかなわないという考えをいだいていた。それがようやく緩和されるのは、フィレンツェの勃興によってである。
 カトリックとルター派はそれでも営利活動に深刻な嫌悪をいだいていた。人間関係が物化され、倫理が失われるのではないかと恐れていたためである。教会が商人に求めたのは「公正なる価格」にもとづき、人びとの生活を保証することだった。
 こうした教会の経済倫理を打ち破ったのはユダヤ人ではない、とウェーバーはいう。
 中世のユダヤ人は、いわば卑賤なカーストのようにとらえられていた。ユダヤ人は市民の埒外にあり、いずれの都市の市民団体にも加入できなかった。土地の取得も禁止されていたから、農業に従事することもできなかった。その代わり、ユダヤ人は貨幣取扱業務をいとなむことができた。
 とはいえ、これは賎民資本主義だった。ユダヤ人は合理的資本主義の成立に何ら貢献していない、とウェーバーは断言する。

〈しかしそれにもかかわらず、ユダヤ教が近代の合理的資本主義に対して決定的意義を有する点がある。それはユダヤ教がその反呪術性の精神を遺産としてキリスト教に伝えた点である。ユダヤ教・キリスト教・二三の東洋的宗派(その一つは日本にある)を別とすれば、明白に反呪術性の特質を有する宗教は一つもない。〉

 ウェーバーは日本の社会・精神構造が、中国やインドとちがって、きわめて西洋的だととらえていた。それ自体興味深いし、逆に疑う余地もあるのだが、いまはそれについて深く触れない。
 ユダヤ教の意義は、反呪術性の精神をキリスト教に伝えたところにある。ウェーバーがそうみていることを確認しておけばよいだろう。呪術の拘束があるかぎり、近代資本主義の成立は不可能だった。
 ここで、ウェーバーは不思議なことをいう。
「世界を呪術から解放し、したがってまた、近代の科学、技術、および資本主義に対する基礎を創造したものは、実に預言にほかならない」
 人びとは預言にしたがった。その預言は、仏教でも儒教でもなく、ユダヤ教とキリスト教によってもたらされた、とウェーバーはいうのだ。
 このふたつの平民宗教によって、呪術は神聖ならざるもの、悪魔的なものとさげすまれるようになった。
 さらに禁欲の教えがある。禁欲とは規律正しい生活態度の実行を意味する。中世の修道僧はそうした禁欲を実践する存在と考えられていた。だが、一般の人のあいだにこの禁欲精神が行き渡らなかったのは懺悔と贖罪の制度があったからだ、とウェーバーはいう。
 ルターによる宗教改革はこの制度を決定的に打破した。これにより、信仰にあふれる人びとは、ふだんから僧院におけるのと同様の徳行を積まねばならなくなった。
「新教の禁欲的宗派は打ってつけの道徳を創定した」とウェーバーは話している。禁欲思想は独身主義をよしとするのではない。結婚は合理的に子どもを産み育てるための制度である。貧乏がよいというのではない。しかし、富の獲得によって思慮のない享楽を求めるのは邪道である。
 ここから、この世で生きていくには、定められた職業をまっとうし、営利活動をおこなうことこそが神の思し召しにかなっているという考え方が生まれた。
 キリスト教精神のもと、善良な良心をもつ企業家が誕生した。それだけではない。労働を嫌がらぬ労働者が供給されるようになった、とウェーバーはいう。こうして、善良な企業家と献身的な労働者によって、近代資本主義は支えられることになる。
 しかし、と最後にウェーバーはつけ加えないわけにはいかなかった。近代資本主義を支えた宗教的根蔕(こんてい)はいまや消え失せてしまった。現代人の職業意識は、もはや禁欲にはほど遠い。私利の追求こそ社会全体の幸福をもたらすという啓蒙的な楽観論が、禁欲的な理念を吹き飛ばしてしまった。19世紀がはじまるとともに、近代資本主義の黎明期は終わり、不断の緊張と対立を強いられる時代がはじまったのだ、という不安なことばで、ウェーバーはこの長い講義をしめくくっている。
 そのあとの資本主義では、神なき世の、力ずくの競争とニヒリズムがひとつの時代精神となったのだろうか。ウェーバーは何も話していない。グローバル時代の新たな経済倫理はみつかるのだろうか。その答えは各自がみつけるほかない。

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